第34話 小田切⑹

 帰宅した俺は、すでにフラフラ。端から見たら酔っ払いそのもの。道中、あまりの眠気に顔を振っていたぐらいに意識が朦朧としていた。けど、誘拐されたという体験がまだ色濃く脳内にこびりついていたからか、本能的にチェーンまでしっかりかけて戸締りをした。ときたま壁に当たり弾かれながら辿々しい足取りで部屋まで向かうと、敷きっぱなしの布団にダイブ。倒れたの方が正しいかも。外着のままだったけど、いつもは着替えてるけど、今日は別にいい。


 瞼が重くなることに逆らわなかった。そうして次に目を覚まして、寝ぼけ眼のままテレビをつけたら、驚きのあまり一瞬にして眠気が吹っ飛んだ。それもそのはず。あれからもう2日経過していたからだ。俺は、疲れと安堵から泥のように眠ってしまっていたようだ。

 かかっていたのは朝のニュース。最近人気のある女子アナの口から、ラウンドが銃刀法・麻薬取締法違反などの罪で社長など幹部が逮捕されたこと、どこかの窃盗団のメンバーが警官のフリをして人を監禁していたこと、について報道していた。逮捕されるところの映像を見ながら、自分が寝ていても社会は刻々と変化しているということを身を持って知る。加えて、俺も早く変わらなきゃと強く思った。


 俺は重い腰を上げた。顔だけ横で体うつぶせ寝をしていたため、体はバキバキ。少し体を回すだけで、節々から音がなる。


 とりあえず、シャワーを浴びよう。そして、就活を再——いや、その前にやることがある。まず、それを全てしよう。




 カランコロン


「いらっしゃ……あっ」


 「その節はどうも」どうやら覚えていてくれたみたいだ。


「いえいえ」


 マスターは微笑む。その表情からはなんとなく自分のことを覚えてくれているようだった。


 店内にはお客さんが結構いた。全体の7割ほどは埋まっている。見た限り、ママ友が普段の鬱憤を愚痴りに、彼氏彼女がどこに遊びに行くか相談するのに、ビジネスマンが待ち合わせするために——皆それぞれの目的をもって、ここのコーヒーを飲みに来ているようだ。


 俺はカウンターへ。奥から3つ目、マスターの真ん前に座った。俺よりも3席入口側には、結構年齢のいった男性がコーヒー片手に持ってきた新聞を優雅に読んでいた。時折、老眼鏡を直していて——


「本当にいらっしゃってくれたんですね」


「え?」


 俺は視線を正面にする。


「予約席ではなく、こちらにお座りになられたので」


「あぁ……はい、そうです。前の時は頂けなかったので」


「わざわざありがとうございます。ご注文は?」


 俺はカウンターに腕を置く。何を頼むかはもう決めていた。


「前に便利屋さんが頼んでたのを」


 今度こそ飲む。


「かしこまりました」


 「とびっきりのを淹れますね」マスターは早速コーヒーを作り始めてくれる。


 俺は辺りを見回し、「便利屋さんは?」と尋ねた。


「いや、今日はまだ見てないです」


 コーヒーミルの音が店内に響く。


「そうですか……」


「何かあったんですか?」


「ちゃんとお礼を言えてなかったので……」


「成る程。なら、これ使いますか?」


 そう言って、カウンター下からマスターが取り出したのは——


「電話?」


 黒電話だった。昔ながらのダイヤルを回す式のタイプ。本とかで見たことはあるけど、実物を見るのは初めて。ていうか、今も使えるんだ……


「おそらくここに来たということは、もう既に電話してると思いまして」


 当たってる……家出る前に一度電話をしてる。


「これでなら彼出ますよ——よっぽどのことがない限り、必ず」


 必ず?


