#114 Sewing Dream(夢を編む)
目には見えなくて煙が立ち込める室内なのに
難解な堅さを伴った妙な緊張感が汗とともに背中の裏側を流れ落ちる。
この現状を作ったのは誰だ?
そんなの決まってる。
言うまでも無く、言われるまでも無い。
僕達だ。
その舞台を演出したのが僕で、その為の行動に移したのが愛しい女性。
ちょっとした興味本位と悪戯心…それに少しの好奇心が合わさって出来たキメラの様な恣意的で意図せぬ合成物。やべぇな、凄まじい居心地の悪さである。
互いの肩の距離は数十センチと離れていないのに、それに内包された心の距離は一体何光年だ?
嘘だ。その実、そんなに果てしない別離の感触は無い。
その実とか使って格好つけてるだけの――ただの照れ隠しだ。
「その…何かごめん……」
隣の彼女に向けて消え入る声で呟いた。顔を逸らしたままでの発言なので彼女の反応は
余りに格好悪い自身の対応に反射として溜息が零れる。
暖房で快適な室内で良かった。外界であれば吐息が白く染まって露見してしまうから。
内心の弱音を掻き消す様に小さな衝撃が僕に加わった。左肩に彼女の熱を感じる。
そちらに視線をやれば、かつて無い程に艶っぽい色気を揺らした瞳の奥と不意に遭遇した。羞恥と陶酔で朱に染まった頬よりも重力に逆らって跳ねる睫毛がやけに気になった。
「あ、の…、あ、あ。彩夏…?」
僕を見つめるその潤んだ月に向けて、情けなく君の名を呼ぶ。
同時に発生した疑問符は浮かんだ瞬間に墜落する事になる。
何故かって? 彼女の唇が僕の言葉を塞いだからだ。
どうしてこのクソ気不味いタイミングでっ?
言葉にならない。
思考を上手く形成出来ない。
乱雑に並ぶシナプスが僅かに残った僕の余裕や理性をぶつ切りに引き裂いて行く。
僕の頭を情熱的な仕草で細腕に抱く恋人に呼応する様にスイッチがパチンと入ったのを感じる。或いは慣れぬ人肌に感応したのかも知れない。
どちらかともなく口内の領土を曖昧に割譲し、お互いに侵略するのを繰り返したことで思う事がある。
これは多分、そういう空気だよな?
昼間受けた講義で習った男女の機微によると空気だか雰囲気だかに後押しを受けて身体を重ねることが割と良く、ままあるらしい。
多分今がその時だろうと若輩の身ながらそう思う…。
右手をおっかなびっくりの震える手付きで動かして彼女の柔らかい身体に恐る恐る這わせる。下半身が制御中枢の大部分を担う哀れなマニュピレーターはやがて目的の山に辿り着き、無垢なる征服を開始する。
風船とはまた違う柔らかさを持った彼女の胸部を覚束無い動作で掴み、服の上から不器用に動かす。
僕の触診を受けた恋人は初めこそびくりと大きく肩を揺らしたが、その内に小刻みな吐息と共に細かい震えに変わって行く。
僕はと言えば、生まれて初めて触れる女性の胸が有する温かな人肌の感触に心を奪われてさ――他者と繋がっている右手に意識の大部分を持って行かれそうになるのを懸命に堪えるしかない。キスを疎かに出来る程僕は経験豊富なテクニシャンでは無いのだから。
そう決意したものの未経験者の僕は欲望のままに彼女の身体を弄り続けて、存外器用に女性のジーンズのベルトを片手で外した。映像教材よろしく、タイトな隙間に右手を突っ込んで生命の起源に触れようとしたが、それには失敗した。ぐいっと両手で僕の胸を突き飛ばされたからだ。
「ダメっ…!」
それは明確な拒否を示す為の意思表示。
密着から離れて、人一人分の重さ。身軽になった身体を統治する空っぽの頭に吹き出す様々な感情――失敗? 羞恥と戸惑い。困惑。
マジか? 一体何処で選択肢を違えた? ダメだ…サッパリ、わかんない……。
「ごめんなさい…その、今日はそういう…ゴメン」
口元を右手で覆った恋人の言葉が遠くを抜ける。
スイッチの源流であるヒューズが飛んでブレーカーの落ちた頭に一瞬遅れて火が入る。
「い、いやっ…僕こそゴメン。いきなり…だったよね? 君の気持ちとか全然考えてなかったし。うん、付き合い始めたばかりだしね。僕達――ホントにごめん」
矢継ぎ早に謝罪の言葉を口にする。
それは果たして陳謝の意から来るものか。
分かってる。
彼女の気持ちを聴きたく無いからだ。
僕を拒んだ行動の真意を明確な言葉にされるのが怖いからだ。
それが僕の持つ
感情を声に載せて、信念を歌に載せて表現してきたはずの僕が抱える幾つかの
性行為を断られた現実。
自身が持つ最大の劣等を突きつけられた事実が襲い掛かってくる感覚。
心臓が潰れて意識が飛びそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます