数学

初恋で一目惚れだった。


登校中に偶然見かけた、彼女のキラキラと輝く笑み。どうやったら、あんな笑みが出来るのだろう。何を考えているのだろう。実際には何も考えていないからこそ出来る笑みだったのだが、そんなことを知らない自分は、彼女のことばかりを考えていた。あんまりにも上の空な自分を見かねて、友人は言う。

「なんだよ、恋煩いか?」

「恋?」

そうか、これは恋かもしれない。そう思ってからは早かった。まずは何より、彼女のことを知らなければならない。学年すら違ったが、あの手この手で違和感のないよう彼女へと近づいた。名前は、箱崎桐花と言うらしい。部活動には所属しておらず、委員会は活動の少ないボランティア部に所属。桐花さんの周りには、人が絶えない。常に何らかの誘いを受けており、そのせいだろう、成績こそ悪くないが、度々課題の提出が遅れる。この点を利用しようと思い、桐花さんへと提案を持ちかけた。

「僕と通話して、先輩が寝ないように、課題をするように促すって言うのはどうでしょう?」

桐花さんは、二つ返事で了承した。

「明日友達と出掛けるんだけど、朝が早いんだよね。悪いんだけど、起こしてくれない?」

「はぁ」

「お願い!」

課題以外でも頼られるようになってしまったのは、悪くない誤算だ。

そうして、いつの間にか桐花さんの隣と言えば自分と言われるまでになっていた。嬉しいことこの上ない。

ここまで来たのならばと、正式に告白することも考えたが、彼女に恋愛対象として見られているとは思えなかった。それならば、このままでいい。このままでいい。たとえ桐花さんに彼氏が出来たとしても。名前の付けられないこの関係は、きっと崩れないだろう。

今回、お母様から鍵を拝借する際に掛けられた言葉を思い出した。

「まったく、桐花は小林くんがいないとダメなんだから」

彼女が所謂『駄目人間』であることに、心から感謝している。

「英語、終わったーー!!」

そんな回想を吹き飛ばすような歓声。思いっきり伸びをしながら、満面の笑みを浮かべている。かわいい。

「おめでとうございます」

こたつに入れて温めていた手で、当初の予定通り彼女の背中をさする。

「そういえば、小林くんは報酬を要求しなくなったね」

元から求めていない。ただでさえ、あなたと会話出来ているのだ。耳元への囁きとそれによって生じた滅多に見ることの出来ない表情、及び深夜の自宅訪問でお釣りが来ているくらいである。

「あれは電話越しのプレッシャーです。求められて困るのは先輩でしょう?」

「そうなんだけど、割に合わなくない?」

「それは百も承知です」

「うーん、ごめんね」

謝るのはこちらの方なのだが、ちょっと困ったような表情は珍しいので黙っておこう。

「残りは化学と数学ですか。どちらがお好きですか?」

「どっちも嫌い」

「じゃあ、量が多いのは?」

「数学」

「それなら、数学から終わらせましょう」

「そういえば小林くんは、嫌いなものから先に食べる派だったね。私もそうなんだけど、課題には適応されな」

「外が濃い青色になって来ましたね。こういう時間帯を、ブルーアワーと言うらしいですよ」

「へぇ、博学だね。さすが小林くん!」

「ブルーアワーは、日の出前と日の入り後に発生する現象です。日の出前、ですよ。危機感、ないんですか?」

「あります。はい、やります。終わらせます」

僕の言うことに一喜一憂しながら、課題と向き合っている。あぁ、なんて素晴らしいことなんだろう! 口元の綻びを悟られないよう、次に彼女が向き合う化学のプリントで隠した。

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