第30話 槇嶋⑹

「分かった」タイガさんが頷く。


「お前らのせいでこいつらが死ぬことになるんだぞっ!」


 下から短い女性の叫び声が聞こえる。タイガさんは体の向きを変えた。


「行くぞ」


「待ってください」すぐさま引き止める。「作戦があります」


「作戦?」タイガさんが眉をひそめた。


「間違いないとは言えません」


 圧に負けて、視線を逸らしそうになる。でも、ここで逸らしたら、信用なんかしてくれない——俺は手に力を込めてしっかりと、まっすぐと見つめた。


「けど、撹乱は出来るはずです」


 タイガさんは苦々しく目を瞑り、瞼を強く結ぶ。


「……どうすれば良い?」タイガさんは目と口を開いた。


 俺は湯瓶さんに目を向ける。


保冷バッグを持ってきてもらえますか」


 それだけ。でも、湯瓶さんは気づいてくれた。「成る程、任せろっ」と背を低くしたまま、ゲームセンターの方へと駆けていった。


 次は翁坂さんとタイガさん。


「お2人は、すぐそこの雑貨屋からタッパーを持ってきてもらえますか」


 俺は指をさしながら、場所を提示する。ここから3つ向こうの店だ。


「どれぐらい?」


「あるだけお願いします」多少は持っているが、とりあえずできるだけ作っておきたかった。


「了解」


 2人も湯瓶さんと同じように体勢を低くし、店に走っていく。

 俺はバッグから飲みかけのコーラとソーダ、そしてまだ未開封の炭酸水2本を取り出し、開けておく。


「お前らか? 色々と俺らの邪魔をしたのは」


 俺は覗き見る。同時に、耳を澄ます。


「……ああ、多分な」


 そこには、人質を取っている犯人らと向き合う形で、遠くに男女の姿が。5人いる。館内スタッフだったり、青い作業着を着た人だったり、キャリアウーマンっぽい灰色のスーツを着た女性だったりと、バラバラの服装。皆、黒い覆面を被り、手に銃のようなものを握っている。さっきいるのは分かってるって言ってたのは、俺たちじゃなかったのは間違いないようだ。


「銃を下せ」


 えっ?


 目を凝らすと、1人だけだったが、銃らしきものを持っているのが見えた。


「下す気はない」相手はより大きく言葉を述べてくる。


 先頭にいる男が鼻で笑う。ハッという声とともに。


「そのセリフ、立場をわきまえてから言うべきだぞ」


「分かってる」相手は全く引くことがない。「だから、わきまえてきた」


 何かを高く掲げた。ちょうど看板が邪魔をして、それが何なのかまでは認識することができない。


「これと人質を交換しよう」


「お待たせ」


 湯瓶さんの声だ。振り返る。で、少し驚く。もう3人ともいたからだ。めちゃくちゃ早いな……まあ、早いに越したことはない。


「次は?」タイガさんは膝を立てて、俺のそばに。


「これでオッケーです。お2人は1階で待機していてください」


「いつ出ればいい?」


「そうですね……」言葉に悩む。


「シンプルに『逃げて』で、いいんじゃない?」


 湯瓶さんが忍び足で近づきながらそう言うと、「だって、そのためでしょ?」と片方の口角を上げながら俺の方を見てきた。


 ああ、そうだ。


「ではそれで」忘れぬよう、脳の記憶部分に刻んでおく。


「じゃあ、行きましょっか」湯瓶さんはタイガさんを見る。


「ああ」タイガさんが反応したのを見計らい、俺は「1つだけ」と声をかける。


「さっき向こうから出てきた人たちがいるんですが、どうやらそちらも銃を持っているようなので、注意してください」


「銃……」タイガさんは視線を落とした。


「どうしました?」


「いや、了解した」


 2人は少し背を起こし、階段の方へと駆けていく。両者とも武器を持っている。


 御武運を——心の中で俺は祈る。


「よし」こっちもおちおちしてられない。まだ支度は残ってる。俺は姿勢を変えて、翁坂さんと向き合う。


「で、何すれば?」翁坂さんは身を寄せてくる。


「タッパーにこれを」


 俺は保冷バッグを持ってくる。三辺がジッパーになっている蓋を開けると、中から、白い煙がもくもくと噴き出てきた。


「これって……?」


「はい」俺は中から小麦粉と厚手の手袋を取り出し、手袋を翁坂さんに手渡す。「底に敷き詰めたら、俺に渡してください」


「……何を作るの?」


 受け取りながらも、眉をひそめている翁坂さん。


です、即席の」


「スタングレネード?」翁坂さんは微かに首を傾げる。


「ええ」簡易版ではあるが、驚かすという効果的には間違いではないはず。「これを投げて、犯人の注意を逸らすんです」


「で、その間に助けてもらう、ってことか」


「ええ」俺は縦に頷き、肯定する。「投げる寸前に蓋を閉めてください。ただあまり強くしないでください。蓋が飛ばなくなるので」


「蓋が飛ぶ……成る程、だからスタングレネードか。了解」


 俺らは一斉に作り始める。翁坂さんは中に入れておいたゴム手袋で次から次に入れて、俺は炭酸を注いでいく。先に蓋を開け炭酸を軽く抜いておいたからか、しゅわしゅわと音を立てるも然程大きくはない。けれど、ドライアイスから出る煙の量が急激に増す。よし、予想通りだ。

