陸の戦 ≪ 疼く男

 


『心情は、理性の知らないところの、それ自身の道理を持っている』── ブレーズ・パスカル



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■ 狂犬グループの元中層構成員

  出水でみず 麻耶まや ── 曰く





 バイクや改造車には興味がなかったが、一般市民カタギを嘲笑う行為には興味があった。彼らの平和な日常生活に理不尽な暴力で介入するという悪質行為にである。


 意図的に迷惑をかけ、連中の「迷惑だ!」という憤懣ふんまんの眉間を嘲笑うのである。連中の「絶対に許せない!」という文言に「どうやって許さないおつもり?」と茶茶を入れるのである。そして「許す、許さないの感想文にはなんの力もないじゃない?」と嘲笑いながらさらなる迷惑をかけ、連中の眠れない夜を長引かせてさしあげるのである。すると、ついに彼らの堪忍袋の緒は切れ、よりにもよって警察ごときに通報するわけである。そうすることが最後の砦であると信じて。


 しかし、ここからが不良の本分である。


 一般市民の安直な心理展開を読み取った上で、さて、真面目に警察車両から逃げる。前科ほどの名誉ステイタスもないので逮捕されても構わないのだが、芋蔓式に仲間が捕まっては娯楽性がなくなるため、下っ端はケツ持ちに全霊をかける。上層部は上層部で「まだまだフェスは終わりませんよ」といわんばかりに派手な爆音を響き渡らせる。警察を信じた一般市民に向けて「あなた方の信頼する公僕どもはタカが数十名の少年を逮捕することに悪戦苦闘しておりますよ」とコレ見よがしのアクセルを吹かす。つまり、最後の砦を嘲笑うことにより、同時に、最後の砦に裏切られた一般市民さえも嘲笑うのである。文字どおりの「一挙両得」というヤツである。


 これこそが不良の冥利。


 駅の構内、顔を覆う女性のイラストでもって「もう暴力は見たくない!」と訴える喧嘩撲滅のポスターを見れば、ただちに胸がウズウズとするのが彼らの基本心理である。これを理解できない無知な輩が何億人と集まったところで絶対に暴力はなくならない。イジメであろうが喧嘩であろうが、被害者の苦しみや悲しみが訴えられれば、とたんにさらなる苦痛を加えたくなるのが暴力者の心理なのである。つまり、被害者目線にしか立てない日本のイジメ撲滅キャンペーン、喧嘩撲滅キャンペーンは完全に間違っている。たとえ「ダサい!」としたところで、暴力を振るうことが目的であり、格好をつけることは二次目的ですらもないのだから「ダサいですけどなにか?」と返されるのが自然であり、結局、また秘密裏に続行されるのがオチである。つまり、政治家や芸能人の正義感など無意味であり、むしろ逆効果だという現実を一般市民は知らず、ゆえにトンチンカンなキャンペーンを積極的に張ってしまっている。


 冥利を味わう環境として、日本は盤石の国である。


 出水麻耶もまた、存分に冥利を味わうひとりだった。中学2年生の春に地元の不良集団『孤月義道会こげつぎどうかい』へと参入、興味はなかったが巧みにハンドルを捌き、善良な一般市民を嘲笑うために1年間を費やした。これ以上の娯楽など存在しないと思いながら、また、永遠に続くものだと信じながら。


 しかし、関東圏を支配しているものだとばかり思っていた孤月義道会は、ある夜、いとも簡単に解体バラされることとなる。


 孤月義道会のボスが経営、実質的な集会所となっていた東池袋のクラブ『MONKEY PAW』に、たった3人の高校生が乗りこんできたのである。


 わずか10分間の出来事だった。40名はいただろう構成員はみな、血塗れとなってCRの土間に伏していた。


『舞姫』──奥貫晶杯おくぬきあつき鉄扇てっせんに裂かれ。

『奇人』──巣南重慶すなみじゅうけいの曲刀に斬られ。

『狂犬』──鬼束甚八おにつかじんぱちの歯牙に削がれ。


 狭隘きょうあい会場ハコの中に密集していたという点も、出水たちの武運の尽きをあらわすものだった。広い国道や街を舞台にしてきたアクティブな不良グループである、いざ狭い空間で喧嘩するともなれば、たちまちターゲットを見失い、うっかり身内を殴打する始末。かくいう出水もまた仲間の裏拳バックハンドブロウを顔面に喰らい、瞬く間もなく膝から落ちていた。


