第3話 突如彗星現る⑴
人間の脳はつじつまの合わないことが嫌いなので、現実に起きた出来事を勝手に補完してしまうことがあると何かの本で読んだことがある。だから、本当には起きていない出来事だったとしても、昔こういうことがあったよねと他人から聞かされ続けると、本当にそれを経験したのだと思うようになることがあるという。ヒトの記憶というものは案外いい加減なものなのかもしれない。だとすると自分自身の記憶というものは一体どこからどこまでが本当で、どこからが作られた記憶なのだろうか。自分の過去というものは絶対の存在ではなく、案外他者によって作られるものなのかもしれない。
僕がこの大学に入学してから2ヶ月経過していた。工学部の機会工学科に入学した僕に待ち受けていたのは、大学数学だった。高校の時は数学は授業を聞いているだけで理解できて僕は数学が得意だと思っていた。しかし、大学の授業は聞いていてもわからない。なんか僕の中の数学に対する親近感がどんどん遠のいていく。これはどうしたものかと思い、教科書を開いてもこれまた小難しい言葉が並んでいて、数式があまりでてこない。途方に暮れつつあった。もうそろそろ中間試験があるというのに、僕はそれを乗り切れないのではないかという不安がそろりと脳を侵食していく。
図書館の閲覧室で数式とにらめっこするも煮詰まっていく。もうだめだなと椅子に身をなげうつ。
「ねえ。君、落ちたよ。ぺん。」
背後からふわっとしたソプラノボイスが聞こえてきた。
「あ。ありがとうございます。」
僕はお礼を言い、ペンを拾う。声の主を見ると、どこかで見たことのあるような相手だった。ショートカットの髪を後ろでちょこっとバンドで結んでいる髪はさらさらとしていて、石鹸の良い香りがしてくる。顔は整っていて一般的に美人と言っても良い部類だ。
「敬語って・・・。つか、君って、微積で同じ授業受けてるよね?タメでいいでしょ?」
「う、ごめん。まあ敬語で接する方がいい場面もあると思いま、思わない?」
というかこの女、初めから終始人を見下したような目で見てきているように感じる。ただし、目もぱっちりとして可愛い感じなので、それでも華がある。
「まあねえ。最初から仲良くなる気もない相手とは敬語で適当に距離とって接する方がいいかもね。でも君の場合は違うでしょ?誰に対しても敬語で接してるんじゃない?」
「まあ、そうだね。誰に対しても敬語で接することで全ての人間を対等に扱いたいんだよ。誰かを特別扱いすることなくね。僕は、各人間は、その能力をもって客観的に評価されるのが妥当だと思っているんだよ。だから敬語で接してもいいかな?」
「相変わらずだね。高橋君は。」
彼女は相変わらず人を見下したような目で僕をみる。相変わらずだね、そう言われたが、どういうことかわからなかった。
「相変わらずってどういうこと?僕はあなたとは初対面だよね?もちろんどこかであった気がしていたけど、同じ授業を受けていたなら合点がいくし」
「うんうん。そうだよね。その反応、前と同じだよね。」
「前って・・・。」
言ってる意味がわからない。
「私の名前は、緑川ユキ。時間をループしているの。私はこの日を過ごすのは3回目。だから今日起こることは全部わかっているの。」
時間をループする存在。そんあ漫画とかラノベじゃあるまいしと僕は冷静にこの女性を見る。いわゆる厨二病というやつなのかもしれない。
「そういうの、イタいと思うよ。僕は別にそれを取り立てて悪口を言いふらしたりしないからやめた方がいいんじゃないかな」
彼女は、緑川ユキは、うっすら笑みを見せる。顔立ちが整っている分、余計に不気味に感じてしまう。
「その反応も、同じね。高橋君。私は高橋君のことは何でも知ってるよ。な・ん・で・も、ふふふ」
「からくりとしては、僕がしゃべることに対して『昨日と同じね』と言っていくだけで、それをあたかも知っているかのように見せかけているだけだよね?そんなSFみたいなものは実際はないんだからさ。」
「そうね。そうかもね。高橋君がそういうならそうなんでしょう。世の中にはSFみたいなことは起こらない。高橋君の世界ではそれが成立する。それが君の世界観なのだから」
「実際、緑川さんは僕の何を知っているというのさ?」
彼女の目が、いやらしく歪んだのが見えた。性格の悪さがみじみ出ているようでいて悪魔的な美しさも感じさせる、それだけで完成された作品のようにも思われてしまう。
「高橋君ってさ、高校と大学でキャラ変えしたんでしょ?高校ではさ周りの人たちに迫害されてたんでしょ?」
僕は緑川さんの目を黙ってじっと見つめる。僕は、地元からはずっと遠くの大学に進学したし、僕の高校からこの付近の大学に進学した学生はいなかったはずだ。
「わかるよ、君の考えていること。どこでそれを知ったのか、とか、私の出身はどこかとか?そういう自己防衛的な考えが浮かんでいるんだよね。」
僕はまだ目をそらさない。そらしたらそこに付け込まれるのではないかと不安だった。そして、その不安を相手に見透かされていることにも居心地の悪さを感じる。
「ちなみにだけど、私の出身高校は、この近所で高橋君のところとは違うところ。そしてもっとはっきりさせるけど、私は君の味方でいたいと考えてる。」
彼女はこれからバイトだからと状況が飲み込めていない僕を置いて図書館をあとにした。また、去り際にループとか嘘で僕の表情を見ればだいたい考えてることがわかるだけだと補足した。
僕は、一人図書館で何をするでなく、椅子に腰掛け、今日の出来事について考えていた。緑川さんと話すのは今日が初めてだというのに、彼女はなぜか僕のことを知っているようだった。それがとても不快に感じられてしまう。情報の不均衡感。相手は僕の情報を持っているにも関わらず、僕は相手の情報を何も知らない。
彼女は味方でいたいと言っていたけれど、僕は何だか信用ならないという気持ちだった。一方で、彼女の外見的な魅力に少し惹かれているように思われてそういう自分にも嫌悪感を抱いてしまった。
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