第12話 便利屋⑶

 家に着いた途端、着信音がポケットの中で鳴り響いた。ケータイを取り出す。


「もしもし?」


『俺です』


「トクダか。どうした?」


『頼まれた件なんですが、以前ラウンドをクビになった人間のうち、時期の異なる2人とコンタクトが取れまして。確認が取れたんで、早めに連絡をと』


 もうか。


「わざわざ悪りぃーな」


『サイン入り、ですから』


 効果は抜群。ってか?


「で、どうだった?」


『理由は全員でした。その上、龍神さんの依頼人さんと同じく、言わないでおいてやるから会社から去れ、とも』


 被害者は依頼主1人だけじゃなかった。不自然なクビ切りは以前から行われていたワケだ。


「分かった。また何か分かったら連絡頼む」


 『はい』電話を切る。


 ちょっとつついてみただけで、綻びが見えてきた。間違いなく、あの会社には何か裏がある。分かった分、危険度は増した。


 依頼主と会う前に少し調べて——だと朝10時は早いか。時間をそうだな……2時間あれば問題ないか。

 俺は依頼主に打ってもらった電話番号にかける。


『もしもし?』


「あぁ俺だ」


『あっどうも。どうしたんです?』


「明日の集合時間を12時に変更したいんだ」


『12時ですね、分かりました。場所は変わらず——』


 すると、依頼主はなぜか黙ってしまった。


 ……どうした?


「変わらず、なんだ?」


 俺が繰り返してその続きを聞こうとした瞬間、ドタバタとフローリングの床を踏みつける音が電話越しに聞こえた。つんざく音が耳に入る。ケータイが地面に落ちたのだ。思わず耳元から離してしまうが、すぐに元に戻す。


「おい、どうした?」


 『助けてぇー!』明らかに異様なセリフと音量。悪ふざけではないことは確かなようだ。


「何があった? おいっ!」


 返事がない。こりゃ只事じゃねえな……


 足音が聞こえる。察するに2、3人ってとこか。早くしないと、何されるか分かんねぇぞ。俺は電話を切り、別に人物にかける。


 『もしもし?』相手はトクダ。


「わけは後で話す。今から番号言うから、所有者の住所を急いで調べてくれ」




 ここか?——俺はトクダから伝えられた部屋の前へ。ドアノブに手をかける。開いてる……ゆっくりと静かに回し、扉を少し開け、中を盗み見る。電気はついてるものの、人の気配は感じられない。開けっ放しで外出なんてしねえし、どっかに連れ去られたか。

 手がかりになるようなもんは——ん?  床に落ちている何かを拾う。

 バッジだ。見覚えがある。俺はすぐさまケータイで撮り、それををトクダに。ものの数秒で返信が。件名は無し。文面も『松中まつなか組の代紋です』とだけ。

 だが、それだけで十分納得した。どうりで見覚えがあったワケだ。ヤクザが素人相手に手出しなど普通はないが、松中となるとその保証はできない。かなり危ねぇな——俺は南区へ向かった。




 この島には——というか、風俗関係の店が立ち並ぶ島の南区には、ヤクザがいる。その中でトップに君臨しているのが、ヤクを極端に嫌っており、入手は勿論それに伴う取引さえもしていないことで有名な矢柄やがら組だ。設立したのは、矢柄千馬せんば。たった1代で数十もの組を率いる一大組織にまで大きくし、組の名を全国に轟かせた立役者だ。今では時代遅れとも捉えかねられないほどの任侠道が姿勢や精神に焼き付けられており、ヤクザ社会で一目置かれるほど。

 

 そんな彼には様々な噂があり、その際たる例が、八重樫やえがし組と九重ここのえ会が抗争した八九はちく抗争だ。

 全国に組が点在していたため、日々抗争が繰り広げられていたのだが、特に酷かったのが両者の本家があったここ金戸島で、多数の死傷者が出たそう。

 その両者に喧嘩を売ったのが、何を隠そう矢柄組初代組長、矢柄千馬だったのだ。八重樫・九重合わせて700人。対する矢柄は十数人——誰がどう見ても勝ち目のないと思われていた矢柄組が数十日の戦いの結果勝利し、八九抗争は終結を迎えた。

 それにより、八重樫・九重ともに解散に追い込まれた。両組織とも、組織防衛のために偽装破門をし、わざと分裂させたとも言われているが、これらまさかの事態によるものであり、時間的制約の面からもかなりの少数であり、壊滅状態に陥ったのは紛れもない事実だ。


 この戦いにおいて、組長1人で500人相手にしたとか、島民を守るためにと組長が警察へ終結の協力を申し出たとか、様々な逸話がある——が、俺が生まれる前のことだからこれ以上のことは知らないし、これらのことはおそらく勝利したことによってついた尾ひれのついた単なる噂話であると言われている。だがこれにより、矢柄組が一大組織になることへの拍車をかけたことは間違いない。