 その点、急襲の3人は手慣れたもので、渋谷のスクランブル交差点を難なく制する女子高生よろしく、涼しい顔で敵の急所を挫いたようだった。


『おめぇら、なんなんだよ』


 朦朧とする意識の片隅に、毎夜の冥利に震えたことのないボスの戦慄が漂ってきた。聞いたことのない、引きった声。


『なにがしてぇんだよ、ジン……!?』


 すると、ハスキーな男の声が返る。


『んー? ヒマつぶし』


 穏やかなシルクロードのような声。


『遊びだよ遊び。おまえさん方のしてきたことだってそんなモンだったろう? 自分たちに敵なしと思いこんでいただけで、ヤってきたことはそんなモン。ただそれだけのこと』


「ビビるような事故じゃねぇ」と続くと「ぅはッ」という女の笑声と「んふン」という男の笑声も聞こえた。


『この惨状こそ、おまえさん方に勢いがあったという確たる証拠だよ。勢いがあればあるほど、山にぶつかった時にゃ大破するモンだ。要するに、もっと自分たちを誇っていい』


 直後、みりみりみりみり──革を剥ぐような音がし、次いでボスの咆哮ほうこうが轟き、びちちち──液体が地面に弾けるような音へと続いた。


 この瞬間、関東圏の最強を自負していた孤月義道会は残渣ざんさもなく滅んだ。ボスの、背中一面の生皮を供物にして。


 出水、中学3年生へと進級して間もなくの、半袖ではまだこたえる卯月のこと。そして彼は、唯我独尊の不良集団を呆気なく解体した『狂犬グループ』のそちらの冥利のほうが遥かに楽しそうに思えて、衷心ちゅうしんから憧れてしまった。





     ☆





 高橋絆たかはしきずなは、触りたがるから困る。



 ⇒ 20XX/09/03[月]22:XX

   東京都文京区大塚

   高橋絆の部屋にて



 何度も「そういう前戯は不要」と拒否しているのに、照れ隠しだとでも勘違いしているのか、小悪魔の微笑みをたたえて出水の急所に触れた。仰臥ぎょうがする彼のブランケット役を買って出てくれる姿は可愛らしいのだが、ちょっとでも隙を見せるととたんに下半身へと移動、充血して硬くなっている先端を咥えたがる。毎晩の、作り置きの冷や飯がかえって彼女を口寂しくしているのだろうか、あるいは、泡嬢を生業としている若き母親の能動遺伝子をすべて継承してしまったのだろうか。


「ちょ、マジでヤめろ」


「ナめたい」


「そういうのはいいから!」


「んだよ、昔はさしてくれたのにぃ!」


 そうこうしている間に高橋の滑らかな手が出水に触れ、みるみるうちに萎えていく。性衝動までは萎えていないのに、防衛的な理性のほうが血流を霧散させていく。


 すべて、あの女のせいである。


「あぁもう、またヘナチョコんなってく。急所だからってビビってんじゃねっつの」


 キツネ目のヤンキー顔を意地悪に砕き、さらに彼を握りこもうとする。


「ちょちょちょちょ……!」


「べつに壊しゃしねぇから」


 高橋はそう囁いて無邪気に嘲笑するが、今年の7月だったか、実際、出水は本当に壊されそうになったことがある。


 いまだに金的が疼いている。


 本気の本気で潰そうとするあの女の意志を、彼の双子の内臓が──人体で唯一、体外へと露出している内臓が、いまだに感じ取ったままでいる。





     ☆





 憧憬あこがれは実り、出水はヒナ高へと入学した。そしてすぐに狂犬グループに取り入ってもらえるよう積極的に働きかけた。彼らの暇潰しにも喜んで参加し、実績をあげた。特に、グループの自由奔放な活動方針マニフェストに全力の理解を示して怠らなかった。いや、理解に努めるまでもない、憧憬さえあれば自然体にしていても過不足なくグループへと溶けこんでいられた。


