第29話 村上⑷

 自由の身。今、頭に“不”が付いた。


 俺以外の人質たちは後ろに両手を、そして同じく結束バンドで縛られた。鋭く細い針を喉元に突きつけていたゴスロリ服の女の子もさっき蹴りを入れたグラサンの男性も、皆例外なく。


 中の倒した2人は、後から来た覆面2人に抱えられている。一方は、顔全体が赤く腫れ上がり、欠けたメガネをかけていた。もう一方のカラーボール男は顔の左半分を赤く、その中心部分は青紫色に染め上げられていた。同じなのは、両者とも首を垂れ下げており、右腕を別の覆面男の首に通され、無理矢理立たされていることぐらいだ。足はもう機能しておらず、引きずられてる。意識を失っているのは明らかだ。やはりよっぽど強い一撃だったんだろうな……


「残念だったな」


 最後の俺が同じように結ばれると、リーダーはそう口にした。覆面集団の先頭に立ち、誇示している。


「まだ助けには来てくれない」


 その口ぶりから、警察とはもう交渉をし終えたということが推測できた。ていうか、連絡取れたのかよ……妨害電波が云々とかに言ってたことに左右されず、素直に貪欲に電話かけておけばよかったと心から後悔する。


「野放しにしてりゃ、盗むどころの話じゃなかった」リーダーは不敵に片方の口角だけ上げた。「たまには痺れを切らすのも悪くないかもな」


 視線を上げたリーダー。目が合ったのか、残りの2人の覆面男も笑った。被っているから表情がどうかは定かじゃないけど、鼻から短く低い息を吐くような声をしていたから、俺らを嘲笑ってるんだろう。


「どうだ?」


 リーダーは仲間の一人に近づくと、頭で指した。先は、抱えられているカラーボール男。


「息はしてるので死んではいないのですが、起きる気配がなくて……」


「睡眠薬でも飲まされたってか、んにゃろう」


 リーダーは不満そうに眉間にしわを寄せた。


「ビビリで話し下手だから人質の中に紛れ込ませたってのに、バレた上に伸びちまったら意味ねぇよな?」


「えぇ……」反応に困っている様子。


 リーダーは顔を動かさずに我々一瞥すると、また顔を戻した。


「第一、こいつが銀行で大袈裟に言うから、警察がもうとっくに来たんじゃねえかって慌てて逃げて、籠城だろ? こいつのせいで色々予定が狂っちまった」


 リーダーはよく喋る。独り言のようにペラペラと。相当不満でもあるのだろうか。それとも、一つの懸念が無くなり、安心しているのか。


「えっ?」抱えている男は素っ頓狂な声を出した。


「んだよ、なんか文句あっか」


 何も文句は言ってないはずなのだが、突然何故かリーダーは口調を強めた。だから、「い、いえ……」と怯んで黙った。


「とりあえず、そのままでいい」


「けど、あれは?」


「使い方は聞いてる。なに、目を覚まさなけりゃ置いていきゃいいだけの話だ」


 リーダーが非情に告げると、元いた先頭へと戻る。が、途中で止まる。あのグラサンの男性の隣だ。


「お前」グラサンの男性は顔を向けた。「何人倒した」


「何人って、見りゃ分かるだろ。そこで伸びてるヤツらだけだよ」


 リーダーは反応しない。だから今、至近距離で顔と顔を近づけ、見合っている。


 緊張感で長く感じた数秒の後、リーダーは鼻息荒く吐いて「まあいい」と顔を逸らした。そして、歩みを再開する。


 自由な効かない不利な状況なのに、持っている武器をいつ振り回すか分からない相手なのに、グラサンの男性は怯むことがない。変わらずどしっと構えており、声は全く震えていない。何が来ても跳ね返さんばかりの気概を全身からひしひしと感じる。一体、何者なんだ……


