第16話 安西⑵

「そういえば……我が校について何か聞いてはいますか?」


 校長と別れ、今は教頭と2人、職員室に向かっていた。


「何か、というと?」


 俺は聞き返す。


「例えば、まあそうですね……昔はなかなか荒れていたみたいな」


 「耳にしたことはありますが、私はこの島の出身ではないので詳しくは……」偽の経歴に合わせるように嘘をつく。


「そうですか。まあ詳しく知らない方がありがたいんですが」


「その……荒れてたんですか?」


 もしかすると何か有益な情報を得られるかもしれない。一応話を続けてみる。


 「まあ。特に酷かったのはある生徒がいた頃で」と言うと教頭は俺の顔を見て、「無敵帝牙むてきたいがという名をご存じですか?」


 「いえ」減衰する声で俺は首を傾げるが、まあ知ってる。嫌ってほど十分な。


「今は“”と呼ばれているみたいなんですが、そっちはどうですかね?」


 「知りません」むしろ忘れたい。


「彼がいた頃はもう最悪でした。毎日毎日、喧嘩の繰り返しで、荒れに荒れてまして。我々教師側も苦労の絶えない日がありましてね。それから少しして、ドラゴンとかいう奴と学校外で喧嘩するようになってからは、多少は平和にはなりまして。ここだけの話、こちらは苦労が減ったのでありがたかったですよ」


 「あぁそうだ。“タイガー&ドラゴン”、というのは耳にしたことは?」と教頭が尋ねてきたので、俺は「いえ……」と嘘をつくが、もうそこはどうでもよかった。

 とかいう奴、だと?

 俺は右手を握りしめていく。意識せずに勝手にグーになるが、爪が手に食い込むのは強く感じた。腹が立つ。頭にくる。殴りたい気持ちを抑えた。深く息を吸って吐いて吸って吐いて——


「ですが今では全国模試1位を取ったことのある生徒だっているくらいに——安西さん?」


 意識が戻り、目を開く。どうやら知らないうちに顔を下げていたようだ。


「大丈夫ですか?」


 俺は慌てて教頭を見る。すると、教頭は俺の顔にビクつきながら眉をひそめて、まじまじと見てきた。そこで俺は気づく、俺が相当強い表情をしていたことに。慌てて「あぁいえ、なんでも」とまたしてもぎこちない笑みに表情を変えながら、はぐらかした。

 それ以上触れない方がいいと思ってくれたようで、教頭は「はは……」と同じくぎこちない笑みを浮かべてきた。


「あーえーそれでこちらがその、職員室です」


 手で示された方を見ると、“職員室”という3文字が目に入った。

 「どうぞ」教頭が横にスライドさせる扉をガラガラと開けた。中の様子を見た時、入ったところが後ろだったというのに気づいた。


 左手には女子生徒がジャージ姿の男性教員に「恩田先生はいらっしゃいますか?」と訊ねていたり、右手には給湯室があった。仕切りがないため、中で何人かの教師が雑談を交わしていた。


「これから部活動があるので、今は少ないのですが、ウチは結構教師の数が多いことで有名なんです」


 ネズミ色の片袖の事務机が縦に長く並べられているのを見れば、なんとなくそうだろうなと分かる。


 「こちらへどうぞ」教頭に促され、左手の前方へ向かう。その間に顔は動かさないで目を配る。例のものは……あった。前側の扉のそばだ。


 教頭は大きな黒板の前にある教頭の机近くで立ち止まる。意識を向けていなかったから、俺は慌てて足を止める。


「ここが安西さんの席ですので、ご自由にお使いください」


 ここにある数々の事務机と一緒だが、手で示された俺のは何も置かれていなかった。


「あと、カウンセリングについてなんですが、金曜からでもよろしいですか?」


 何? 本当は今日、つまり水曜からのはずだ。


「実はですね、カウンセリング用に使っていただく部屋の準備がまだ整ってないんですよ」


 今日から調べたかったが、仕方ないか。


「分かりました。では、金曜からということで」


 そうだ。予定よりも早いが、丁度いい。


「もしよければ今から学校を見学してもよろしいですかね?」


 「えっ?」と眉を上げて言われたから、俺は「カウンセリングをする時に共通の話題があれば、円滑に進みますので」とありそうな理由を付けると、「なら、構いませんよ」とどこか引っかかるような気になる言い方をされながらも教頭から許諾を得られた。


「では、案内しますね」


 来られると面倒になるかもしれん。何としても断らねえと。俺は「いえ、お手を煩わせるわけには……」とそれっぽく断る。だが、「遠慮しないでください」と引かないので、「こちらの突然で勝手な申し出です。なので、私1人で大丈夫です」と続け、いつもはしない満面の笑みをした。


 すると、またしても教頭は俺の顔にビクつきながら眉をひそめた。さっきの、職員室に入る前のと同じ表情だ。


「わ、分かりました。では私はここにいますので、何かありましたらいつでも言ってください」


 「はい」怖い顔が有利に、というか上手く働いてくれたみたいだ。「では」俺は職員室の前方の扉に向かう。


 何かいいものは……あっ。足元にコードがある。よし、これに上手く引っかけて——ガタン、バンッ!