 一方で俺は、撹乱のためにドライアイスらと一緒に手に入れておいた小麦粉を空のタッパーに敷き詰めていく。先に少し入れて水を吸わせ、ある程度したら一気に小麦粉を入れる。蓋はまだ閉じない。


「1枚じゃなく全部だっ」


 叫び声が聞こえる。時間がなさそうだ。俺は、「これぐらいで」と切り上げる。まだ4個ずつしか作れてないが、いつでも投げれる態勢になれるようにやめておいた。


「一斉に投げちゃう?」


「いや、1個目はここから。2個目以降や小麦粉入りのはあの角に移動しながらで」


 俺は店と店の間の通路を指差す。相手は銃を持っている。発砲してくるかもしれない。銃弾を防ぐためにも、手間だとしても必要だ。


「了解」


 言葉が返ってきてすぐ、俺はさらに身を低くして準備をする。少しでも破裂する時間を短くしなければいけない。爆発しないけど、なるだけ撹乱が成功するよう、俺は蓋をタッパーの寸前まで近づける。足元には、ドライアイス入りと小麦粉入り両方を並べてある。

 それを見た翁坂さんも、同じように姿勢を低くし、タッパーの蓋を近づけていた。言わなくても察して動いてくれるのは、有り難い。やっぱ、相性いいのかな。


「そんなに上手くいくかな?」不安そうな表情を浮かべる翁坂さん。


「上手くいかせるしかないです」


「……そうだね」翁坂さんは緊張から瞼を強く閉じ、大きく開きながら。「よしっ、やってやる」


 俺も深呼吸して、調子を整える。緊張しないわけない。


「なら、交渉は決裂だっ」


 今だっ!


「逃げてっ!」


 俺は叫んだ。そして、2人同時でタッパーを投げる。間髪入れずに、俺らは店の陰へと思いっきり駆け出した。まるで俺らが逃げるのかのような勢いで。


「作戦、大成功だ」


 膝を曲げ、背を壁につけた翁坂さんは笑う。弾ける音が大きいからか、少し声高に言ってくる。


「ギリギリでしたけど」


 同じ声量で応える。を目視しながら、同様に体を屈めた状態で。どうやら、あっちは撃ってきていないみたいだ。


 音が止む。代わりに、轟音と悲鳴が聞こえてくる。


「お、翁坂さん!?」


 突然、中腰で下が見えるガラス仕切りの前へと動いていったのだ。記者だから気になったのだろうか、翁坂さんは、投げ入れた元いた場所ではないものの、危険なのには変わりない。


「おぉ……」


 覗きながら、俺も隣に行き、ちらりと覗く。下はドライアイスのせいで白くなっているけれど、人質はもういないことは確認できた。銃声は聞こえなかったし、無事逃げられたのだろう。というか、逃げたと思いたい。いるのは、タイガさんだけ。


「来るなぁっ!」


 銃を突きつけられるタイガさん。すぐさま横に避けてショットガンの筒部分を掴み、後方へ引く。相手はよろけて前傾に。タイガさんは取っ手を下から顎へ振り上げる。ぶつかった相手の顔が鞭打つように持ち上がると、崩れ落ちる。すぐさま姿勢を落とし、かかった紐を上手く取って体から離すと、タイガさんは相手の両足を持つ。何をするのかと思いきや、突然振り回して相手の体を浮かせた。驚いてる間もなく、タイガさんは近くのゴミ箱の側面へと投げた。当たった箇所はおかしな程にへこんでいた。勿論、相手は気絶してる。


「テメェっ!!」


 リーダー格の男の声にタイガさんもショットガンを握りながら、走り出した。呼応するように、相手は銃を持ち上げる。


 危ないっ!


 そう思った瞬間、景色がスローモーションになる。相手が銃を構える前にタイガさんは距離を詰める。そして、相手の近くで片足を踏み出し、急に立ち止まる。体勢はそう、バッターボックスに入る野球選手のようにみえた。銃口がタイガさんの顔の辺りに来た時、タイガさんは素早く体を起こした。そして、相手が位置を補正しようとした時、タイガさんは隙ありと言わんばかりにバット代わりのショットガンをフルスイング。腹へもろに直撃。

 タイミングは最高。相手は衝撃で体をくの字に曲げると、一瞬にして後ろのインテリア店へと突っ込んでいった。まるで鋭く打たれた野球ボールのよう。あまりの早さに目が追いつかなかったがそうだ。誇りと煙を上げながら、木製品が折れる激しい音が聞こえ……って、えっ? いやいやいや。何、突っ込んだ!? 店まで数十メートルはあるのに!?