「なんでです?」


 マスターは「さあなぜでしょう?」と言わんばかりに眉を上げた。そして、再び作業を再開。


「よければ使ってください」


「ありがとうございます。でも、大丈夫です。もしかしたらお仕事中なのかもしれませんし、それに……」


「それに?」


「お礼はちゃんと面と向かってしないと、かなって」


 マスターは微笑む。


「すいません、お節介でしたね」


「そんなことないです。お気遣いありがとうございます」


 マスターは黒電話を再びカウンターの下へ。

 そうだ。便利屋さんといえば……


「そういえば、便利屋さんが『単細胞』とか言ってたんですけど、それが何を指してるかって知ってます?」


「ドラゴンとタイガーについてはご存知ですか?」


 作業と止めずに、話を続ける。慣れた手つき——まさにそれだった。


「ええ」


「その、タイガーのことです」


 えっ?


「そうなんですか?」


「はい。彼がそう呼ぶのは彼しかいません」


 その時ふと、溝口が言っていたことを思い出した。そして、本当に仲が悪いのだろ改めて実感した。


「お待たせしました、アメリカンです」


 コーヒーが出てきた。白いカップやソーサーとは対照的に、中で揺れる黒いコーヒー。時折、天井の光に反射し光輝く。そして、上がる湯気があの時と同じ良い香りを鼻に運んできてくれる。さらに吸い込み、より香りを体に取り込む。嗅覚が喜んでいる。


「いただきます」


 俺はカップの取っ手を掴んで、口に近づけた。




 スゲー美味かった……


 あの後、あまりの美味しさに俺はもう1杯もらった。次はブレンドを。そちらも素晴らしかった。


 とても美味しかった。たまにしかにはなってしまうだろうけど、また来るってことは決めた。自分へのご褒美的な時に来るとかいいかもしれない。


 うんっ! そうしよ——ん? 

 あれって……やっぱりそうだ。便利屋さんだ。見覚えのあるシルエットと服装をしてる。手には何か持っている。よく見るとそれは柄杓が入った桶と花束。


 ここは墓地だ。東区にある島唯一の金戸墓地。だから結構広い。誰かの墓参りに来たのだろうか?




「お久しぶりです」


 「おう」振り返った便利屋さんはすぐに気づいてくれたみたいだ。


 墓地で見たことは言わなかった。声をかけたのも、墓地から少し離れたところ。


 さっきの行動が気にならなかった、といえばそれは嘘になる。でも、人には踏み入って欲しくないことが少なからずあるはずだ。それを土足で、しかもまだ最近知り合ったばかりの人間が訊くなんていけない——そう思った。


「すまん忘れてた……写真の男たちの件、解決したぞ」


「も、もうですか?」


「まあ色々とあってな……あいつらは窃盗団の一員だった」


「それって、今朝ニュースでやってたあの?」


「そうだ」


 そうだったんだ……


「で、どうした?」


 俺は姿勢を正し、「今まで本当にありがとうございました」と深々と頭を下げた。便利屋さんのため息が聞こえる。


「もういいって、顔上げろ」


 顔を上げると、便利屋さんは片目を閉じて頭を掻いていた。もしかして……照れてる?


 「この島で仕事探すのか?」話題を変えてきた。


「いや。心機一転の意味も込めて、都内で探そうかなって」


「そうか。まあなんだ……色々大変だろうけど、頑張れよ」


 あっ——笑った。今、ほんの少しだけど、笑った。軽く片方の口角を上げるぐらいはみたことあったけど、目も口も全部に笑みがあるのは初めてだった。俺も自然と笑みがこぼれていた。


「んじゃ、これで俺との契約は終わりだ」


 便利屋さんは正面を向く。


 「元気でやれよ、さん」便利屋さんは片手を上げながら、去っていった。


「あっ、はい……えっ?」


 俺の名前、今日はまだ聞かれてない……フッ。


 何だよ……覚えてんじゃん。




 俺はまた新しい1歩を踏み出した。

 俺が俺でいられなくならないようにじゃなく、俺が俺でい続けるために。


 金戸島——別名、グラニスラ。

 その名の通り、ここは「素晴らしい」人がいる素敵な「島」だ。

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