第03話「異世界プリンセスとメイドの事情」

「う、ううう。すびばぜん。ノルマ……今月のノルマが……はばっ!」


 まったく棒が伸びないグラフにケツ穴を突かれるという悪夢に魘されながら上総が飛び起きると、目の前には白のドレスをかっちり着込んで化粧を決めたプリンセスがジッと顔を覗き込んでいた。


「おはようございますわ、カズサさま」


「え、あ、え? えーと、お、おあよう、リリアーヌ」


 ――夢ではなかった。


 上総は超絶黒髪美少女に起こされるという全国独身男子噴飯物の事象に寝起きの頭が追いつけず、差し伸ばされる白の長手袋が自分の頭に回されるのを黙って見ていた。


「んっ……んうっ……ちゅ、ちゅちゅ」

「ん――んむっ」


 されるがままにリリアーヌのキスを受ける。寝起きであるとかそういったことに一切の躊躇はないのか、彼女の艶めかしい唇から舌がぬるりと口腔に入り込んできて不覚にも、身体の一部がより一層硬化されてゆく。


「ぷはっ。おあようって、カズサさま。かわいいですわ」


 リリアーヌはくすくす笑って人差し指を伸ばすと上総の上唇についた唾液を拭った。


 そのちょっとした仕草がなんともいえず艶めいていて、朝っぱらからイケナイ気持ちになってゆく。


「え、う、うーん。ちょっと待って。まだ、寝起きで……頭が回らなくて」


「おはようのキスですわ。さ、お目覚めのお湯を用意いたしました。お顔を綺麗にいたしましょうね」


 見ればリリアーヌは緑の洗面器に張ったお湯へとタオルを入れようとしている。


(まさか幼児のようにそれで俺の顔を拭き拭きしてくれるというのだろうか)


「ん、んむっ。ちょ、顔くらい自分で洗うからさ」


「だーめ、ですの。わたくし、ずーっとカズサさまのお世話ができなかったのですから。これくらいさせてくださいませ。ね」


「う――そういわれるとなあ」


 上総に返事の暇を与えずリリアーヌは洗面器に張った湯にタオルを浸し、顔を丁寧に拭ってくれた。まだ半身は毛布をかぶっているというのに、これでは王国貴族のようだ。


「今、クリスが朝食を用意しておりますから、それまで湯浴みでもなされてはいかがでしょうか」


 あー。そういえばなんだかんだで昨日は風呂に入らなかったな。


 上総はリリアーヌに促されるまま部屋を出ると、キッチンで器用にフライパンを使っているクリスに出会いギョッとした。


「おはようございます、勇者さま。すぐに朝ご飯を用意しますので今しばしお待ちを」


「あ、うん。おはようクリス」


「あー。その顔。もしかして私がこんろなるものを使いこなしていることに驚いてらっしゃいますのね」


(実はそうなのだ。ベタな漫画のように、なにもないところから火がッ。とかいって驚いてなにもしていないかと思っていたのだが)


「以前、旅の途中で勇者さまがお話してくだすったではありませんか。ツマミを捻れば火が出る不思議な調理器の話を。これってアレですよね。燃えるガスをここから出しているだけのことですよね。私たちは森のゴブリンじゃございませんの。それとも、びっくりして怖がった振りをしていたほうがよかったでしょうか?」


