#113 Favorite Number(お気に入りの一曲)

 隣に座る彼女が、唇を震わせて発したのは過去の残滓か、或いは在りし日の残響か――。


 それはきっと。


「私にとって、一つの可能性。大袈裟な表現だけど、光みたいに見えた。貴方の生き様に、未来の自分を重ねて勝手に期待した。貴方達の様に私も、『いつか』はって―――」


 漠然と曖昧に確固とした信念に基づき行動していた時分の自分。

 佇み暮れなずむ幼き風景の中に馬鹿みたいに消えて行く愚かなギター少年を見て、そんな風に酔狂で好意的な感想を抱く人間がいるとは思いもよらなかったし、想像すらしていなかった。それが僕の率直な感想。


 だけれど世間に発した音源だけで無く、僕の起こした愚かな行動の果てであって。

 そして、それらの行き着く帰結が彼女やその他の名も知らぬになれたのであらば――それは僕にとって…こんなに嬉しい事は無い。

 客観的に基本的に、音楽くらいしか価値と取り柄の無い僕だけど、それだけが僕の全てじゃないから。


 空気を読まない綻びの様な満足感が一片ばかり生まれた。


「でも、それだけで終わったのが中学生の時。語るにも及ばない――些細で淡い思い出だよ…」

「そっか…」


 その口調や内容から来る真剣味のせいか、少しだけ侘しい空気になるのを防ぐように彼女は時間を進めた。


「それで大学に上がって、今までに無いくらい人間関係が拗れた時に、私は気分を変えたくて。普段は行かない、ファッションビルに入ったの」


 触りだけは既に知っている、彼女と僕達との出会いの瞬間―――その刹那を僕は一種の期待感を持ちながらパブロフの様に待つ。


 流れる前髪の後ろで視線を軽く振った新山彩夏はやがて口を開く。


「初めての場所を居心地悪く彷徨っていたら、ふと目を引いた特設コーナー。そこに携えられた写真の男性に目を奪われたの…」


 遠い目で静かに息を吐き出すその色気に思わず息を呑む。僕達のファーストが導いたファーストコンタクトだねという空気詠み人知らずな言葉もついでに飲み込んだ。


 自身のワードセンスの欠如やクソっぷりがそこかしこから露見して、どうにも隠しきれなくなったりする今日この頃。喉の奥と胸の奥に突っかえた苦虫を神酒なるアルコールで中和する。


「アーティスティックな模様の壁に背中を預けた若い男四人。真ん中に位置どったのはかつて以上に華のある男性と――淡い記憶とは髪色の違う貴方」


 ノスタルジックに背中を押されて試聴用のヘッドホンを手に取ったと彼女は言う。


「夢遊病の様に何かに流されて、手書きポップに従って再生したのが『アダルトチルドレン』だったの…」

「なるほど。わかった、カラクリか……」


 全てが繋がった感じが劣悪な脳内を駆け巡る。

 スタジオで彼女の提示したリクエストにも得心が行った。

 本当に、自分の意図しない影響力にぞっとするよ。


「何気なく聴いたその一曲に…本当に、理由はわからないけど、救われた気分がしたの。気が付いたら涙を流してた」

「それはなんとも、照れる話だね……」


 古参のリスナーから身の丈以上の惨事を貰い羞恥に顔を背ける僕。目線を切る直前に捉えた彼女は同様の理由で俯いていた。なんだこのプレイは?


「そこから先は…その、もういいかな? 流石に少し、恥ずかしくなってきた……」

「…うん。ごめん…ありがとう……」


 恋人の提案に即決で同意して顔を上げる。

 出会いの話は大体理解した。それに伴い僕の身体を圧倒的な速度で侵して行くこの"熱"の源泉は、はたして酔余か羞恥か…。


 その違いを明確に判別してきちんと綺麗に言語化出来る程、まだ僕のレベルは高くない。

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