税務その十二 最終章
私は藤村蘭子。実相寺沙織税理士事務所の所長代理を仰せつかっている。
先日、その沙織先生が、
「事務所を休業します」
と突然言い出し、そのせいで総務の植草薫さんが激怒し、大騒ぎになった。
結局、沙織先生のお父上である近藤力先生が取り成してくれて、事なきを得たのだが、何となく波乱万丈な予感がする。
それから……。
私は、飲み仲間の尼寺務君に、
「大好きです。付き合って下さい」
と告白された。驚いたけど、嬉しかった。只、お酒の力を借りないで告白して欲しかったなあとは思った。でも、あの尼寺君が、告白したのだ。高校の同級生が知れば、天地がひっくり返ったように驚くだろう。誰にも教える気はないけど。
「今度はアルコール抜きでお話しましょう」
尼寺君には、ダメ出しのつもりはないけど、そういうメールを送信しておいた。それはそうだ。酔った勢いで言っておいて、
「言ってない」
とか言われたら、喜んだ私がバカみたいだし。
「藤村さん」
ふと顔を上げると、ニコニコした植草さんが私を見ていた。
「な、何ですか?」
植草さんがあまりに嬉しそうなので、私は身構えてしまった。
「何かいい事あったでしょ?」
「え? どうしてですか?」
私はギクッとした。植草さんはサッとコーヒーを出してくれて、
「最近、いつもニヤニヤしているから。違ってたらごめんなさいね」
「あ」
いけない。顔がニヤついているようだ。仕方ないですよ、人生初の「告られ体験」をしたのですから。
ああ、でも自分が不思議。恋なんてしない。そう思っていた頃が嘘のようだ。まだ、尼寺君が本気で告白したのかわからないんだけど。かと言って、確かめるのも怖いし。
「そうかあ、彼にプロポーズされたんですね?」
植草さん、それは暴走し過ぎです。
「私、彼氏いないですから」
苦笑いをして言う。植草さんは給湯室に戻りながら、
「あれ、そうでしたっけ? 高校の同級生の彼氏がいるって、東山さんが言ってましたよ」
東山さん……。近藤税理士事務所の可愛い後輩だが、こういう時は憎らしくなる。
「違いますよ。彼は只のお友達です」
「芸能人みたいな答えね、藤村さん」
植草さんは愉快そうに笑い、給湯室に姿を消した。
「ふう」
もう! 錦織さんもそうだし……。あの二人、今度お説教しないといけないみたいね。
朝からいろいろと考える事が多かったが、いつもの業務に戻る。今日はあの「らーめん王」の会計監査だ。一度尼寺君が調査に来て、修正申告をした。その後は社長も奥さんも、心を入れ替えて、真っ当な帳簿をつけてくれている。
「いらっしゃい、藤村さん」
奥さんがニッコリして言ってくれる。丁度休憩時間で、従業員さん達は厨房で遅い昼食タイムだ。
「二階へどうぞ」
元々、帳簿はしっかりしていたらーめん王は、監査も短時間で終わるため、この時間にお邪魔している。
「その後どうなの、あの彼とは?」
「は?」
ああ。この店で、妙な話になったんだっけ。奥さん、まだ覚えているんだ。
「この前さ、悪いとは思ったんだけど、話を聞いちゃってさ」
「え?」
何? 何の話?
「居酒屋で、藤村さんとあの税務署君が話しているのを見ちゃったのよ」
「ええ!?」
私は顔が真っ赤になるのを感じた。
「税務署君、酔った勢いで、藤村さんに告白してたわね」
奥さんは嬉しそうに言う。とんでもないところに、とんでもない人がいたものだ。
「酔ってたからですよ。きっとふざけていたんです」
私は苦笑いをして応じた。すると奥さんは、
「そうかなあ。その後で、藤村さんが『こちらこそ、よろしくね』って言ってたのも聞こえたんだけど?」
「……」
言い訳できなくなってしまった。顔が火照る。
「恥ずかしがる事じゃないのよ、藤村さん。別に彼、妻帯者じゃないんでしょ?」
「はい」
このまま消えてしまいたい。本気でそう思った。
「だったら、堂々としてなさいよ。何も恥じる事なんかしてないんだからさ」
「はい」
そこへ社長が上がって来た。
「全く、お前はデリカシーの欠片もないんだな」
「何でよ?」
奥さんは社長の言葉にムッとする。社長は奥さんの隣に胡坐をかいて座り、
「藤村さんがどこの誰と付き合おうと見て見ぬフリをするのが、大人ってもんだろ? だからお前はバカだって言われるんだよ」
「何でバカなんだよ!?」
あああ、私の事で揉めないで下さい。
私はササッと仕事をすませ、社長がラーメンの新作を勧めるのを丁重にお断りして、事務所に帰った。
「お疲れ様、藤村さん」
事務所には沙織先生が来ていた。先生は来客用のソファに座って、すっかり寛いでいる。仕事しないのかしら?
「お疲れ様です」
私は微笑んで言った。そして、自分の席に着く。
「聞いたわよ、藤村さん。プロポーズされたんですって?」
「はあ?」
すると給湯室から植草さんが飛び出して来た。
「沙織、その話はダメよ!」
「ええ、どうして? 私、父のところで、錦織さんから聞いたのよ」
沙織先生はキョトンとしている。錦織さんから聞いた? どういう事?