 扉から出る寸前でわざとコケ、鍵のかかった壁にぶつかりに行く。


 「だ、大丈夫ですかっ!」心配そうに駆け寄ってくる教頭に、「コードが見えなくて、すいません」と俺は平謝りする。で、辺りを少し整えてから、職員室を出る。


 はぁ……


 もちろんこれから行くとこは1箇所しかない。依頼主の息子の——あぁーまた忘れたっ。とにかく、依頼者の息子が飛び降りた屋上だ。

 学校側は変に飛び降りについて詮索はされたくない、と依頼主は言っていた。カウンセラーとして来てる俺もあくまで外部の人間。例外ではない。つまり、教頭がいたら、「そちらは……」とか言って拒否される可能性が高い。というか、拒否されるのは間違いないこと。行動が制限されると、分かるものも分からなくなる。




 辺りを見回し、誰にも見られていないことを確認する。ドアにはやはり、南京錠がしてあった。だが、まだ新品。つまりは、それまでは開きっぱなしだった、もしくは壊されたり壊れてたりして交換したってことだ。


 とりあえず開けるか……


 俺はポケットから鍵を取り出す。コケた時、こっそり取った鍵だ。付属しているピンクのプレートには黒字で“屋上”と書かれている。鍵穴に差し込む。


 ガチャン——再びドアノブを回す。手応えあり。奥に押す。開いた。


 夕方だから極端に眩しいということはなかったが、それでも眉が思わずひそめてしまう。扉を持って静かに閉める。風が強く吹くが、昼間だからかそこまで寒さは感じない。歩きながら、俺は肩を何度か回す。同時に顔を動かす。普段使わない表情筋を酷使したせいで全身に疲労が溜まっていた。笑みを作るたびに、顔の筋肉がつりそうになった。筋肉痛になんなきゃいいが……


 まずは確認。まず、木の生えてないとこなんて幾らでもある。むしろ生えてるほうが少ない。柵に近づく。錆びた金属でできており、腹の辺りの高さだ。多少身長が小さくても、まあよじ登れなくはないな。と考えると、無理に落とされただけではなく、自殺や事故の可能性も残る。

 俺は手をかけて、体を出して奥側を見てみる。柵の向こうにも狭いが人が立てるスペース、というか窪みがあった。つまりこっちから見て柵、窪み、脛半分くらいまでの高さしかないコンクリ、そして空中の順になっている。


 何で飛び降りたのか……やっぱカギとなるのはその原因だな。休み時間とかに同じクラスの生徒に聞いてみるか。何なら今でも探して……ん? あれは……

 俺は屋上を後にし、急いで校舎裏に向かった。




「何やってんだ?」


 囲んでいた奴らが一斉にこちらを見てきた。見るからにな風貌ではなかったが、向けてきた顔つきからして不良であることは伝わってきた。

 これでもかと威嚇してくるが、構わずそのまま歩みを進めていく。効かなかったからか舌打ちしてから「行くぞ」と1人が言い、全員でバツが悪そうに俺とは反対側へ。すると、手に特徴的な火傷痕がある奴が。ボソリと俺に聞こえないように話したつもりかもしれないが、地獄耳に俺にはしっかり聞こえた。どういう意味だ?


 「大丈夫か?」囲まれていた男子生徒に声をかける。男子生徒は一言も応じず、服についた汚れを落としている。


 さっき屋上から下を見ている時に、複数人に囲まれていたのを目にしたため、急いでやってきた。何か危害を加えられているかと思ったが、傷などは見当たらなかった。


「何があった?」


 それにも答えず、ただ「すいませんでした」と去るとするのを、俺は「1ついいか?」と呼び止める。


「さっき言われてた『忘れんなよ』ってのは、どういう意味……かな?」


 素に戻っていたことに気づき、俺は慌てて口調と声色を変える。だが、それに対しては気になってなかったみたいだ。それよりも俺の問うたの意味を訊ねた途端、男子生徒の表情が明らかに曇る。


「なんでも……ありません」


 なんでもなくはないというのは分かったが、どういう意味なのかまでは分からないまま、男子生徒は「用があるんで」と逃げるように去っていった。

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