第2話 探偵⑴

 コンコン


 んんー……


 コンコンコン


 んんっー……


 コンコンコンコン


 「んっなぁっ!」俺はソファから飛び起きる。


 コンコン、って、うるせぇーな……


 「はぁーいっ!」ノック魔に聞こえるよう大声で返事をする。

 

 頭を掻く。いつものごとく、掻くたびにボサボサの髪に指が絡まっていく。寝癖じゃない。いや、寝癖もだろうけど、それだけじゃない。俺の髪はねじれてるんだ。要は癖っ毛。小さい頃は寝ても覚めても一向に治る気配の見せない癖っ毛にほとほと嫌気がさしていたが、成長するにつれ全く気にならなくなった。

 むしろここ最近では、髪をセッティングしなくてもいいので、逆に有り難いとまで感じてきている始末。肌着や下着以外いつも一緒なのを着るぐらい俺は、オシャレには微塵も興味がないから別にそれほど支障はないけど。


「うぁぁっー、あぁぁ……」


 体を伸ばす。イテテテ……痛覚が目を覚ましたのか、今頃痛みが背中に走った。原因は分かってる。バネだ。もうご臨終してから随分と立つ。

 そろそろ買い替えるか。そう頭の中で巡らせながら、ノックの煩い扉へ向かう。


 寒みぃーし、眠ぃー……イテッ!

 なんか踏んだ。何なのかは見ずに近くのゴミ箱に放りながら、駆け寄る。

 横向きの鍵を縦に90度回し扉を開けるとそこには、いつもの淡いねずみ色のスーツを身に纏った奴が。


「朝っぱらからなんだよ、田荘たどころ?」


「朝っぱらってもう昼の12時ですよ、先輩」


「いつも言ってんだろ? 俺にとっての12時はまだ朝だって。警察のお仕事は税金貰って人の睡眠を妨げることですかー」


「妨げるってこの時間だったら普通は起きてると……」


「後ろにいるのは?」


 「聞いてないし」とツッコむ田荘を無視し、「どなた?」と続けた。訊ねられたのが自分だと分かったのだろう。田荘の斜め後ろに立っていたおっさんが軽く会釈してきた。


「はじめまして、ですよね?」


 「は、はい」恐縮そうに首を縮こませる。


「いつもの奴とお初にお目にかかりますな人が一緒に何の用です?」


 「あの、それはちょっと……」少し神妙な面持ちになる田荘。


 こいつがこの顔になる時は、いつも厄介事だ。面倒くせぇな……

 「どうぞ」体を少し傾け、2人が入りやすいよう通り道を作る。相変わらず俺は優しい先輩だよな、ったく。




 「んじゃ改めて、どなた?」さっきまで寝ていたソファに2人を座らせ、俺はそこからガラステーブルを挟んだところにある1人用のソファに座った。

 あっ、こっちのバネはまだ生きてんな。ま、かろうじてだけど……


 「あの」口を開いたのは、正体不明のおっさんではなく、田荘だった。


「何だ?」


「これから話すことは内密にしてもらいたいんです」


 「ハァー……」呆れた。心底呆れた。


「あのなぁ、今まで俺が口外したことあるか? ないだろ。中には、俺がいなきゃ解決できなかったような事件とか国がひっくり返る事件とかもある。どれも誰かに自慢できるレベルなのに、だぞ?」


「それはそうですけど……」


 ふとおっさんの方を見る。 えっ? 何その話?? 初耳なんだけど???——って顔が喋ってる。


 あっちゃまー……そうだよな。あの事件のこと、知るわけないもんな。権力がひた隠しにしてるんだからな。ま、田荘は……気づいてないみたいだから、セーフセーフってことで。


「でも、一応言っておかないと。なんかあった時に俺の責任にされるので……」


「それに、俺とお前が出会ったあの部費紛失事件だって」


「またそれですか!」


 「またとはなんだ! またとは!!」俺は声を荒げる。


「確かに感謝してますよ? してますけど、今話すことじゃ……」


 「あのぉ!」おっさんが叫んだ。びっくりした。


「本題に移ってもいいでしょうか?」


「あぁ……すんませんね。とりあえず、お名前を伺っても?」


 おっさんは慌てて内ポケットから名刺入れを、名刺入れから名刺を取り出してきた。


「私、岸和田きしわだと申します」


 あっ。


「すいません。俺、名刺持ってないんですよ」


 「代わり、といっちゃなんですが」俺はテーブルの下から取り出す。「これ。鼻擤みにでも使ってください」

 探偵事務所のことが書かれているポケットティッシュを渡し、代わりに名刺を受け取る。


 どれどれ……えっ?

 予想外だった。まさか、この人が金戸刑務所の所長だとは。


「どうかされましたか?」


 「いえ……」俺は、テーブルに名刺を置く。


「それで、私に何の御用でしょうか?」


 「実はですね」岸和田さんは重い口調で話し出した。嫌な予感がする。


「3日前……受刑者が脱走をしたんです」


 当たっちまったぁ……


 「これがその受刑者です」田荘がスーツの内ポケットから写真を取り出してきた。


「マジマシンヤ。5件の窃盗に関わっていた男で、2年前、窃盗中のところを発見され逮捕しました」


 見るからに、ヘッ俺はワルだぜ、って感じの顔つきをしてる。


 「現在、金戸警察署5つ全てから大量の警察官を動員してもらい、捜索をしているところです。当初は我々の手だけで解決しようとしたんですが、なかなか見つからず……」と申し訳なさそうな顔を浮かべながら話す岸和田さんのバトンを田荘が「部活の合宿で」と別の話を始める形で受け取る。