「藤村さん、今付き合っている人がいるんでしょ?」
沙織先生は相変わらずのマイペースで尋ねて来る。私は苦笑いをするしかない。
「いえ、付き合ってはいないです。只の飲み友達ですよ。それは錦織さんも、東山さんも知っています」
「フーン、そうなんだ。でも、この前は、二人を誘ってくれなかったって言ってたわよ」
い……。まずい。
「で、気になった錦織さんがこっそり居酒屋に行ってみたら、藤村さんが彼氏に告白されていたんですって」
「……」
錦織さんにまで見られていたのか……。証人がたくさん出て来たよ、尼寺君。
「彼がふざけて言ったんですよ。だから、プロポーズなんてされていませんよ」
沙織先生はガッカリした顔で、
「そうなの?」
錦織さんは、どうやら私の「返事」までは聞いていなかったようだ。
「沙織、その話はここでは禁止よ。もうしないでね」
植草さんが釘を刺してくれた。まるで私は「お局様」扱いだ。
「わかったわよ、薫」
でも、沙織先生は嬉しそうだ。何か企んでいるのだろうか?
「藤村さん、仲人はウチの父にやらせてね」
「はあ……」
だから、全然そんなところまで進展していないですから……。何なのよ、全く。
そんな散々な一日が終わり、私はアパートに帰った。すると、尼寺君から携帯に着信。
「はい」
私の声は自然に弾んでいた。
「ふ、藤村さん、話があります。これから会えませんか?」
「ええ。どこですか?」
私は声をひそめた。また誰かに聞かれているような気がしたのだ。
「税務署の近くにコーヒーショップがあります。そこで待ってます」
「わかりました」
何だか事務的な口調の自分が情けない。私は携帯をバッグに入れ、元来た道を戻った。
コーヒーショップの窓際の席で向かい合って座る私と尼寺君。何かとても緊張する。
「すみません、急に呼び出して」
「いえ。何でしょうか?」
私は、尼寺君がこの前の事を何も覚えていないという前提で話を進める事にしていた。
「この前は、酔い潰れてしまって、申し訳ありませんでした」
「その事なら気にしないで、尼寺君。私が散々迷惑をかけているんだから」
「はあ」
尼寺君は頭を掻いてニコッとした。何故かドキッとしてしまう。
「あの」
彼は居ずまいを正して私を見た。
「はい」
来る。そう思った。ドキドキして来た。
「僕、実は今月で異動になるんだ」
「え?」
意外な話だ。そう言えば、六月って、税務署の異動の時期か。
「長野県のI税務署に行く事になったんだ。それで、どうしても、その前に藤村さんに話しておきたい事があって……」
私も居ずまいを正した。尼寺君が異動? 長野県のI市って、随分遠いな。
「藤村さん」
尼寺君が真剣な眼差しで私を見ている。私は気圧されそうになったが、何とかその目を見つめ返した。
「貴女の事が大好きです。僕と付き合っていただけませんか?」
ああ。シラフの尼寺君に、告白された。
「え?」
尼寺君が驚いている。どうしたんだろう?
「藤村さん、泣かないで。ごめん、僕が急に変な事を言ったから……」
ああ。私、涙を流していたのか。自分で気づかなかった。
「違う。違うの、尼寺君。嬉しいの。嬉しいから、泣いてるのよ」
「……」
尼寺君が固まった。動かなくなった。私は涙を拭って、
「尼寺君?」
それでも彼は無反応だ。
「尼寺君!」
ちょっとだけ声を大きくした。それでも、静かな音楽が流れている店内には大き過ぎたようだ。皆が私達を見た。尼寺君も戻って来てくれたので、ホッとした。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「藤村さん……」
今度は尼寺君が泣き出してしまった。
「ああ、尼寺君!」
私ももらい泣き。良かった、今日という日が、こんな形で締めくくれて。
「どうぞ、遠慮しないで」
告白されたその日に自分のアパートに男を呼ぶなんて、と田舎の父に怒られそうだが、尼寺君はこの部屋、二度目だし、いいよね、お父さん?
「は、はい」
尼寺君は緊張した顔で靴を脱いだ。
「これから、忙しくなるわね、尼寺君」
「あ、うん、そうだね」
さっきからずっとボンヤリした感じだ。
「藤村さんに、一緒に来て欲しいなんて、とても言えないし、こんなタイミングで告白したのを申し訳ないと思ってます」
尼寺君は、頭を深々と下げた。私は笑って、
「大袈裟よ、全く。きっかけが欲しかったんでしょ?」
「うん……」
照れ臭そうに答える彼が、とても愛おしくなる。
「私は一緒には行けないけど」
「やっぱり……」
少し期待してたのかな、彼? いくら何でも、このまま長野に一緒に行くなんてできないわよ。
「一緒には行けないけど、いろいろ片付けたら、追いかける」
「え?」
尼寺君は、バカみたいに口をポカンと開けたままだ。私はクスッと笑って、
「何よ、後から行くと迷惑なの?」
「そ、そんな事ないよ!」
何か、ようやくシックリ来る会話だ。これからもこんな感じで続いて行くのかな、私達?
「あ、あの」
「何?」
妙に赤い顔の彼を見て、私はギクッとした。そんな事、考えていないとは思うけど。
「抱きしめていいですか?」
尼寺君は爆発しそうな顔で尋ねて来た。私はおかしくなって、
「はい」
と笑いながら応じた。そして彼がスッと私の身体を抱きしめてくれる。
「尼寺君」
「藤村さん」
私は彼を見上げて、
「ねえ、苗字で呼び合うの、やめにしない?」
「え?」
何故かビックリする尼寺君。
「ね、務」
私が先陣を切ると、尼寺君は、いや、務は、
「ら、蘭子さん」
「だから、さんは付けない!」
「は、はい!」
ああ。やっぱりこんな感じなの、私達って……?
でも、これから。私達のともに歩む人生は、これから……。
税理士事務所員藤村蘭子の会計日記 神村律子 @rittannbakkonn
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