肆の戦 ≪ 蚊帳の外の男

 


『決して壊れない信仰はない。真に信心深い犬の信仰を除いて』── コンラッド・ツァハリアス・ローレンツ



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■ 狂犬グループの公式パシリ

  野呂のろ 賀明よしあき ── 曰く





 体罰でさえも無益なものとして排斥されつつある現代社会において、例えば、高校生同士の抗争劇なんて起こり得ない話である。陰口や無視シカトならばまだしも、殴りあいの喧嘩沙汰なんて起こり得ない話なのである。だって、なにを好き好んで殴りあい、わざわざ痛い思いをし、それで将来に影を落とそうというのか?


「抗争」とは、あくまでも不良系の漫画やライトノベルズを潤すための娯楽的な要素でしかなく、いわばファンタジー。剣と魔法のドラクエか、剣と実力のモンハンかという棲み分けの作法に過ぎない。なかんずく、日本の現実社会においては剣も魔法も実力も不必要なものなのであるからして、抗争劇が陽の目を見る道理は皆無に等しかろう。


「いや実力は必要だろうよ」と叱る者もいるだろう。しかし、最低でもひとり以上、実力を使わずに成功をおさめている者がこの世にいるはずなのだから、実力なんて使わなくてもいい部類のものなのである。そして、使わなくてもいい方法を多くの無能なる日本人が知らないというだけの話なのである。


(技量のない者ほど実力を重宝したがる。埋まっているのかどうかもわからないような無価値な砂金を)


 野呂賀明はそう思う人間である。


 ゆえに、高校生同士の抗争劇を果たしたがる時代錯誤な当高校で生存するため、彼は必要以上に頭をさげ、発注オーダーされたパンの種類を手の甲にメモするなど、実力以外の技能的な処世術のほうを鍛えることに余念がなかった。なぜならば、この陽向ケ原ひなたがはら高等学校──『ヒナ高』は、喧嘩力を唯一の実力とする高校なのだから。


 校内は鬱憤の排水溝ドレーンと化している。他校に売り言葉を投げたところで冷やかしすら返ってこないのだからフラストレーションもやむなしである。割られた窓硝子を交換したところで必ずや割られるのだからと屋内の窓の大半には段ボールが代用、つまり視覚的な薄暗さもまた彼らの鬱憤を後押しする要因なのではないかと思われる。


 流血沙汰のスラムなのである。


「女だからって絶対に手を抜くなよ」

「なにしろ相手は古武術の使い手だ」

「体格もあるし、体力もあるからな」

「油断して折られた骨は万を数える」


 んなアホなという算段を練っているのが、ヒナ高の鬱憤野郎を3派に分かつうちの1派『狂犬グループ』の構成員どもである。


「ジンさんが動く前に片づけりゃ、俺らの株もあがるってモンだ」


 多勢による襲撃を公認するグループであり、特に、ボスの鬼束甚八おにつかじんぱちは『狂犬のジン』と呼ばれて誰からも畏怖されている。


 ちなみに残りの2派を、



赤鯨せきげいグループ

神鷹しんようグループ



 と呼び、まるで冥界三巨頭のようである。


(某マンガのようだが、事実である!)


 絶望的だが、とまれかくまれ本日の昼休み、狂犬グループの下層構成員である吹田源治すいたげんじ砥板磐といたばん丸茂利成まるしげとしなり豊嶋貞児とよしまさだじ諏訪求すわもとむ九郎丸尚哉くろうまるなおやの6名は、とある女との抗争を果たすべく体育館のステージ上で野心の胸を膨らませていた。


 女、ひとりに対し、抗争とは大袈裟か?


 否。


 この女、自営業のくせに1個師団にも匹敵する軍事力を有しているのである。バカげた耐久力、脚力、持久力、機動力、りょ力、技能、理論──およそ全国レベルの才能を持ち、すべての五輪競技に出場すればそのうちのいずれかで金メダルを獲れるだろう潜在能力をも秘めている。事実、今日までの1年半の間に、40名はいただろう狂犬グループのすでに15名を埋葬ずみ。


 ひとり無敵艦隊──決して大袈裟な比喩ではない。


 ならば必然の作法か、狂犬、赤鯨、神鷹に匹敵する喧嘩力を有していると囁かれ、しばしば抗争のターゲットとされている。


(お気の毒に)


