第02話「日本人はウサギ小屋がお好き」

「それにしてもいきなりでびっくりだな。まさか、本気でこっちにまで来るなんて」


 上総が改めて妖精のように美しい少女たちを見ながら、クリッと視線を落ち着かなくあたりにさまよわせた。


「もお、カズサさま。わたくしはあのとき確かに伝えたはずですよ。たとえあなたがどこに行こうと、必ず探し出して会いにゆくと」


 上総はふたりが落ち着いたのを見計らって六畳の寝室へと招き入れた。


 部屋は越してきて三年も経つが驚くほど簡素である。


 ベッドと書きものをする机のほか上総のパーソナリティを表すものはほとんどない。


 ふたりはきょろりと部屋の中を見回したが、上総のことしか目に入らないといった様子で部屋の調度品のことは気にならないようであった。


「しかし、失礼ですが勇者さまは随分とご成長なされたご様子ですが。もしかして、ロムレスとこの世界では時間の流れが違うのではないのでしょうか?」


 ラグの上で女の子座りをしていたクリスが不思議そうに小首をかしげる。


 並の女がやったらベランダから突き落としたくなるようなわざとらしい仕草だが、彼女がやると文句のつけどころのないほどかわゆいので自然、頬がゆるんだ。


(まあ、確かにそういいたくなるのはわかるよなー。ふたりは、十年前とまったく変わってないもん。あの頃の俺は、確か十八か。そんじゃ、今の俺なんてただのおっさんにしか見えないよなー)


 上総が異世界で彼女たちに別れを告げたときは、リリアーヌは十六でクリスは十九だったはず。


 みっつ、よっつの年の差ならともかく一回りも離れてしまえば千年の恋も冷めるだろう。


 まだどこか、かつての一晩のアバンチュールとロマンスを期待していた上総は目の前に突きつけられた現実に打ちのめされた。


「てことは、今はリリアーヌは十七で」


「私は二十になりました。ええ、どーせ年増でございますよう」


 クリスがツンと形のいい鼻を反らして拗ねた振りをしている。


 ロムレスでは結婚適齢期は十五、六とされ彼女なりに悩んでいる様子であったが、今の上総から見れば女子高生くらいにしか見えない子が年のことで拗ねるのはおかしみしか催さないのだ。


(しっかし、こうしてみるとやっぱふたりとも。マジ半端なくかわいいなぁー)


 日頃のっぺりした顔つきの日本人ばかり見ているせいで、ふたりの容姿はややくどさを感じつつあったものの、やはり普通の人間とは住む世界が違う美というものをまざまざと思い知らされた。


 ハリウッド映画女優が霞むような繊細さと優美さを兼ね備えている。特にリリアーヌの美しさは、この安普請の一室からは隔絶していた。


(うう、なんというまばゆさだ。一緒にいるだけで、なんか手汗とかびっちょり出てくる。昔の俺は、よくこんなカワイイ子たちと平気で喋ってられたなぁ。今なら三十分一〇万出しても不可能すぎるレベルの逸材)


「俺は今年で二十八になった。はは。つまりはふたりとはひと回り以上年取っちまったわけだ。なんか、隔世の感があるつーか。すっごく遠い昔の話に思えるよ」


「そんな……カズサさま。わたくしたちからすれば別れたのは去年の話でございますのよ。そんなふうに、過去の話にされてしまうと、悲しいです」


「しかたないさ。俺は、とんだ浦島太郎だ。なんか、ガッカリさせちまったな。こんなジジイになっちまってよ。って、んでべっ!」


 ぐしゃぐしゃと頭をかいていると、鼻の頭を指先でぺしんとはたかれた。クリスだ。


「もうっ、勇者さまったら。またそんなふうにご自分のことを卑下しなされて。そういう癖は直すよう、常々いっておりますのに。もう、もうっ」


「ご、ごめんよクリス」


(ああ、なんだか懐かしいな、このやり取り)