「いいか」


 先頭に着いたリーダーは首から上だけをこちらに向けてくる。その目は冷淡で悪意を持っていた。


「お前らは店に戻してやる。当然、ただでは返さない。多少、痛い思いはしてもらう。逆らったらどうなるか、他の奴らに教え込むには丁度いい機会だ」


 小さい悲鳴が上がる。聞き覚えがある。これは、あの足の長い女性のだ。


「が、その前に少し利用させてもらう」


 視線が人質から仲間へ移る。


「ダレンは左、ソルは右の後方で見張れ。妙な真似したらすぐに言え。何だったら撃て。いいな?」


「「はい」」同時。どれだけ統率がとれているのだろうか……


 顔は再度俺たちに向く。


「いいか、喋るなよ」


 目で釘を刺すと、リーダーはおもむろに歩き出した。


 来た道を引き返す。全て逆方向に進んで行く。まず、左に曲がり、例の天井からぶら下がった長方形の看板を通り、十字路にさしかかる。真ん中にはあの三角形の館内案内図があり、そこを左に曲がる。幾つかの同じような見た目の十字路と店の数々を過ぎていく。一歩一歩前に進むたび、次から次に不安が募っていった。これから何をしようとしているのか、ペナルティとは何なのか。全く分からないことだらけ。緊張と恐怖と不安と疑問と……様々な素因によって、心拍数が上がっているのを感じた。


 2階と3階にある短い連絡橋を通過する。急に動きが止まった。正確には一番前が、リーダーが急に立ち止まったのだ。


「出てこいっ!」


 館内に響き渡るリーダーの叫び声。遠くの誰かに聞かせる程の音量に体が慌てて反応する。ガラスに反響した怒号は何度も耳をかすめながら減衰していく。まるで山びこのようだ。


「いるのは分かってるんだよっ」またしても怒鳴り声をあげた。


 リーダーは叫ぶのを一旦止め、辺りを見回す。ちらりと視線を左右に向ける。少し後方にいる2人の覆面男達も辺りを見回している。


 それでふと気づいた。何故か尋ねた倒した人数の確認の意味がなんなのか。


 強盗犯は捕まっている俺らを利用して、どこかに隠れている誰かを炙り出そうとしているんだ。


「早く出てこいっ!」


 リーダーはこれまでで一番大きな声で叫んだ。ここまで来るともう絶叫と寸分違わない。中には怒りが込められているというのもひしひしと伝わってきた。すると、左のほうで物音が。見ると、肩に担がれていたメガネの男ことターキが意識を取り戻した。


「大丈夫か」


 肩から腕を下ろし、声をかけると、「うぅ」と小さな呻き声を返事代わりに上げた。まだ通常モードとはいかないようだ。というか、顔はボロボロで、メガネもほぼ機能していない今辺りが見えているのか疑問だった。


 リーダーも一瞬目をやるが、すぐに戻す。


「お前らのせいでこいつらが死ぬことになるんだぞっ!」


 またしても足の長い女性が短い悲鳴を上げた。俺も悲鳴こそは出なかったものの、毛虫が這うような悪寒が背筋を駆けた。脅しなのか本心なのか分からないからこそ、逆に怖かった。


 すると、リーダーが銃を構えた。左手の奥の方にある店の陰から男女が出てきたからだ。5人の姿がここから10メートルぐらいの辺りに見える。館内スタッフだったり、青い作業着を着た人だったり、キャリアウーマンっぽい灰色のスーツを着た女性だったりと、バラバラの服装だ。しかし、各々が人質を取っている犯人たちのように、マスクを被っていることと何かを構えていることは共通していた。遠目だからよく見えないが、手にしている のはおそらく、銃。