 憧憬とは、苦労することを苦労させるものである。


『出水よ。お主は狂犬のお眼鏡に適ったのじゃ。異例の抜擢と肩肘を張らず、率直に受け止めよ。これは慶事じゃぞ? ゆえに出水よ、彼の慧眼を裏切らぬよう、思うがままに邁進わるさせぃ』


 なぜかいつも喪服姿でいる幹部、奥貫晶杯からの言伝を機に、彼は中層構成員へと昇格した。入隊してからわずか3ケ月強、並み居る強豪たちを押し退け、晴れて5人目の中層と相成った。これで、より足繁く幹部たちの企画に協力できるようになる。


 有頂天だった。


 意気揚揚、彼はさっそく、入学直後から目をつけていた1年先輩の女子生徒に声をかける。彼女の名は国仲凛輝美くになかりるみ。ヒナ高の生徒にしては珍しく清楚な雰囲気の女で、キューティクルの保たれるロングの黒髪もまた実に美味しそう。


 ちなみに、この時にはすでに高橋という同学年の恋人がいたわけだが。


『ヤ、あの、興味ないんだけど』


 くりんとしている瞳を陰らせ、わずかに頬を歪めて国仲は拒んだ。


 別に拒まれても構わなかった。凌辱するためにわざわざ相手の意志を尊重する必要などない。どちらの暴力が上なのかという、ただそれだけのことに過ぎないのだから。ならば、出水のほうが遥かに格上である。


 その清廉エシカルな頬を引っ叩き、髪を掴み、くずおれる身体を吊りあげた。誰に対してのものなのかは知らないが、大切に大切に育ててきた黒髪を力尽くで扱う愉快、美少女とはいえないが整った顔を歪ませる娯楽、どこまで弱らせれば服従が叶うのだろうかと算段する喜悦──ありとあらゆる恍惚がたちまちのうちに出水の脳を支配、同時に股間を硬くさせたものである。


 すると、


『なにを勝手にいとんじゃッ!』


 国仲の友人らしい次原伊織つぎはらいおりが背中を蹴ってきた。しかし大した痛みはなく、裏拳で一蹴。まさにかばうようにして友人に覆い被さり、ふたり仲良く崩落。


 ふと、廊下の先に目をやる。2年1組の出入口の手前、氷河の眼光を携えてたたずむ姉崎記子あねざききこの姿が。確か彼女も国仲の友人だったか。磔刑の基督キリストが散りばめられる紅いワンピースにふたつのお団子ヘア──前衛的なロリータの、しかし原宿を探せば見つかりそうな風貌である。


 ぼそぼそとなにかを呟いている。それはあまりにも小さな声だったが、強引に空気を斬ってくるクリスタルの高周波が聴聞ヒアリングの難易度をさげた。


『哀しいかな哀しいかな……』


 そんな呪文スペルに聞こえた。


 あの女は、少し厄介そうである。


 ふん──鼻で見切りをつけると、


『もしもひとりになったら必ず襲う。何度も何度もオカして何度も何度もハラませる。だから国仲センパイ、永遠にオトモダチと寄り添ってるんだよ? わかったかな?』


 泣き顔の国仲を脅迫し、すっかり静寂しじまと化している廊下を立ち去った。いつもみんなと一緒にいられる道理はなく、必ず孤独になる瞬間がある。その恐怖の渦中に凌辱を加えてさらなる恐怖を与え、ついに挫折した顔を白濁液でたっぷりと汚す──そんな願望を抑え、意気揚揚と出水は引きあげたのである。


 それから、職員室や保健室のある2階を経て、1年生の教室が並ぶ1階へとおりた。


 段ボール製の窓硝子が右に伸びている。窓のくせに薄暗く、遥か対岸を望むために目を細めるという苦労を与える。ほぼ廃墟である。熱まで籠り、目新しさのない廊下に記録的な猛暑を築きあげている。


 しわしわしわしわ──蝉の狂想曲カプリッチオを耳にしながら男子トイレへ。入って早早、CDほどの大きさとなってしまっている鏡が出迎える。床には、折れた自在ぼうきや砕けたプラバケツが散乱し、壁には無数のガムが添付されてことごとく黒ずんでいる。刺激的なアンモニア臭も芳しい、ある意味、法悦の境地に達してしまっているトイレである。