「い、いえ。大変助かっておりますです、はい」


 ――そうだよな。いくら異世界人とはいえ、猿じゃないんだ。ちょっとでも理屈を聞いたことがあればあとはなんとなく想像はつくだろう。


 上総はちょっぴりがっかりしているのも反面、これならすぐにこの世界に慣れてもらえそうで心の重しがわずかに楽になるのを感じていた。


 クリスが作った朝食はキッチンではなく上総の自室でとった。まだ、昨晩広げたリリアーヌたちの荷物がまとめ切ってなかったからだ。


 メニューは目玉焼きとサラダ、それにこんがり焼き目のついたトーストである。


「勝手に食材を使用して申し訳ございません」


「いや、ごめんよ。寝坊した上に飯まで作らせちゃって」


「いいえ。これからは私が三食勇者さまのお腹の面倒を見て差し上げます。昨晩のようなできあいのものは身体によくありませんよ」


 クリスは目敏く丸めた安売り弁当のゴミを見つけていたのか、ちょっと悲しそうな顔をした。


 ちなみにトーストはガスコンロの火で直接炙ったらしい。


 電子レンジの使い方も教えてあげなくちゃと思う上総であった。


 なぜか丸いちゃぶ台があったので自室にスペースを作って三人輪になった。


 目玉はとろりと半熟で添えられた千切りレタスとプチトマトの色どりがうれしい。


「うまっ、うまっ」


「もう、勇者さまったら。そんなに急いで食べなくてもおご飯はどこにも逃げて行ったりしませんよ」


「悪い。手料理なんて、もう何年ぶりかなあと思ってさ」


「むー。あ、カズサさま。このレタスはわたくしが千切ったんですよ、あ! これと、これと、これもですわ!」


 一方的にクリスを褒めまくる上総が気に入らなかったのかリリアーヌが手にしたフォークをそっと置くと、子供のように激しい自己主張をしはじめた。


「そーですよー勇者さま。姫さまも今朝の朝食作り手伝ってくれたんですよう」


 すごいっしょ、といいたげなクリスと褒めて褒めてオーラを出しまくる一国の王女。


 なにかシュールだなと思いつつも、冒険の旅では常に奉仕される側であったリリアーヌにも成長があったかと思うと、やはりときの流れを感じずにはいられなかった。


「あ、あー。そっか。リリアーヌも頑張ったんだな。あの薪集めしかできなかったお姫さまがサラダ作りを手伝うなんて。よし、よし」


「えへへー」


 上総は大型犬をかわいがるかのように頭を差し出す彼女の髪をそっと撫でると、ついでに人差し指で顎のあたりをくすぐってあげた。


 完全に畜生扱いだがリリアーヌはとろんとした目で恍惚に浸っている。


「ちなみにメインディッシュはいつものとおりメイドのクリスめが作成したのでした。えっへん」


「クリスもクリスでありがとなー」

「……あのぉ、私にはご褒美は」


 クリスは座ったまま頬を若干赤くすると身体をもじもじ動かした。


「そうだな。リリアーヌだけじゃ片手落ちだし。おし、手を出せ」


 上総はポケットから飴玉を出すとクリスに握らせた。


 彼女はどこかお預けを喰らったのち、想定していた以外のものを与えられた狆くしゃっぽい表情をした。


(ぶさカワイイな)


 ――なんとなく微妙な雰囲気になってしまったので空気を換えよう。


 上総はフォークを咥えながらクリスのジト目から逃れるようにテレビのリモコンを手に取った。


「な、なんかニュースやってるかな」


 ぴ、とモニタに電源オンのしるしが点灯して画面に公共放送の野暮ったいスーツを着た男性が映し出される。


「ひ!」


「な、なんですかあなたは! いったいどこから入ったのですか!」


 クリスはぴょーんと座った状態から飛び上がると上総の背に隠れた。


 リリアーヌはパッとベッドの上に飛び乗ると、枕元に隠してあった杖を引き抜き戦闘態勢に移行する。


「ちょっと待った、ちょっと待った! これはただの映像だよ。いきなりお約束をありがとうよ異世界のお姫さまっ」


 上総は背に引っついたクリスをぶらーんとさせながら召喚魔術の詠唱に入ったリリアーヌの口元を手でふさいだ。


「もがもごもごーっ」


「勇者さま、勇者さまーっ。異民族の男が私たちに見知らぬ言語で話しかけてきますぅ。それになんかコイツ身体がすっごく小さくて気持ち悪いです」


「だあっ。あれは映像だ。ただの画面だよ――!」


 上総はまずリモコンを操作して画面を消すと、ぶるぶる震えるふたりを抱いて、ゆっくりとテレビついて解説した。


(そういや、俺が喋ってたのは共通ロムレス語で日本語じゃねぇし。まずいな。ナチュラルであっちに脳が浸ってたわ)