 ひとつだけ年上ということで、稀代の勇者と姫付きのメイドという身分を超えクリスはよく年上ぶっていた。


 三十路前の今の自分から見ればただかわいいだけである。


「もう、なんです。ニヨニヨしておられて。ちょーっとばっかり私より年上になったからってクリスはクリスなんですからねっ」


「あーはいはい。わかったわかった……」


 魔王討伐の旅の途中、野営地でこうやってよく叱られた。


 上総は不意に目頭が熱くなってそっぽを向いた。


「カズサさま?」


「勇者さま。なにか私の口ぶりが気に障りましたでしょうか?」


 おろおろとクリスが心配げに顔を覗き込んでくる。若い女性特有の香りと膝の上に乗せられたクリスの手の温度が目の前の現実に厚みをさらに帯びさせ、いい知れぬ感情が沸き上がってきた。


「いや、そうじゃなくて……年のせいか……なんだか涙腺がゆるくなってさ……あはは……でもうれしいのはホントでさ……また会えるなんて……もう一度おまえたちに会えるなんてよ……ッ」


(泣くんじゃないよ上総。これじゃまるでホントに涙もろいジジイじゃんか)


 下唇を噛んで我慢するとそれが伝わったのか、リリアーヌとクリスが再び顔をくしゃくしゃにして身体にしがみついてきた。


 彼女たちロムレス人は日本人などよりも遥かに情に動かされやすく、入れ込みやすい。


 一度心を許した相手にならなおさらである。止まったはずの再会時の感情が再び高ぶってきたのか、声を押し殺して啜り泣きをはじめた。


「カズサさまあ……」

「勇者さまぁ……」


 ――う。だから俺が泣いてどうするんだってよ。落ち着けよ、俺。


 そんな湿っぽい愁嘆場を繰り返していると、不意に入り口の扉が勢いよくガンガン叩かれ出した。


「わ、悪いふたりとも。なんか、誰か来たみたいで」

「雪村さん。雪村さん、ご在宅ですか?」

「は、はい。今開けますー」


 こんな時間に誰だろうと慌てて玄関のドアを開くと、そこには数人の近所の人を従えたふたりの巡査が困ったような顔でジロジロと上総の顔や家の中を見回していた。


「雪村さんですか? 派出所の者ですが近所の人からあなたの部屋から女の泣き声が聞こえてきたって通報がありまして。なにかお困りごととかありませんかねぇ?」


「ん――んぐっ」


 このあと上総は友人である劇団員の女性が訪ねてきているということで上手く誤魔化し、なんとか押し通した。


 警察も主立って被害が見受けられるわけでもないのでそれ以上はなにかをすることもできず、なんとか返すことに成功した。


(ふーっ。まずったなぁ。けど、異世界がどうの、勇者がどうのといっても信じてもらえるわけもないしなぁ。ヤク中だと思われんのが落ちだぜ)