『うぉ、臭ッさ!』


 軽くきこみながらも陽気な歩調で、5つ並んでいる小便器の右端へ。陶器に触れないよう適切な距離レンジを確保、ブレザーパンツのチャックをおろし、ボクサーパンツの隙間から局部を取り出すと、右の人差し指と中指で支えて静かに待機。


 なんとなく排泄欲求をおぼえただけなので、思った以上のタイムラグが空く。


 すん。


 鼻から細い息を吸う。


『……チュロス?』


 法悦のトイレでなぜかシナモンの香りを嗅いだ、その直後のことだった。


 もぬ──出水の金的が熱い肉に包まれた。


 いや、握られた。


 ブレザーパンツ、ボクサーパンツとが一瞬にしてじ開けられ、熱いナニカが下着インナーの内部へと不法侵入、そして、2個をガッチリと、しかし柔らかく握ってきたのである。


『お!? お!? お!?』


 石のように固まる身体を奮い立たせ、顎を引いて見る。背後から腰の右側面を経由して股間の内側へと、何者かの腕が回りこんでいる。


 小麦色をした、引き締まった右腕。


 滑らかに輝き、腕毛もないらしい。


 そんな感想はどうでもいい。スムーズな流れで、金的が、体外へと露出した内臓が、急所が、握りこまれているのである。


『ちょちょちょちょ!』


 慌てて腰を引くも、背後に立つ何者かの身体が壁となって引けない。さらには意に反しての排泄がはじまり、どういう体勢になればいいのかがわからなくなる。


 混乱。混乱。大混乱。


 すると、がばッと、背後から強く抱き締められた。左腕1本で、万力のように、出水の胸を、力強く。


 排泄中なのに第三者によって金的を握られ、加えて熱烈な抱擁ハグまで受ける──性的遊戯プレイならば申し分のない状態である。


『汚さば潰す』


 右の耳には、


『放らば放す』


 女の囁き。


『ただそれだけのことです』


 女。


 女?


 女!?


『容易なる二者択一です。して、あなたはどちらを選択チョイスしましょうか?』


 まるで、吹きはじめのアルトサックスのような囁き声。大半の音が霞んでいる。


 男子トイレというステージで、怠惰レイジーなジャズのアドリブは続く。


『種の保存に思いを馳せましょうか?』


 ぎゅる──下腹部全体に軋むような痛みが走る。


掌握グリップを許しましょうか?』


 かつての恋人たち、その誰からもこんなふうに握られたことはない。例えばデコピンを受けただけで七転八倒するような急所を、こうも無造作に握られることなど。


 皮膚はこそばゆく、臓物は痛い。


 しかし、排泄とは常に恍惚の象徴である。


『あら、ってきましたか。その選択肢は頭にありませんでしたよ』


 とたん、照準を見失った小水が便器の枠に衝突、飛沫が弾けた。スプラッシュは出水の顔まで達し、ブレザーパンツはもとより、黒いパーカーをもヒタヒタに汚す。局部はとうに熱い液体に塗れ……ということは、女の右手さえも存分に濡らしたはずである。