 そんな彼でも、病気には勝てなかった。

 先月、ガンで他界し、今では二代目が引き継いでいる。誰かは知らないが、おそらく順当にその精神を引き継いだ若頭が引き継いでいるんだろう。


 この島の中だけでも相当な数が矢柄組の傘下にいたり、何かしらの形で関わりを持っているのだが、松中組はそのいずれとも合致していない。しかも、最近台頭してきた新興勢力で、矢柄千馬の死去により暴力性が加速したと聞いたことがある。

 まあ、加速し活発になっているのは松中組だけでなく、他の属してない組織もなんだがとにかく、松中組は金戸島での領土拡大を狙っているイケイケヤクザだから、誘拐した依頼主へ何をするか分からないというわけだ。




 コンコン——軽いノック音が返ってくる。狭いテナントビルの3階。エレベーター降りてすぐ右手にその扉はある。スキンヘッド男が開ける。


 「なんでしょうか?」随分と丁寧な口調だ。


「組長はいるか?」


「ご用件は?」


「とぼけんな。さっき連れ去ったろ? 男を1人」


 スキンヘッドの眉がピクっと動く。


「何のことだか、さっぱりですねー」


 シラを切るつもりか……まあ、バカ正直に「はい」なんて言わねぇか。


「令状はあるんですか?」


 「は?」何言ってんだ、コイツ。


「令状です」


「あるわけねぇだろ、そんなの」


「ならお帰り下さい、さん」


 そういうことか。


「警察がこんなラフな格好で来るかよ」


 丁寧に教えてやると、スキンヘッドは眉を中央に寄せ、眼光鋭く威圧してきた。


「じゃあ、話は終わりだ。ここはカタギ(=一般人)が来る場所じゃねぇ。さっさとお家に帰りな」


 口調も変わる。こんなんで引き下がるつもりは毛頭なかったが、揉め事をしようとも同じくらいに毛頭なかった。ヤクザに喧嘩ふっかけても損しかないからな。

 だが、こいつは「帰りな」の後、鼻で嘲笑いやがった。その上、バカにしたような笑みを浮かべやがったんだ。


 やめだやめだ——俺は腕を引く。そして顔面めがけて右ストレート。拳がのめり込む。手に伝わる何かが潰れる感触。「はぁぁあがっ」手で押さえるものの、スキンヘッドの鼻から溢れ出てくるは真っ赤な血。スキンヘッドの首が後ろに倒れる。その勢いのまま、スタスタと後退していく。


 「おーい、どこいんだぁー?」俺は組事務所に単身乗り込むと、奥のガラステーブルの周りにいた組員達が「なんだコノヤロー!」とチープな脅しをかけながら、全員がこちらへ向かってくる。


 あとは4人か……


 まず来たのは、向こうから走ってきたのは見るからに血気盛んそうなヤツ、見た目一番若そうだ。左腕を引く若造。分かりやすい動き方に次の動作は見切った。

 「おらっ」若造は拳骨状態で腕を伸ばす。同時に、俺は左足をずらしながら躱ながら視線を90度左へ。そして、頰に素早く掌底。若造は顔を揺らし、左腕が重力に負ける。俺は戦意喪失した若造の頭を正面から左手で掴み、来た方へ押し、倒す。


 電話が鳴る。見ると机の上の左手後方には子機が。小さなディスプレイが光っている。そばには親機も。


「ざけんなっ!」


 右から声が聞こえ、俺はすぐさま左手で子機を手に取る。そのまま体ごと回しながら勢いづけて、ぶつける。当たったのは、パンチパーマの右側頭部。一瞬怯んだ隙に右手で親機を掴み、コードを引きちぎりながら今度は左側頭部を殴る。ボタンが弾き飛ぶほどの衝撃を浴びたパンチパーマは壁にぶつかり、気絶。


「んにゃろぉ!」


 今度は後ろ。見ると、あのスキンヘッドがダラダラと血を流しながら椅子を振り下ろしてくる。俺は横にある机の上で受け身を取りながら回転して躱す。直後、鈍い金属音が鳴る。反対側に落ちるように着地。しゃがんだ体勢で、机をスキンヘッドの方へ思いっきり押す。スキンヘッドは対応できずに壁側へ押され、壁際にあるメタルラックへぶつかる。ガシャンと大きな音を立てながら、ラックがスキンヘッドの方に倒れ、文具や分厚いファイルに隠される。


 あとはデカブツとグラサン。両者とも奥で立ち尽くしている。


 んじゃこっちから、と足を進めると、先に向かってきたのはグラサン。またしても腕を構えて来たので、動きは見切れた。腕と首元と服の間にできた空間を掴み、後ろへ強く引く。体勢を崩し、そのまま鈍くぶつかる音が聞こえると、跳ね返るようにして、俺の横へ仰向けに。のんきに目を閉じているから、おそらくもう大丈夫だ。