「どうしたのでしょうかカズサさま」

「なにか不都合がありましたのでしょうか」


 寝室にいたふたりが心配そうに覗き込んできた。


「いや。ちょっと夜中で声が大きいって怒られちゃったよ。ここ、アパートだからさ。朝早い人も多いし。それに、もう夜も遅いしさ、詳しい話は明日にしないか」


 時計を見ればすでに深夜の一時を回っていた。


 こんな時間に啜り泣く女の声が響けば迷惑には違いない。


 上総は至って常識人であった。


「それもそうですねぇ。郷に入っては郷に従えですね、姫さま」


「うんうん。じゃ、とりあえず今日はお開きってことでいいかな」


「ところでカズサさま、そろそろこの物置き場から出てカズサさまの部屋に移動したほうがよろしいのではないでしょうか?」


「え」

「え」


 上総とリリアーヌが顔を見合わせる。クリスはきょとんとした顔で不思議そうにふたりの顔をかわるがわる眺めた。


 ――とてもここが今の自分の部屋だといい出しにくくなった上総だった。






「ええと、そうだな寝る前にシャワーくらい浴びたいよね。じゃ、使い方教えるからこっちで」


「すみません、カズサさま。わがままばかりいって」


 リリアーヌたちがもじもじしているところにピンときた上総は彼女たちをバスへと案内した。


「狭くて申し訳ないんだが。身体はここで洗ってくれい」

「ここは……?」


 ふたりを風呂場に案内すると、ようやく落ち着いたことで周りを見る意識が生まれたのかきょろきょろと物珍しそうにそこらじゅうのものに興味を示し出した。


「ここがバス。ほら、この蛇口を捻ると湯が出てこの浴槽内に溜まると。シャワーを使いたいなら、ここんところをぐるっと捻る」


「わ。お水が出ました」

「すごいですねっ、姫さま」


「赤いのはお湯、青いのは水が出る。いいか? 間違ってもお湯出そうとして水出してびっくりいやーんとかはやめてくれよな。俺はお約束ってのが案外嫌いなんだ」


 上総はヘッドから出るお湯をしゃわしゃわ手に当てながらジーッとおとなしく水量を見ていたクリスを牽制した。


「ちっ。その手がありましたか」


 クリスは目を細めるとパチッと指を鳴らした。


「ク、クリス……? どうしたのですか?」


(リリアーナはともかくクリスはどんな状況でも面白がって爆弾をぶち込んで来る癖があるのだ。ああ、そうだ。だんだん思い出してきたぞ)


 ともあれ使い方を説明したところで上総は扉を開けて洗面所に出た。


 キッチンルームにはいつの間にか見慣れない膨大な数のトランクがゴロゴロと置いてあり呆然としてしまう。


「こ、これはいったいなんなんだ……?」


「あー。それですかぁ。姫さまや私たちのお着替えや生活道具一式ですよー。いやあ、勇者さまぁ、苦労しましたんですよ。城の者たちにナイショでいろいろ持ち出すのって。結局こんなにコンパクトになっちゃいましたけど、ま、結果オッケーてことで」


 クリスはころころ笑いながらばたんばたんとトランクを開いてゆく。たちまちキッチンルームには色とりどりの様々な女物の服であふれかえった。


「すみませんカズサさま。本来ならば、もう少しマシなものを持ち出す予定でしたのですが、自室のクローゼットにあったのは普段着ばかりで。あ、でも、こちらの世界で新たにあつらえれば問題はないかと……」


「あ、あはは。ま、ま、その内にね」


(しくったわー。こいつらマジもんのお姫さまやった。えっと確か今着てるドレスだって確かに前値段聞いたとき日本の値段でも数百万とかいってたよなぁ……あは、あはは)