「ハッ、俺らと同じ覆面集団ってことか。こりゃ面白いな」


「外すんなら一緒にだ」


「別に構わねぇよ。んで、お前らなのか? 色々と俺らの邪魔をしたのは」


「……ああ、おそらくな」


 少し遅れて返事が来る。言葉を発したのは、相手陣営の先頭にいる男性。脇には小さい何かを抱えている。


「銃を下せ」


「下す気はない」相手はより大きく言葉を述べてくる。


 リーダーは、ハッと鼻で笑う。「そのセリフ、立場をわきまえてから言うべきだぞ」


「分かってる。だから、わきまえてきた」その男性は脇の何かを高々と見せた。「これと人質を交換しよう」


「それは……」


 俺は目をこらす。おそらく絵だ。


「ナルバル・カットサムの絵か?」


 目の色が変わったリーダーの問いに、相手は「そうだ」と返した。


「これはかなり価値がある。売れば相当な金額だ」


 リーダーはぼそりと「そうか、警察じゃねえのか」と呟くと、「1枚で7人ってのは都合が良くねえか」とまた声を大にした。


「だとしても、人気上昇中の画家の絵だ。ブラックマーケットで売れば、そっちの要求してる身代金より遥かにいい金額を手にできる。どうだ、損じゃない取引だろ」


「絵に間違いないって保証は?」


「じゃあなんだ? 即席で絵を描いて見せてるっていうのか。こんなに細かなところまで筆を走らせたってか」


 挑発めいた口調で言うと、沈黙が流れた。俺の心臓からは変なものでも注射されたのではないかと思うぐらい、激しく鼓動を打っていた。全身を流れる血液のスピードもF1レーサー並み。銃を構えた状態だからこそ、静かだからこそ、より強く感じた。


 リーダーは銃を下した。それを見て、相手も銃を下す。全員が銃を降ろしたのだ。拘束されていた緊張から抜け出し、俺は深く息を吐いた。十数秒ぐらいなんだろうけど、途方もなく長く感じた。


「じゃあ、互いに1人ずつ前に出して……」


「その前にっ」リーダーは声のボリュームを増させて、相手の話を遮った。「2つ、お前らの間違いを訂正させて欲しい」


 そのことに何も言わず、ただ微動だにしない目と顔を向けていた。


「1つ目」リーダーは人差し指を立てる。「俺らは身代金目的に立て籠もってるわけじゃない」


「2つ目」と中指を立てると、すぐに引っ込めた。


「絵画は……」そのまま銃に添えた。「1枚じゃなく全部だっ」


 そう叫び、リーダーはまた銃を構えた。僅かに遅れて後ろの2人も。そして、相手の陣営も銃口を向けてくる。再び息が詰まる。


「どうせもう盗んでんだろ? もっと価値あるものをたんまりと」


 返事はない。ということは……


「正直者だな。だが、今回の場合得はしない。損するだけだ」


「せっかく譲歩したのに、いいのか?」


「譲歩? ただ侮辱しただけだろうが。舐めたこというんじゃねえよぉっ」怒り狂い出すリーダー。体が僅かに震えているのが見て取れた。「人質解放して欲しけりゃ、全部の絵画を寄越すんだ」


「なら、上に見に行け。俺らにはこれとあと数枚しかない」


「嘘つくなっ」


「だから、嘘かどうか判断できるから見に行けと言ってるんだ」


 互いに声が荒くなり、大きくなっていく。マズい空気になっているというのは十分過ぎるぐらい分かっていた。


「そうか」リーダーは縦に小刻みに頷く。「なら、交渉は決裂だっ」


 リーダーは銃を更に上げた。相手も構える。


「逃げろっ!」


 男の声だ。これまでとは全く違う、若い声。直後、「上ですっ」という声が後方から。見えると、上から大量に白い何かが落下していた。


「撃てっ!!」


 リーダー以下全員が上に銃口を向ける。そして、パンッ、という凄まじい数の軽い発砲音が……いや、違う。


 音の正体は、落ちてくる何かの方だ。気づけたのは、蓋のようなものを遠くへ飛ばしながら、何かが弾けたからだ。直後、白いモノがまるで俺らを囲むように落ち、すぐに辺りを白く染めていく。すぐに見えづらくなっていき、同時に冷たさを感じた。


 な、何が起きて……


 すると突然、体が横に。とてつもない力を肩にかけられて、引っ張られたのだ。予想外ことに俺はつんのめる。転ぶ手は後ろだから腹からタイルの床に滑っていき、煙から抜け出していく。ここには落ちていないのか、白さはあまりなく、周囲が見えた。


 だから、店の陰で手招きしている男性がいたのが見えた。紫色の髪に耳にピアスを開けている、という普段だったら怖く感じるはずの見た目だけど、状況からとりあえず抜け出せた安心感と敵ではないと思わる雰囲気によって、今は戦場に舞い降りた天使のように見えた。俺は藁にもすがる思いで、立ち上がり、体を揺らしながら駆け寄っていく。


 他の人質全員が駆け寄っていると気付いたのは、紫色の髪をした男性の足元へ転ぶようにダイブした後だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る