第15話 鈴木-すずき-⑴
「楽だったよ、ちょっと囲んだらあっちから金出してきたからさ」「あのハゲ親父、臭いしキモいんだよね〜」「まだ水曜なのかよ……くそダリぃーわ」「あいつマジ死ねっつうのっ」——
教室のあちらこちらから聞こえてくる汚い言葉のやり取りは、12月になった今でも一向に慣れない。昼休みの今でも落ち着かないし、落ち着けない。
うちは昔に比べて偏差値など数字的な意味での向上は確かにしたものの、そこまでで極端にというわけではなかった。結果、生徒がヤンキーだけからヤンキーと普通人の併存に変化した。いや、悪化したと言った方が正しいか。聞いたところによるとかつては、タイガーとか呼ばれる喧嘩のカリスマがいたそうで、当時は彼に逆らわぬようにという自発的な抑制がされていたらしい。今のこの環境を経験している身としてそれはとても羨ましい。とにかく中途半端な成長の結果、分かりやすいカースト制度が出来上がったのが、今の金戸高校なのだ。
こんなこと愚痴る以前に、そもそも俺が受験に失敗しなければよかったのだ、と心と頭で呟きながらため息を吐く。
俺は窓際の前から3列目にある自分の席に着いて、肘をつきながら外を眺めている。これが日課だ。別にいい景色だから眺めているわけじゃない。むしろうちの教室は校舎のせいで日を遮れている中庭側だから光は通らない。一応、ここは2階だけど校舎を囲んでいるフェンスを越えても、その先に広がっているのはただの民家。かろうじて向こうが見えるぐらいで、遠くまで見渡すなんてこと不可能。だから、何一つ良くない。
ただそんな外をボーッと見ていれば、教室内にいるヤンキーどもと何かの表紙で目が合い、難癖つけられ、殴られ蹴られなんてことは起きない。起きることはない。仕方なしに見ているんだ。
そう。俺はかろうじて虐げられる側には属していない。別に虐げられる人間が多いわけじゃないけど、少なからずいるのは間違いな——あっ。
俺は考えるよりも先に立ち上がった。勢いよく椅子が後ろに移動し、ガタッと大きな音を立てる。教室が静かになる。いづらくなり、俺はそそくさと教室を出て中庭に向かった。
大輝がいたのだ。
大輝は同じ中学で、中3の時に同じクラスになった。そこまで仲が良かったというわけじゃなかったけど、同じ高校に行くってことを知ってから、情報共有的な意味も込めて、プラス同じ中学のやつがいるという安心感を得たかったってのもあるけど、まあ色々なことをちょくちょく話したりするようになった。片手で数えるぐらいしかないけど、ゲーセンやらカラオケやらボウリングやら遊びに行ったことだってある。
入学してからのクラス決めの時に離れ離れになってしまったことで……いや、俺がクラスのその中間層の奴らと遊ぶようになったりしたから、遊びに行くことははなくなり、ついにはある日を境に、連絡さえも取らなくなった。
途絶えた、と言ったほうが正確かもしれない。3ヶ月ほど前のことだ。でも、正直な話、そこまで深く気にしてなかった。あっちだって、連絡が途絶えたのはそのクラスの人間と仲良くなったからっていうのもあるかなーって思ったし。自分もそうだからそうだって思ってたし。
でも、それが違うっていうのがつい最近、知った。先生に頼まれて、ある道具を普段使わない倉庫から運んでいる時に、偶然目撃した。少し遠目だったけれど、大輝は壁側に追いやられ、その周りをヤンキーが取り囲んでいるのがはっきり見えた。その上、大輝1人に対しヤンキーは複数。その異様な構図からも逃すまいとする囲まれ方からも、ひしひしと伝わってきた。
俺は隠れてその一部始終を見ていた。ヤンキーの1人が手を出した。そして、大輝は財布を取り出し、中からお札を出した。
俺は確信した。大輝はイジメられている、と——
「大輝!」
肩をビクッとさせながら恐る恐る振り返る。だが声を変えたのが俺だと気付くと、大輝はホッとした安堵の表情を浮かべた。だが、すぐに気まずそうなに俯く。
理由はなんとなく分かる。腕には複数個のパンを抱えていた。ざっと数えて8つ。1人で食べるにしては多いし、そもそも大輝が少食だということは、昔遊びに行った時点で既に知っていた。
「久しぶり」俺は手を上げながら一言。誰の為のパンかは分かっていた。だけど、なんとなく言葉に出して触れるのがためらわれた。
「久しぶり……」まだ目を合わせない大輝。声は以前のそれとは違っていた。とにかく力がなく、疲弊しきっている感じだ。
「どう最近?」俺は遠回りにはなるものの、まずやんわりと訊ねてみた。急がば回れ、というやつだ。何も聞かないよりは遥かにマシだ。
「ま、まあまあかな……」明らかに作っていると分かる弱々しい笑顔の大輝。それを見て、そこからなんと声をかけたらいいか分からず、思わず黙ってしまった。気まずい空気が流れる。
「……ゴメン。これから用あるからそろそろ行くね」
大輝は急いでこの場から去ろうとする。あのヤンキーに遅れたらどうなるか、と言われているのか。いや、もしかしたら、自分と話していたら巻き込まれるかもしれないと俺の身を気にかけてくれているのかもしれない。大輝はそういうやつだというのは短い時間しか一緒にいなかったけど、それはよく分かっていた。
そう思うと胸の奥がぎゅっと締め付けられるような苦しさを感じた。知らず知らずのうちに下げていた両手に力が入っていた。爪が手のひらに食い込む。
意を決して「あのさっ!」と俺は呼び止める。振り返る大輝。突然の大声に何事かと思ったのか、今度はまっすぐ俺の目を見てくれた。
「なんかあったら電話でもメールでもなんでもいい。俺に話してくれ。できることがあったらなんでも協力する。だから、遠慮せずにいつでも——」
「大丈夫」食い気味に、少し強く返事をする大輝。その弱いながら力のこもった強い意志を感じて、俺は思わず黙ってしまう。
「変な心配させてゴメンね。だけど大丈夫。もう終わるからさ」
「じゃあね」その場から先ほどよりも勢いよく、一目散に走り去っていく大輝。校舎の影で姿が見えなくなる。
俺は1人中庭で立っていた。何もできないことへの情けなさもそうだ。
それと同じぐらいに、大輝の言葉に妙な引っ掛かりを感じたのだ。
もう終わるから、って何だよ……
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