 ふたりが若くて思考に柔軟性があるとはいえ、昨日まで剣と魔法の世界で暮らしていたおとぎ話の住人なのである。


(そうだ。とりあえずこのふたりは見かけが若くても、基本が古生代の生き物なのだ)


 宗教観、死生観、倫理観などあらゆるものが根本から違うのだ。


 徐々に慣れさせてゆくほかはない。


 とりあえず、ふたりには日本の技術で遠くから動く絵を送っていると教えたのだが、ふたりとも用心深く薄型モニタの裏を四つん這いになって誰かいないか本気で探していた。


「姫さま、とりあえず不審な者はおりませんね」


「クリス、気をつけて。もしやカズサさまにもわからぬほど小さくなってあたりに潜んでいるやもしれませぬ。細心の注意を払って。索敵はやってやり過ぎるということはありませぬ」


 メイドとプリンセスのかわいらしい尻がぷりぷりと動いている。魅惑のトライアングル地帯や白のプリンセスニーソが丸見えであり甚だ教育にはよろしくない状況だった。


「いましたかね」


「いえ。でも、まだそこの奥のほうが。怪しく感じますわ」


「むうー。埃っぽいです。けふんけふんっ」

「クリス、我慢ですよ」


(こ、このふたり。あまり最初から過剰な情報は与えないほうがいいやもしれないな)


 今日が休みでよかったと心底思う上総であった。







 朝食を終えてのち。


 上総はふたりをいきなり連れ出すのは危険と判断し、まずはテレビから慣れさせることとした。


 過剰な反応をしたら電源をオフにしてしまえばいいという単純な動機であったが、ふたりははじめて鑑賞する映像の数々を目にし、ちっちゃな子供のように画面にかじりつくと微動だにしなくなった。


「頼むからもうちょっと離れてみなさい。近眼になっちゃうぞ」


 とはいえ、元々がそう広い部屋でもないのであまり距離を取ることはできない。


 上総は目まぐるしく白人の役者が動く古い映画(内容は実にどうでもいいサスペンスものだ)を見せながら、腹がくちくなったのと日頃の疲労がドッと出たのか物もいわずに眠りこけていしまった。






「カズサさまは寝入ってしまわれたようですね」

「そのようでございます、姫さま」


 クリスはベッドに頭をもたれさせて寝入る上総の鼻をつまんだり放したりして深く落ちていることを確かめた。


 縮れたくしゃくしゃの髪を見ているだけで無性にいとおしさがこみ上げてくる。


 両手で彼の頬をぎゅっと押さえていると背後からじっとりとした視線を感じ渋々放した。


「ん。こほん。この“てれびじょん”というものは、要するにお芝居のことなんですね。実に迫力のあるお芝居ですが、今はわりかしどうだっていいことですわ」


「そうでございますね。それよりも私たちにとって現実ほど重要なものはございません」


「では、クリス。カズサさまが寝入ってしまわれているうちに、臨検をはじめるといたしましょうか」


「心得ております。姫さま」


 クリスたちは互いにうなずくとさっそく上総の部屋の家探しをはじめた。


 結局昨晩は期待して待っていたにもかかわらず、上総は自分とリリアーヌどちらにも手を出して来なかった。


(解せぬ……じゃなくっておかしいですね。いくら取り繕っていたとしてもこうして並んで寝ていれば我慢し切れなくなってお情けを頂戴できると踏んでおりましたものを)


「朝方、カズサさまが寝ておられる隙に見た限りでは女の影は見受けられませんでしたが。もっとよく探してみましょう」


 がさごそとふたりして上総の部屋を探し回る。


 クリスは一瞬だけ躊躇すると果敢にもベッドの下へとずりずり潜り込んでいった。


「なにをしているのですか、クリス」


「姫さま。こーいう、狭い場所は、殿方が、危な絵を隠す、定番で、ございますよっと。田舎の弟も、こういった狭い場所に、艶本を隠しておりましたので、私は、よく探し出して、机の上に整理して、種類ごとに並べて、反応を見るのが、得意でした」