 残りはデカブ——おいおい……ゴルフクラブを持ち上げてこちらに走ってきていた。


「くらえっ!」


 目の前でクラブを振り下ろしてくる。俺は躱さずに、左腕で受け止めた。そのまま、ゆっくり立ち上がる。目を見開き、分かりやすくビビり出すデカブツ。目が恐怖で滲んでる。


「残念」


 ゴルフクラブを払いのけながら、空いている右手でデカブツのアゴを弾き上げる。衝撃で顔が上を向くと同時に口から血を吐いた。なんか白いのが見える。歯が何本か折れたみたいだ。ふらついて後退するデカブツに、俺は一歩引いて勢いをつけてタックル。デカい図体を浮かび上がらせて後ろへ吹っ飛ぶ。無抵抗のまま、奥にあったガラステーブルを粉々に割って落ちる。


 これで全員倒し——


「手上げろ」


 背中から聞こえる男の声。ため息混じりに言われた通り、手を上げながら振り向く。そこには、メガネをかけてスーツをピシッと着たインテリ系ヤクザがハジキ(=拳銃)を持って立っていた。一般的な黒いオートマチック・ピストル。高そうな時計や靴を身につけていることからして、そこそこ上の役職についているんだろうけど、年齢は若そうな……ん?


 インテリヤクザの奥に扉があり、そこが開いている。部屋の中に、依頼主がいた。両手を縛られ、椅子に座らされ、糸が切れた操り人形のようにグッタリしている。


 「どこの組のモンだ?」ハジキを構えたまま、問いてきた。


「組員じゃねえよ」


「じゃあ、何モンだ?」


「ただのボランティアだ」


 フっと笑みを浮かべるインテリヤクザ。この組の連中は嘲笑うのが好きなのか?


「んじゃ、ボランティアさんはヤクザの組へ何しに来た?」


「返してもらいに、だ。部屋の奥で縛られてるあの男をな」


 小さいながらも眉を動かしたのを俺は見逃さなかった。


「……どういう関係だ?」


「いいから、返せ」


「ここまで暴れられて、素直に『はいどうぞ』と返すわけねえだろうが。そんなんじゃ、こっちのメンツが立たねえ」


「暴れたのはそっちが拉致ったことと教育不足のせいだ。別に売りたくて売った喧嘩じゃねぇよ」


 沈黙が流れる。


「返してくれりゃもう来ねえし、このことは黙っとく。それとも、どっちが長く起きてられるか勝負でもするか?」


 インテリヤクザはため息を吐く。


「……分かった。だがせめて謝るくらいはしてもらえるか」


 は?


「謝る?」


「そっちは1人で、こっちは5人。ただ連れて帰られたんじゃ、割に合わねぇだろ」


 体をインテリヤクザに向き直し、「……すまなかった」と謝った。


「もう一回」


「あぁ?」


「知ってるか? 頭を下げて『申し訳ありませんでした』って言うのが謝るっつーんだよ」


 イラつきで頰が痙攣し始める。普段ならこんなこと従わない。従うわけがない。だが、奥には依頼主がいる。下手に引き金を引かれるとマズい。俺は唇を噛んで必死に怒りを抑えながら、「申し訳、ありません、でした……」と頭を下げた。


 「ホントに——」インテリヤクザは突然ケタケタと笑い出した。


「ホントにぃ、やりやがった!」


 ……ハァ?


「そんなんで返してくれると思ったのかよ! んなわけねえだろ、バーカ!!」


 カチン——音が鳴る。引き金の音じゃない。俺の、頭のストッパーが外れた音だ。俺にバカとはいい度胸してんじゃねえか、クソメガネ。

 アッタマきた……どうせ俺は痛くねえ。


 「さっさとここから——」会話を無視し、クソメガネに向かって突っ走る。クソメガネは慌てて引き金を引く。

 バンッ——火を吹いて銃弾が飛び出る。頬をかすめるが、知ったこっちゃない。再び引き金を引こうとするが、その前に俺が拳銃を掴み、後方へ投げる。そして、顔面に頭突きを1発。はじかれた顔から鼻血が噴き出す。そのまま、鼻を押さえ、倒れ込み、目を閉じた。最初っからこうしときゃよかった。謝り損だ。


 とりあえず、相手に拾って撃たせないために、投げ飛ばした拳銃を拾う——が、その前にデカブツの胸ポケットに入っていたハンカチを取りにいく。指紋でもついたらマズい。でもどうすっか……ここに置いてったら何するか分かんねぇし、持ってくか。何かいい袋は……おっ、いいのがあった。


「お前……」


 袋に入れた瞬間、弱々しい声で呟いてくるクソメガネ。俺はそちらに向かう。


「拳銃構えてんのに突っ込むなんて……正気じゃねえな」


 「かもな」俺は顔を近づける。


「おやすみ」


 優しい俺は殴って眠させてやった。くまが凄いから、良い睡眠になるだろ。そうだ——俺は依頼主の元へ駆け寄る。


「おい……おいっ」


 ダメだ、全然起きねえ……ん? なんで、腕に注射痕が……


 まさかっ!


「おいっ! おい、起きろっ!」


 返事はない。聞こえてないのか、もう聞くことができないのか——俺には分からなかった。

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