 実力があるとロクなことがない。よりいっそう不実力主義の指針を密にしてしまう野呂なのである。


「ノロがめ


「へい!」


「ヘイて」



 ⇒ 20XX/09/03[月]12:XX

   東京都豊島区南池袋

   陽向ケ原高校の体育館にて



 げらげらとあざけられ、卑屈な微笑みを返すことしか術のない野呂に、下層構成員の中では実力株とされている吹田源治が重ねた。


「ノロ亀はどうやら俺らに毒を盛る気でいるらしい」


「は、はい?」


 棚引くような半笑いで応えると、吹田はオレンジベージュ色の自慢のツンツンヘアを気障きざったらしく整えはじめた。


「太ぇ野郎だな」


「え? え?」


かび、そろそろ生えてる気がするんだよなぁノロ亀クンよぉ」


「……あ!」


 遠回しに非科学的な指摘を受け、左手にさげていたコンビニのビニル袋を忙しくまさぐる。この中には6人分の甘菓子と甘飲料が梱包されており、すべてが野呂の投資したものであり、そして彼のぶんはない。


「すすすすみません、あまりにも張りつめた空気だったもので」


 同じ2年生の吹田にへこへこと陳謝。もちろん、6人の中には後輩も混ざる。


 自分の記憶力に問題でもあるのか、単にふわっとした参入だったから憶えていないだけなのかは定かではないが、ふと気づいた時にはすでに狂犬グループの公式パシリと化していた野呂である。


『まぁ使いたいヤツぁ使えばいいけど、俺はさ、こういう弱卒を見たとたんに情けなくなって暗渠あんきょに隠したくなるから、俺の前にはコイツを露出しなさんなよ。だって埋設するカロリーが惜しいんだもん』


 ただひとり、ボスである鬼束からはまったく認められていないが、それでも下っ端の中の下っ端を演じる毎日である。


 ちなみに、狂犬グループの序列ピラミッドは以下の通り。



・ ボス

② 鬼束甚八


・ 最高幹部

巣南重慶すなみじゅうけい


・ 幹部

奥貫晶杯おくぬきあつき

大隣憲次おおとなりのりつぐ

鞍馬潮くらまうしお


・ 上層構成員

乾丞秀いぬいじょうしゅう

五十嵐力弥いがらしりきや


・ 中層構成員

絵面清貴えづらきよたか

新垣契永にいがきせつな

京師航きょうしわたる

鐙谷董吉あぶみやとうきち


・ 下層構成員

冨永理人とみながまさと

銀鏡和毅しろみともき

② 吹田源治

② 砥板磐

② 丸茂利成

② 豊嶋貞児

② 諏訪求

① 九郎丸尚哉

寄居枝忍よりいしのぶ

阿川美景あがわみかげ

② 野呂賀明


・ 御意見番

三枝虹子さえぐさこうこ


(丸の中の数字は学年をあらわす)



「ふうん。つまり緊張感にビビって納税するタイミングを逃してたってワケかい」


「え、えぇ」


 メモ通りに甘菓子と甘飲料を手渡しながら、


「なにせ相手は、あのドウメキですんで」


 さすがに擦れ違ったことはあるものの、しかし噂話でしか知らない件の女について、さも巨人であるかのごとく誇張評価する。自分から売ることはしないが売られた喧嘩は当然のように買い、暗闇にまぎれて無遠慮コテンパンに伸し、授業は真面目に受け、そしてシナモンの香りがする女──という謎めく噂話に過ぎないが。


 この女の、名を、百目鬼歌帆どうめきかほという。


「つか、おいバン。ヤツにはちゃんと話が伝わってんのかよ? 来る気配がぜんぜんねぇんだけど」


 同じく真面目に授業を受けている少数派からは、されているのだそう。


「うん。伝わってるはずだけどね」


 歌帆さん──と。


「つか、なんつって伝えたんだよ」


 そんな平和な噂話もある。


「そろそろ俺らの相手もしろよって」


 たぶん、悪い人じゃない。


「で、ヤツはなんつった?」


 美人だと思ったことはある。


「別にいいですヨって」


(歌帆さん……かぁ)


「はあぁ? そんだけかよ」


「えぇ。ソンダケですよ?」


「ああッ!?」


 ステージのどこかから、アルトサックスのように深みのある女の声が響いてきた。しかし、あまりにも響きは広く、アンプの在処がさっぱりわからない。


 きょろきょろと忙しなく見渡す甘菓子の6名+ビニル袋の1名。


「おほっ。ちゃんと来たじゃねぇかよ」


 緊張の半笑いで腰を浮かせる吹田。


 すると、ううううううううう──突如、ステージの前のきわ、その天空から、鈍い機械音を立てながら黄金色の緞帳どんちょうがおりてきた。学業にはまったく関わりを持たない6+1、いったいどこで操作されるものなのかがわからず、茫然として黄金色の大団円を見あげている。


 次の瞬間だった。


「てッ……!」


 野呂の左手が振り子のように前方へとカチあげられ、鈍い痛みが走った。


 突然のことなので、背後から蹴られたとはわからなかった。とはいえ、うっかりビニル袋を手放してしまう。


 さらに、右の膝の裏ひかがみを連続で蹴られる。かくん。ビニル袋を追う暇もなく折り敷かされた。


 わさっと宙を舞う、中型の白い袋。


 と──、


「ぉ、わ……!」


 彼の背中を踏み、跳躍ロイター板にして跳び越えてくる者があった。大した重量こそ感じなかったものの、予想外の出来事、文字どおりに圧倒された野呂はたちまちのうちに四つん這いとなる。