 しかし、彼女は微動だにしない。微動だにしないことによって出水を微動だにさせてくれない。強固な万力の腕力で彼を握り、抱き締めたまま。


『国仲凛輝美さんのオトモダチとして勧告させていただきます。彼女を汚したくば、絶対に避けて通れない条件をクリアしておく必要があるということを』


 煮詰まったアンモニア臭と生まれたてのアンモニア臭、それから、まったく属性の異なるシナモンのフレグランス。


『それは──あなたのしゅを犠牲にすること』


 苦痛と快感。臭素と芳香。混乱と興奮。羞恥と恍惚。


『極めて明快シンプルな条件であり、もちろん選択の自由もございます。が、老婆心ながらに助言いたしますと、よくお考えになったほうがよろしいかと』


 パーカーが冷たい。


『長考は許容範囲としております』


 パンツが生ぬるい。


『しかし、もしも選択を誤れば』


 漏らしている。


『おひとりになった時、どうぞ背後に気をお配りくださいませ』


 顔もわからない女から金的を握られ、1歩も動けないほどの抱擁をされ、しかし屹立きつりつさせ、あげくの果てには漏らしている。


『私の名は、百目鬼歌帆どうめきかほ


 だらりとよだれが垂れた。


『あなたの明日を預かる者』


 僅差で羞恥心が勝った。みるみるうちに血流が散る。


『おや。もう萎えてきましたか。立ったり座ったりと、落ち着かないおだこと』


 鼻で笑うや否や、女は、きゅ──ドアノブを掴む程度に握力をこめた。


『だおッ!』


 急速に拡張する激痛、それは下腹部から胃袋へと駆けあがり、一瞬にして嘔気おうけをもよおすと、出水は局部をさらけ出したまま内股の姿勢で崩落。


 すでに排泄は止んでいた。しかし、伏臥ふくがする彼は、なぜか再びの屹立と、


『あッ、あッ、あおぉおン……!』


 射出を選択していたのである。





     ☆





「さっわらっせろー。なっめさっせろー」


 苦痛と快感の融合から解放され、四つん這いになって周囲を見渡せば、もう「ドウメキカホ」を名乗る女の姿はなかった。


「いいじゃん。恋人同士なんだからさぁ」


 夢か、幻のようだった。


「触るぐらいならフツーにアリっしょ?」


 しかし、ズブ濡れの身体は現実のものでしかなく、腹部を汚す白濁液も現実、ましてや賢者タイムの理性に至っては、現実に経験してきた感覚以外の何物でもなかった。


 着替えはない。その場で衣服を洗うのは不可能。だから忍び足でトイレから脱出。ところが、不運なことに、女子生徒集団と鉢合わせすることとなる。しかも彼女たち、よりにもよって狂犬グループに最も近しい御意見番、三枝虹子さえぐさこうこの舎弟であり、なおかつ、高橋絆の友人でもあった。


『なんか臭ぇんだけど』

『ションベン臭い』

『つかイカ臭くね?』


 奇異の目でめつけられた。


「大事なところを触らしてくれるのはね、愛しあってこそのことなんだよ?」


 狂犬グループの息がかかる女子軍団に嫌疑を抱かれ、しかも容疑は事実であり、そのせいで出水は、夢にまで見た新境地にいられなくなった。せっかく中層構成員に昇格したのに、その晴れの日に、さっそく進退きわまってしまったのである。


「マヤはもう、あたしを愛してないの?」


 ずいぶん下のほうから、卑怯な泣き顔と泣き声で、産まれたままの高橋が潤む。


「んなこと、ないけど……」


 そうは呟いてみるものの、ずいぶん下であることに気が気でない。


「ケド? ケドってなに!?」


 高橋は、触りたがるから困る。


 あの日以来、出水は高橋との性の営みを上手に保てないでいる。結合はあってもその前後が捗らず、ギクシャク。


 いっそのこと別の女に鞍替えしようかと思わないでもない。しかし、結合に向かって努力してくれるぶんだけ高橋はまだ優しい女なのかも知れない。もしや別の女ではこうはいかず、侮蔑された上で捨てられてしまうのかも知れない。セックスの教科書テキストは、女によってまったく異なるのだから。


「もう怒んなよ」


 上半身を起こし、高橋の、脱力したようなアッシュグレーのミディアムヘアを撫でる。そして、不貞腐れている小さな裸体を招き寄せる。接吻くちづけをひとつ、左の首筋にもひとつ、右の鎖骨にもひとつで、その下の慈母星を唇に挟む。


「むあ」


 悶え、仰け反り、より平らになる星を、今度は味蕾みらいで撫でる。


 嗜虐的サディスティックなものはすべて進んで与えてきたが、愛他的カインドネスなものはすべて受け身にしてきた。それほどまでに自分本位な出水が、よもや贈る側に回ろうとは。まぁ……これが愛なのかどうかはともかく。


 自分本位であることこそが唯一の活力だった出水の明日は、永遠に続くものだと信じた冥利の明日は、あの女の掌によって、すっかり逆転してしまった。


『あなたの明日を預かる者』


 握るだけでイジャキュレーションを呼び起こす魔法の掌によって。苦痛を与え、種の保存に思いを馳せさせ、ついにわらを掴ませた野性の掌によって。快楽と苦痛が常に寄り添っていることを教えた、これ以上にないほど官能的セクシーな、究極の掌によって。





   【 了 】




 

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