「動くなっ!」


 残りは1人。やはり銃を構える。が、直後肩を叩かれ、振り返った。


「どぅーも」


 にこやかに左手を挙げる湯瓶さん。相手の体が慌てて反応する。一瞬で真顔になり、即座に右手で頬を殴った。男はフィギュアスケートの如く、横に一回転し、元の位置へ。目の焦点の合っていない。そのまま、背中から倒れ、低く面が斜めになっている施設の案内板を破る。見えるのは折れ曲がった足だけ。


「一発でかよ」


 湯瓶さんは右手で髪を掻く。あれ? 指が不自然に光る。何かが反射してるみたい。あれってもしかして……


「メリケンサック……」


 翁坂さんの声に俺は顔を向ける。直後、翁坂さんもこちらを見た。


「だよね?」


 左頬が引き攣っていた。


「ぽい、ですね」


 ほんの少しの沈黙の後、俺らは身をかがめる。当時だった。


「湯瓶さんって何者?」


「ここで偶然会った人でして、敵ではないと思って一緒に行動していただけなので、よくは……」


 首を傾げながら答えると、「なら、俺と一緒だ」と反応が返ってきた。


「てことは、翁坂さんもここで?」


 首肯する。「けど、どこかで見たことあるような気がするんだよね……」

 仕事で面識が、的なやつだろうか?


「そういえば、相手は?」


 翁坂さんの疑問に、俺は思わず「相手?」とおうむ返しをした。


「敵対していた向こうのグループ。あっちも銃持ってたんでしょ?」


「あっ」


 俺は再び盗み見て、遠くを見やる。もういなくなっていた。誰もいなかったのではないか、厳格だったのではないかと思うほど綺麗さっぱりいない。いつの間にか、隙を見て混乱に乗じて逃げたのだろう。

 2人も辺りを確認し、肩の力を抜いた。ということは、もういないのだろう。


 カツンカツン


 何か先の細いもので床を突くような音が館内に響く。位置としては前方。視線を向けると、2階に人の姿を捉えた。下でぐったりしている籠城犯たちと同じ格好をしているが、覆面は被っておらず、眉がない男性だという特徴がよく分かった。


「ヤバい……」


 隣で翁坂さんが呟く。確かにヤバい。だって、銃を持っているからだ。引きずっている片足をカバーするために銃口の先を床に向け、銃を杖のように使っている。先がつくたびにカツンと音が鳴る。さっきの音の正体が分かった。

 けど、それだけじゃない気がする。何か知ってるかのような、そんな声調だったからだ。俺は「心当たりでも?」と尋ねようとした。だけど、それは叶わなかった。その前に、眉なし男が手すりに腕をつき、体を起こしながら、銃を1階に向けた。2人を狙っていると直ぐに分かった。


「死にやがれぇ!」


 ヤバいっ!!


 突如、天井のガラスが割れる。けたたましい轟音を起こし、粒子状になった破片が豪雨のように落ちていく。そして、紛れるように複数の武装した人たちがロープを伝って入ってきた。上だけじゃない。1階の出入口、2階から4階までの駐車場連絡通路とか、とにかく色んなところから、同じ黒い格好をした人たちが突入してきた。

 勿論、俺たちの近くからも。機械で焼き切るような爆音が響いた後、ドアが蹴破られた。相手の手には銃が、もう一方の手には盾が握られている。1人だけじゃない。正確な数は分からないけれど、同じ格好武器を持った人たちがかなりの数いる。


 蹴破った人とその後ろにいる人たちと目が合う。いや、ヘルメットを被っているから、目が合ったのかは分からないが、俺らを捉えたっていうのは間違いない。だって、体を少しばかり屈めて、素早くかつ真っ直ぐ俺たちの方に近づいてくるのだから。

 俺は手を高く上げる。隣の翁坂さんも。手のひらをしっかりと見せた状態で。理由は当然、無抵抗の一般市民ですと示すため。少なくとも、自分たちは危害を加える気はありません、と分かってもらうため。目の前まで来ると、体勢を落とした。続けて、目元のカバーのような黒いものを上にスライドさせる。目と微かに鼻が見えた。おそらく男性だ。


「怪我はありませんか」


「だ、大丈夫です」確定。この人は男性だ。


「そちらの方は?」


 翁坂さんに移す。「同じく」と頷きながら一言一句同じで答えると、相手の男性は視線を斜めに落とし、ヘルメットを少し顔側に押した。


「人質2名を救出」


 外か中か分からないけれど、誰かと通信している声を聞いてほっとする。ようやく安堵できる余裕が出てきた。


 いや、もう認識はできていた。分かってはいた。だって、相手の持っている盾にでかでかと白い文字で、“POLICEポリス”と書かれていたのだから——

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