第28話 西⑷

「それって……」


 田荘さんから告げられた話は衝撃的だった。思わず閉口し、息を飲む。一方の田荘さんは、もう状況を引いて見れていたのか、「ええ」と私の反応に冷静かつ真剣な目つきで頷いて返答した。


 その返答で驚きは増して、動揺し、瞬きの回数が増える。だって、田荘さんを通してのみ交渉すると命令されたはずなのに、捜査本部は田荘さん抜きで勝手に交渉を始め、勝手に終えたのだから。言い換えればそれは、犯人との約束を破ったということ。人質がどうなってもいいということなのだろうか。


 最初、再び同じ場に帰ってきた田荘さんは異常なぐらいに沈んでいた。それに、疲れ切ってもいた。ボールを転がしたらコロコロと落ちていってしまいそうなぐらいに、肩が水平から下降気味になっており、腕も地面に引っ張られているのかと思うぐらいに落ち込んでいた。顔もそうだったけれど体の節々でも、それこそ言葉のごとくまさに、体現をしていた。外されたことへのショックからなのか、それとも捜査本部が抜け駆けしたことへの怒りがもう通り越してしまった末なのか。


「けど、中にいる人たちは?」


 犯人からの要求を守らなければ、まず最初に被害に遭う可能性があるのは人質だ。しかも相手は銃器を持っている。もしかしたら……なんて、最悪の事態も十分考えられる。


「安心してください」私の顔が強張っていたのか、田荘さんは少し顔を緩めた。


「犯人は特に言及しなかったそうですし、近くで待機している部隊から発砲したなどの報告はないのでおそらくは」


 発砲したとしても、外まで聞こえない可能性はあるんだと思うのだけど、まあ犯人が何も言わなかったとしたら大丈夫なのかな。籠城までしているんだから、人質を最大限利活用するはずだろうし。


「ただ、状況は刻々と変化します。もしかしたら、ってことも可能性としてはあります」


 付け加えられた言葉に私はまたも動揺する。


「犯人から何か要求は?」


 私は腕の筋肉に力を込め、手首を曲げながら、質問を続けていく。


「いえ。変な動きを見せたら人質の命を保証しないことを繰り返した以外は何も。むしろこちらの要求をのんでくれたそうです」


「はい?」かなり素っ頓狂な声が出た。「何の要求をしたんです?」


「ヘリを用意する時間が欲しい、です」


「そ、それを犯人たちはのんだんですか?」思わず言葉に詰まる。


「やはりおかしいですよね?」


「はい……」私はコクリと頷き、意思表示。


 矛盾している。私が犯人だったら、今すぐにでも逃げたいはず。それに、時間伸ばしなんていうのは、映画や小説でこれでもかというぐらいに頻繁に使われている。よく考えれば、なんとなくそうではないかと察しがつく方法でもある。要するに、警察が何をしようとしているのは分かるはずということ。なのに、わざわざそれをのんだとなると……


「何か相手も策があるということでしょうか」


 もしかしたら、それほど切羽詰まっているのかもしれないけど……いや、違うな。やっぱりおかしい。となると、作戦があると考えたほうが自然であった。すると、田荘さんは「むしろこれ自体がそうなのかもしれません」と予想外な返事をしてきた。


「というと?」


「すんなりと要求を飲んだので、本部も何か裏があるんじゃないかと勘ぐって、逆に手出しができない状況です」


 成る程。「そうやって捜査を撹乱させるつもりなのかもしれないってことですね」


「ええ。逃げる時間は遅れるかもしれないけれど、その分突入までの時間も稼げますので」


 電話がかかってくる。しまっていたポケットから取り出し、見てみると、またしても先輩。「すいません」とまた断りを入れて、体を後ろにして電話に出る。


「もしもし?」


『なんで空から?』


 いきなりだった。


「……はい?」


 なので、聞き返す。何が、だった。頭はポカンだった。


『だから、犯人たちはなんでわざわざ空から逃げようとしてるの? 橋の封鎖を解け、とかでもよくない?? むしろそっちの方がよくない??? そもそもおかしくない????』


「確かに」


 私も疑問に思った。先輩からクエスチョンマークの増えていく問い方をされたからではなく、実際に私も最初そういう要求がなされたのだと少し前から推測していた。というか、引っかかっていた。


 要求なら、例えば橋を開けろとかでもいいはず。車がないのなら、車も一緒に要求すればいい。例えば護送車のような、銃弾とかを避けられる上に何人か人質を乗せられるみたいな。何にせよ、ヘリを要求するっていうのは、この場からこの島から、すぐに逃げたいと思っている人たちのやることではないような気がしてならなかった。


『疑問に思った?』


「はい」


『だったら、あの刑事さんに聞いて』


 えっ?


「聞いてどうするんです?」


『情報を出させるのよ』先輩はためらいもなくそう言った。『まだ隠し持ってるかもしれないでしょ』


 まるで凶器を探す税関職員のような言い方。


「分かりました」


『よろしく』先輩は電話を切る。プープーという虚しい音だけが耳に入ってくる。ため息をつきながら私も電話を切り、しまう。


「どうかしました?」


 チラリを見る。田荘さんが見ている。


「1つ思ってたことがあるんです」思い切って尋ねてみよう。「なんでヘリなんでしょうか?」


「本部の見立てとしては、海外など日本の領域外へ逃げようとしてるという見解です」


「けど」田荘さんは顔を近づけてきた。私も同じ行動をとる。


「俺も妙だなって。ヘリの用意なんて間違いなく時間のことです。そんなことするくらいだったら、人質取って橋を解放して逃げる方がよっぽど手っ取り早い」


「ですよね」私の考えと同じ意見だったことに安心しながら、返事をした。


 互いに顔を戻す。


「一体犯人は優秀なのか、抜けているのか……」


 賛同。籠城犯たちは、色々なことを非効率にしているように思えてならない。偶発的に作用してしまっているのか、考えていないから起きているのか、それとも……


 直後、一つの音がきっかけで辺りが静まり返る。空気が抜かれた袋の中のように、真空状態にでもなったかのように、静寂に包まれる。話していた声が止み、ただ中から流れてくる音が響き渡る。その時、田荘さんの言葉の真偽が分かった。真だ。間違いなく真。だって、今、連続して音が聞こえたのだから。遠く離れたここまではっきりと、破裂音が届いたのだから。


 この音……


 次第に話し声が出てくる。騒がしくなる。左右にいる野次馬たちはざわめき出し、目の前にいる警察は叫び出す。命令が飛び交い、どの捜査官も走っている。


「今のって、もしかして……」


 私が視線を戻すと、もうそこには田荘さんの姿はなかった。見回すと、もうテント前にいた。


 今までに聞いたことがあるのはテレビや映画越しにだけ。かろうじて近いのが、戦争関連のドキュメンタリーぐらい。だから、間違いないとは言えない。けど、目の前の警察官たちがこれほどまでに騒然としている姿から、その裏付けに似た状況から、そうなのだろうと察しがついた。


「今……聞こえたよね?」


「聞こえた。パンパンって」


 隣の女子大生くらいの女の子2人組の会話で確信した。やはりそうだ。そうなのだ。耳に聞こえたのは私だけじゃなかったんだ。


 これまでに聞いたことないけれど、たった8回しか鳴っていないけれど、状況的に分かっていることを繋ぎ合わせたら、この答え以外もう浮かばなかった。


 あの音って……

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