 嗅覚を襲ったのは、熱烈なるシナモン。


 とっさに見あげる。


 ぱしゃ。


 飛び越えてきた両手によって中空でキャッチされるビニル袋。


 目の前を遮るのは巨大な下半身。


 躍る、格子縞のブレザースカート。


 覗き見られる、まっ黒なインナー。


 小麦色の、大きな大きな、お尻。


 ……女だった。


 思わず見蕩れる。景色がスローモーションになる。しかし、飛翔体だけは勢いよく、躊躇なく、大河のスピードで、ぽかんと口を半開きにして仰いでいる吹田の背後から、彼の尖った頭部全体へと、白いコンビニのビニル袋を、ぎゅぽ──被せた。


「もぉ!?」


 ストッキングで変顔をこさえる罰ゲームよろしく、被るにしてはあまりにも窮屈なビニル袋を頭から被せられ、間の抜けた声をあげながら顔を覆う吹田。


 寸断なく、彼は宙に浮かんだ。


 背中あわせとなり、左手で右手を捕え、右手で領頚えりくびを捕え、上半身を折り畳み、女は男子高校生を豪快に持ちあげる。それからさらに折り畳むと、ごんッ──乳白色の塊となった吹田の頭頂部テンプルをステージ上へと投下。


 逆・背負い投げ。


 殺人的な技である。ただ、当然のことながらその技が『鬼門陰陽流きもんいんようりゅう古武術』の独自の投げ技『稲掛いなかけ』であることなど野呂の知る由もない。


 と、すぐさまに女はステージの下手しもて、暗黒の中へと跫音もなく退場ハケた。雷電のごとく、瞬きさえも許さないその一連の速度には、恐らく誰も彼女の人相を確認することが叶わなかっただろう。まさに青天の霹靂。


 ステージと平行の仰向けになったまま、呆気なく、ぴくりとも動かなくなった覆面レスラーの吹田。こちらはこちらで人相を確認できず。


 ううううううううう──2/3まで緞帳が閉まりかかる。


「ク、ソ!」


 狭いステージの上では圧倒的に不利と踏んだのか、にわかに1年生の九郎丸が駆け出した。緞帳の隙間から広いホールへとスライディングの脱出エスケープを試みる。


 試みた瞬間だった。ステージの際の真下から、にゅ、2本の太い腕が出現。それから、スライディングの右足を捕まえ、勢いよくホール下の奈落へと道連れ。


 ごどん。


 不自然な角度で落ちたとわかる鈍い音。そして、このタイミングで緞帳は閉幕。


「さて」


 閉めきられた幕の向こう側から、


「あとの4名は」


 柔和マイルドなアルトサックス。


「本日の放課後、その、いつかどこかで奇襲するという感じにしましょう。むろん──」


 甘菓子を片手に4名仲良く立ち尽くし、残る1名は手ぶらで平伏している。


「──約束が守られる保証はありませんが」


 続けて、


「それはそうと」


 ブルージィな声の主は、


「媚びる羞恥に肩を落とすのならば歴史の糧ともなりましょうが、媚びる習慣に胸を張るのならば歴史のままともおよびませんよ?」


 誰に対してなのか滔滔とぎんぜ、


「あなたはまず、恥を知りなさい」


 優しく諭した後、


「しからずんば永久に蚊帳の外です」


 ぱったりと止んだ。


 シナモンの残り香だけが鼻をくすぐる。


 吹田はいまだに伸びたレスラーのまま。


 堅実な九郎丸もいまだに戻ってこない。


(……シカラズンバ?)


 残された下っ端どもが緞帳を捲りあげ、戦戦恐恐とホールを確認している。しかし、すでに誰もいないらしく、そしてこの後、どうやら彼らは奇襲攻撃を浴びる予定にあるらしい。いつ、どこで、どの順番に凶刃を浴びるのかは定かでないものの、とりあえず浴びるではあるらしく、だとすればまったく浴びないのかも知れない。


 野呂を省く、残る4名がである。


 敵視されなかった彼はラッキーである。殴りあいなんてしないに越したことはない。それは確かなことである。


 しかし、蚊帳の外に放逐はなされては必ずしも幸運であるとも言えない。孤独だからである。


 蚊帳の内ならば戦わねばならない。


 蚊帳の外ならば戦わなくても済む。


 しかし蚊帳の内には仲間がいよう。


 しかし蚊帳の外には孤独が待とう。


 ジレンマである。


 


 さぁ、損得とはなんぞや? 善悪とはなんぞや?





   【 了 】




 

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