「そのようなことをしているから嫁の貰い手がないのですよ」


 ――むむっ。姫さまとて聞き捨てならぬお言葉ですが。生憎と私、男を知らぬわけではないので、ここは寛大な心で許してあげましょうかねっ。


 クリスは狭いベッドの下でふがふがやりながら見えないのをいいことにほくそ笑んだ。


 実はクリスがすべてを捨ててリリアーヌについてきたのはわけがある。


 なにを隠そう彼女は魔王との最後の決戦の夜、酔って前後不覚となった上総を上手いこと誘導して男女の仲になった事実があった。


 だいたいが、そんなことでもなければ女は簡単に故郷を捨てて異世界になどゆくはずがないのだ。


(かわいそうな姫さま。まだ勇者さまのお手付きでいらっしゃらないなんて……)


 まあ、無礼も無礼であるが、リリアーヌもその前々日に酔った上総を無理やり寝所に引き込み抱くように誘導していた事実があるとはこの時点では知っていなかった。


「なにか、めぼしいものは見つかりましたか?」


「けふっけふっ。ダメですー。ここもホコリっぽいだけで。ちぇー。絶対にあると思ったんですがねぇ。おや……?」


 がさごそとやっているとクリスの手になにか固いものが触れた。


 そっと引きずり出してみると、白い新書サイズのプラケースが現れた。


「なんでしょうかこれは。なにかのマジックアイテムでしょうか」


「うーん。勇者さまが見つからないように隠していたとなれば、そういうつまんない可能性もありえますねー」


「クリス。ちょっと見せてもらってよろしいかしら。んんん。不思議な箱ですわね。どうやって開ければよろしいかしら。あら?」


「あ、なんか開きそうですね。さすが姫さまです。私、気づきませんでしたよ」


「なにこれ。ぴかぴか光る銀色の円盤――むっ」

「むっ」


「……」

「……」


 ふたりとも無言である。


 だが瞳にはめらめらと不快を表す炎が燃え盛っていた。


「なんでしょうかこのはしたない女性は」


「知性のカケラもない顔をしていますわ! クリス、わたくしなんだかとってもいやーな気分になりましたの!」


「けれど姫さま。これってなにに使うものなのでしょうか。無学な私にはちーっとも用途がわからないのですよ」


「それは――! わたくしにだって知らないことくらいありますわ。と、とにかく、小さな絵とはいえこのようなものがわたくしたちの家にあるのは不愉快です。すぐに処分いたしましょう。ろーむ、ろむろむ、ろむ、れむす。我、ロムスの直系にしてその血を継ぐものなり――」


 クリスはリリアーヌが得意の召喚魔術でロムレス王室に代々仕える七十二柱といわれる精霊のうちハウレスを呼び出し銀の円盤を綺麗に焼き尽くすのを見届けた。


(姫さま。そこまでこのいやらしげな謎円盤にご立腹でしたのですね。このクリス感服いたしました)


 謎円盤と称されるアダルトDVDはあろうことか室内のど真ん中で焼却された。


 当然のことながらポリカーボネートの焼けた強烈な臭気が部屋の中に広がり、ムッとしたものが立ち込める。


「あやや。換気、換気をいたしましょう」


 クリスが慌てて部屋の窓ガラスを開閉すると、意識を失ったように寝ていた上総の目蓋が激しく蠕動しはじめた。


「ん。な、なんだこの臭いは……」


「お、お待ちになってくださいませカズサさま。まだ、目覚めては――!」


 必死で起きるのを留めようとするリリアーヌの仕草にクリスは振り返るが、落ちていた弁当のゴミ袋に蹴躓く。


「んべっ」


 我ながらはしたない声を出してしまった。そう思って鼻の頭をこすりながら顔を上げると、そこには豹の姿をした地獄の大公ハウレスが「やっ」とばかりに目を覚ました上総にあいさつをしているシュールな情景があった。


「久しぶりだな勇者よ」

「な、ななな、なにをやっているんだ――っ!」


 なお不必要に精霊を呼び出した咎でクリスとリリアーヌがめちゃくちゃ怒られたのはいうまでもない。


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