第8話 便利屋⑵
俺は近くのベンチに腰掛ける。少し間を空けた隣には、キャッチをしてる男が。頭に鉢巻を巻き、腰に居酒屋名が書かれたエプロンを、手には背丈の1.5倍はある看板を持って、大声で客寄せをしている。
「客は捕まったか?」俺はキャッチに声をかける。
「えぇ。たった今、ね」キャッチもあちらこちらを見ており、俺とは目を合わせない。
声は互いに聞こえていることを確認した俺は膝に手をつき、前かがみで再び声をかける。
「元気にしてたか、トクダ?」
トクダは、独自のルートから情報を集め、それを売買する情報屋だ。モットーである「誰より早く、誰より深く」の通り、裏社会にも精通し、時に警察さえも知らないような情報を握っていることがある。俺はいつもこいつから情報を得ている。
「おかげさまで。龍神さんは?」
「いつも通りだ」
「居酒屋、どっすかぁー! お安くーしますよぉー!」
誤魔化しのため、目の前を通っていくカップルに声をかける。2人ともガングロ。今時珍しい。
「昼間から居酒屋にはいかねーよ」と2人は嘲笑っている。嘲笑うのはこっちの方だよ。まんまとトクダの策略に引っかかりやがって。
トクダは昼間は居酒屋、夜はコンタクトレンズのキャッチをしている。だから基本、捕まることはない。それに、キャッチをしながら情報屋をやっているわけではない。あくまでキャッチはカモフラージュで、それらは全て架空。本当の客は情報を求めている人間、今でいうなら俺のようなヤツなのだ。
「で、今日は何について?」トクダに促される。
「『ラウンド』って会社について知りてぇんだ」
「あーはいはい」いつものごとく、トクダは心当たりがあるようだ。
「小耳に挟んだ噂なんですけどね……」
情報屋の看板に偽りなし、だな。
「いつなら分かる?」
俺は知り得た噂をより確実で詳しく調べてもらうよう頼んだ。
「急ぎですか?」
「まあこっちとしてはその方が有り難いが、他の客のこともあんだろうからできればでいい」
「それじゃあー、お言葉に甘えさせてもらって——明日の朝10時ではどうでしょう?」
「頼むわ」流石、できる男だ。
「んじゃ、今回と調べの前払いってことで」
俺はポケットからティッシュに包んだいつものを取り出し、名前を読み上げる。
「今回は——えぇっと? 一ノ瀬ミルン、だと」
トクダの情報料は、2次元アイドルのステッカー。
「いやー……」トクダは首を傾ける。
「いつもご贔屓にしてもらってる龍神さんといえど、それじゃ今回分ってのが精一杯です。前払い分もってのは流石に——」
「サイン入り」
「えっ?」
俺はその部分をトクダに見せる。トクダはチラチラと確認をする。
「ホ、ホントだ……」嬉しさと驚きの声を出すトクダ。
「これでどうだ?」
「そりゃもちろん前払いも込みでオールオッケー。むしろ安いぐらいなんでフルスロットルで頑張っちゃいます」
ものの見事に手のひらが返った。
「じゃあいつもんトコに入れとくぞ」
俺は再びティッシュに包み、ベンチの端の木と木の間に挟んでおく。いつもここに入れておき、後でトクダが受け取る。
「じゃあな」俺は立ち上がり、依頼主の元へ帰る。
「お待ちしてまーすっ!」
背中に届くトクダの声。これがトクダ版「ご利用ありがとうございました!」なのだ。いつもの挨拶ではあるが、音量は嬉しさで心なしか大きいような気がする。
依頼主との距離が近づいていく。縮まるほど必死に思い出そうと尽力する。
「何か分かりました?」
無理だった、今回も。
俺は人の名前を覚えられない。というか、覚えておけない。他のことに関しては問題ないし、何度も何度も会って名前を聞けば覚えられるから、病気ではないと思うんだが……
「ある程度はな。だが、まだ曖昧だ。確定したら教える。で、名前なんだっけ?」
「えっ? あぁ、小田切です」
そうだ、小田切だ、小田切。
「じゃあ小田切さん、とりあえず今日は解散」
「えっ」依頼主は素っ頓狂な声を出した。
「もう? まだ4時ちょっと過ぎたぐらい——」
「あ? 何か文句あっか?」
「い、いえ……」ビビる依頼主。
あぁ、また出た忌々しい短気め。俺は少し大きく息を吸ってから、理由を話す。
「相手は会社だ。ゴリ押しでどうにかなる個人とはワケが違う。その上、『ラウンド』はデカい。色々と情報を集めてもらってからじゃねぇと、こっちが必死こいて動いても上手くかわされちまう。アンタだってこれ以上、割りを食いたくはねーだろ?」
「まあ……」依頼主は少し顔を伏せながら答えた。俺は続ける。
「それにだ、調べるってのは体力勝負なところもある。休める時に休んどかねえと後々もたなくなる。分かったか?」
「はい」依頼主は納得したように頷く。
「そんじゃ、明日朝10時に。集合はこの噴水広場な」
「はい」
「おやすみ」少し早い就寝の挨拶。
「お、おやすみなさい」
俺は家路に着くため、来た道を引き返した。
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