「先輩は、数年帰ってこなかった人をたった数時間で見つけ出したことあるじゃないですか?」


 特定したっていうか、またあれは特殊な状況だったから分かったことなんだがな。


「それに、先輩には警察の知りえない情報を持ってる知り合いがいますよね?」


「まあ、いるっちゃいるけどさ……」


「なので、人探しのプロである先輩に依頼をしに来たというわけです」

 

「前は“犯人探し”のプロって言ってなかったっけか? 」


 「あれ? そうでしたっけ?」誤魔化し笑顔を浮かべる田荘。ったく、都合いいんだから……


「でも、脱走なんてそうあることじゃないよな?」


 「はい。ここ何十年も起きてません」答えたのは、首を縦に動かしながらの岸和田さん。キャッチボールするかのように会話のバトンが渡される。


「でも、今回は成功した。どんな手段かはもう分かってるんですか?」


「おそらくにはなるんですが、脱走当日には刑務作業製品の販売などをするイベントを開催してまして。毎年来場者が多いため人の往来が激しく、その隙を見て脱走したのではないかと」


 「来場者?」俺は眉間にシワを寄せた。


「そんなの下手したら一般人も巻き込まれかねませんよね? 警備はどうしてたんですか?」


「勿論、厳戒に厳戒を重ねていました。問題が起きれば大ごとになりますから」


「起きればっていうか起きてますけどね」


 岸和田さんが力なく俯く。


「申し訳なく思ってます。所長の私の不手際でこんなことになってしまって、本当に……」



 その姿を見て、俺もそれ以上は言及はできなかった。


「さっき3日前に脱走したと言ってましたけど、てことはもう島を出てんじゃありませんか?」


 「その点は問題ありません」今度は田荘が答えた。


「金戸橋は欠陥が見つかったという理由で、現在は封鎖してますので」


「いつから?」


「脱走された日の夜です。本当はもっと早くに封鎖したかったのですが、橋の管理会社への許可に少し手間取ってしまって。それまでにも橋の出口付近で検問を実施していましたが、マジマは通っていません」


「間違いなく?」


「間違いなく」


 ってことは、まだ島からは出ていないとみて問題はないか。


 「てか……それなら俺に頼らずとも捕まるのは時間の問題だろ」俺は唯一髭の生えてる顎を擦る。

 よく生えているじゃなくて生やしているの間違いだろうと言われるのだが、違う。なぜか顎髭しか生えないのだ。口髭は生えない。これに関しては流石の俺でも解決することはできない。一生の謎、未解決事件だ。


 「かもしれません」田荘の声で意識が現実に戻る。


「ですが、嘘をついてもう3日目。封鎖に限界が来てるんです。こちらはしてもらっている側で、その上、橋管理会社は金戸財閥の関連会社。『解除しろ』と言われたら、従わざるをえません。それに、マスコミも何か変だと騒ぎ始めてきて」


 何?


「まだ公表してないのか?」


 ウチはテレビがなく、代わりに映画を見るモニターしかない上に、新聞さえ取ってないから、このように情報が時折遅れる。


「住民の混乱を避けるために。知ってるのは警察と刑務所と管理会社と、先輩ぐらいです」


「おいおい……そんなことしてっとマスコミから隠蔽だなんだって叩かれ——」


 すると突然、「お願いします。力を貸してくださいっ!」と所長が土下座をする。


 いきなりなんだ?



 「事態は一刻を争います。俺からもどうかお願いします」田荘もその場で膝に手をつき、深々と頭を下げてきた。


 俺は岸和田さんをもう一度見る。この人の年齢は俺より遙かに上だろう。なのに、これほどのことをするということは状況は極めて切迫、そして、深刻なのだろう。


 仕方ない……

 「分かりました」と俺が言うと、岸和田さんは勢いよく顔を上げる。


「引き受けます」


 俺の一言で表情が明るくなり、「ありがとうございますっ!」と懇請の下げから感謝の下げに変わる。


「ただし、条件があります」


 まぁ田荘に聞いてるかもしれないけど、一応。


 「1つ」俺は人差し指を立てる。「俺が欲しいって言った情報はすぐに用意し、教えること」


 「2つ」中指を立てる。「必要な時、パトカーを使わせること」

 理由は簡単。車、というか免許を持ってないから。それに、サイレン鳴らして車をビュンビュン抜いていくあの感覚がたまらなく好きだから。使わないかもしれないけど、念には念をだ。


 「3つ」親指を立てる。「田荘からもう聞いてるかもしれないが、うちは成功報酬型だが、高い。他とは比べもんにならないほどにな。とりあえず、諸経費として10万を前払いしてくれ。以上だ」


 全てを聞いて、特に3つ目を聞いて岸和田さんの表情は少し歪んだ。


 元々ウチは“仕事は確実。だけど、バカ高い”で通ってる。にしても、今回に関しては相当上乗せしてる。だが、相手は必死こいて逃げてる脱走犯で捕まるまいと何をしでかしてくるか分からない。それなりの危険は伴うだろう、というのが上乗せの理由だ。


「すぐ用意します」


 よしっ、交渉成立。俺は両膝を叩き、立ち上がる。


 「あと」岸和田さんが口を開く。「何度も申し訳ないのですが、このことはどうか内密に」


「それは勿論」改めて、俺は腰掛ける。「ただ、情報収集の際にこの写真を見せますが、それはよろしいですよね?」


「ええ、必要なら構いません」


 裏を返せば、「最小限度に留めろ」つーことか……


 「改めてよろしくお願いします」岸和田さんが頭を深々と下げる。


「とりあえず、やれるだけのことはやってみます」


 ったく、手間のかかるのが来ちまったなぁー

 ま、ソファ買い替えるためだと思って頑張るか。

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