 上総はとりあえずレンジでチンした値引き弁当二八〇円を持って自室に移動した。


 パキッと割り箸を割って、まだホコホコ湯気を立てるから揚げにぶっ刺し口に運ぶ。


 この安っぽくて身体によくなさそうな粗悪の脂が彼を現実へと引き戻す。


「えっと、俺の手取りが十九万だろ。ここの家賃が六万で、それからこのふたり分の食費と生活費と、ドレス代……あ、あはは。どうしようか」


 実際問題、口約束であるがリリアーヌとは結婚の約束らしきものを交わしている。


 彼女も二度とは王国に戻れない覚悟で異世界転移の術を使い日本にやって来たのだ。


 ここで上総が面倒を見ないという選択肢は当然あり得ない。


 もちゅもちゅと、潰れたような安い米を噛みつつ、魚のフライやポテトサラダを交互に口へ運び、弁当を完食してペットボトルの茶を飲み干す頃には覚悟は決まっていた。


「なんとしてもふたりを養っていかなければならない」


 決意も新たに食い終わった弁当容器を袋に放り込み割り箸をへし折った。






「大変素晴らしいお湯をいただきましたわ」

「とってもほっこりしましたー」


 ゴミを片しているとリリアーヌとクリスがさっぱりした表情で部屋に入ってきた。


「よ、よお。もう、出たのかな」


 ふたりとも今から就寝するということで薄い夜着に着替えている。


 リリアーヌは白、クリスは黒のぴったりとしたベビードールを着ているのでメリハリのある身体が否応なしに目について上総は非常に落ち着かない様子であたふたし出した。


「? どうかいたしましたか、カズサさま」


「あ、あはは。なんでもないよ。ホントになんでもないから」


 スッとあたりまえのようにリリアーヌが身体を寄せてくる。


 説明しておいたシャンプーとボディソープは上手く使えたようでふんわりとしたよい匂いが漂い上総は長らく女っ気がなかったこともありあからさまに挙動不審になった。


「ふふふ。姫さま。そういじめてしまってはいけませんよ。勇者さまは久々の床入りで照れてらっしゃるのです」


「まあっ。もう。もうもうもうっ。カズサさまったら。お気が早いのですから」


「ちょ、ちょーっと待った! あいにくだがそういった時間はもうないぞ。明日も早いから、今日は。な」


 リリアーヌもクリスもなぜかやる気満々だったらしく、この言葉に唇を尖らせるが上総はふたりまとめて相手にすることに物怖じし、日本人特有の「問題の棚上げ」を行った。


「この部屋にはベッドがひとつしかないから、悪いけど」


「確かに小さいですねえ。勇者さまのいうとおり、今夜はここでふたりそろってお情けを頂戴するのも難しそうでよ姫さま」


「ま。わたくし、大きな声を出してしまったらどういたしましょう」


「あ、あのなぁ。絶対ふたりともわかってからかってるだろう」


 軽く脱力するとリリアーヌとクリスがそろって楽しそうに微笑んだ。


「だって、カズサさま。からかうとかわいいんですもの」


「あ。ひとつ提案があります。ベッドが無理なら、久しぶりに三人で一緒に並んで寝るのはどうでしょうか!」


 クリスが閃いた! というように軽くぴょんと跳ねながらいった。ばよんと、中々に大き目の胸が弾む。


「お、おう。そうだな。昔を思い出して仲よくみんなで川の字になるか」


 上総は忙しく視線を上下に動かしながらクリスの意見に同意し、ベッドの下に毛布を二枚並べ寝る態勢に入った。


 電気を消すと部屋はたちまち真っ暗になる。薄汚れた窓ガラスの向こうには、煌々ときらめく眠らぬ街の灯りがぽつぽつと見えた。


 無論こと、右側にリリアーヌ、左側にクリスと両手に花である。


 ふたりはあたりまえのように上総の両腕を取るのでたわわな胸や太腿の感触が直に伝わってくる。上総は自分で良識派のセリフを吐いておきながら朝まで理性が保つかどうか確信が持てなかった。


「……な、なんか悪いな。せっかく来てもらったのに、こんな待遇で」


「カズサさま。わたくしたち旅の途中で野営などいつものことだったじゃありませんか」


「姫さまのいうとおりですよー。野天に大地を褥にしたことを思えば、不満などなにもありませんよう」


「悪い。実は薄々感づいていると思うけど、俺、こっちの世界じゃぜんぜん成功してない」


「カズサさま……」


「むしろ底辺だと思う。これから、なんとか目途がつくまで一生懸命頑張って働くつもりだけど、不自由があるかも知れないし、そこんところ予め謝っておこうと――」


「カズサさま。め! そこまでっ」

「んぐっ――ちょ、なにを」


 横に寝ていたリリアーヌが両手で上総の顔を掴んでぎゅるんと無理やり顔を捻じ曲げた。


 リリアーヌの瞳。黒々とした目は力強く上総を見据えていた。


「わたくし、カズサさまが思うほどそれほどおバカでも世間知らずでもありませぬ。贅沢で満ち足りた暮らしをしたいと思えば最初から城を出てなどおりませぬ。あなたさまが、あなたさまがこの世界にいるからわたくしはすべてを捨ててここにやって来たのですよ。あのドレスを持ってきたのだって、困ったときに売り払って生活の潰えにしようと思ったからです。


それに苦労ならばともにさせてください。あの魔王討伐の旅で下々の人々がパン一枚を得るためにどれほど労苦を支払ってきたか、この目でしっかり見てきたつもりですの。わたくしとクリスを頼ってください。なにができるかはわかりませんが、暮らしの金銭が必要とあらばわたくしもクリスもどんな仕事だってやってみせます。だから、そんなふうに謝らないでください。お願い、お願いだから」


「姫さま。ええ、勇者さま。姫さまの仰られるとおりです。私にできることがあるのならば、どんどんいいつけてくださいね。子守でも洗濯でも掃除でも炊飯でも、なんでもやってのけますとも」


 ――なんだ。一番なんにもわかってなかったのは、この俺じゃないか。


「ありがとう、ふたりとも。俺、リリアーヌとクリスのことなんもわかっちゃいなかったな。これからは、三人で力を合わせて頑張ろう。メサイアパーティー復活だな」


「そうですよカズサさま。今度はわたくしたち家族のため、戦いましょうね」


 リリアーヌの笑顔。もう見られないと思ったものがまた見れたことが、本当の奇跡だと上総はまた泣きそうになり毛布に顔を埋め耐えた。


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