#50.5 Sound Of Silence(静寂の世界)
僕が去り行く彼女を見送るのは、コレで二度目になる。
彼女のホームである住居近くのコンビニに出戻って来た僕は一人、届かなかった右手で缶コーヒーを握り締めて寒空の中で黄昏る。
ってな、所で全く関係無いが――バイク乗りにとって至福の瞬間の一つが冬の夜空の下で缶コーヒーと肉まんで冷えた身体を温める時であるのは言うまでもない。…その何だ、本当にこれっぽっちも関係無いな。
極めて工業製品的な意味合いの強い缶コーヒーを越えて、観念的なお茶を濁す意味を込めて――急速に温度を下げつつある液体を喉に流し込んで、白い息を吐き出す。
「あー、何だろうな。この
タバコ吸いたいな。
僕は安直にもそう思った。
自傷行為に似た刹那的な快楽を本能的に求めた。
愛する女性と楽しいタンデムをして、再会の約束を取り付けたというのにこの鬱屈とした煮え切らない感情はなんだろう?
死ぬ程喜んで浮かれ過ぎて気持ち悪い位の方が本当だろうに、どうしてこんなにも心晴れない?
本当は別に彼女のことなんて心底どうでもいいから?
違う。
僕は限りある生命を燃やして、仕切りの中の尊厳を差し出して彼女を追っている。だからこそ、何気なく気が付いた。
僕が寸前に見送った女性は本当に新山彩夏本人なのだろうか?
なんてのは、勿論嘘っぱちだ。
無理にミステリっぽい雰囲気を無駄に出してみたかっただけで、先程まで後部座席に座っていた女性は間違い無く僕の出会った
まさか双子の姉妹が追加でいたりはしないよな? 流石にそれは無いよな? 歴史的アンフェアだもんな。老害のノックスが許す筈が無いから、物語の例外は除外して常識的に思考を進めよう。
何だか脱線した挙句意味不明な所に着地したが、僕としてはそこまで考慮出来ないので、取り敢えず保留。新山彩夏が真であると考えていいだろう。
しかし、仮に――と言うかほぼほぼ間違い無く――先程までの彼女が僕の知る女性そのものであるとすれば、それこそが理屈に合わない印象。
いっそ別人であればどれだけ気が楽だろうかとさえ思ってしまう。思い違ってしまう。
昨日出会ったばかりで大して深くは知らないが、彼女の本質は多分ああじゃないだろう?
凄く無理をしている感じがした。
とても作為的な匂いがした。
何と言っても、らしくない音がした。
女性経験の希薄な僕だけど、もし本当にこの独りよがりな感覚だけを根拠とした穴だらけの仮説が正しいとすれば、また一つ疑問が生まれることになる。
どうして、そうなってしまったのか?
それが故意にしろ、偶然にしろ、彼女がそういった違和の匂わせるらしくない行動を取ったのには必ず
何故なら『それ』は僕の作った楽曲にあるような感情を含んでいる気がするからだ。
これについては合理的な推論も不合理な直感も持ち合わせていない。マジでそんな気がする程度の小さな違和感が僕の内に小さく刺さるだけだ。
彼女の身に起こった不自然な変容は果たして彼女に向けたラヴソングに起因するのか、或いはその後に演奏した利己的な過去作品に寄るものなのか。
その設問は非才で狭量な僕の知性では判別出来ない事柄だ。己の脳味噌の不出来を嘆くばかりである。
とは言え、現状僕の持つ情報では鍵が足りないのは明白だ。その物足りなさと言えば、脱出ゲームで液体窒素が手に入らないもどかしさに似ている。
中身が空になったスチール缶を備え付けのゴミ箱に投げ入れることで、アタマの靄も払拭されれば良いのにな。
糞の役にも立たない幻想を捨て去り、愛車の元に舞い戻る。
マットブラックのフルフェイスを被って、セルを通じてエンジンに魂を吹き込む。やがて、
「まあ今の僕じゃあ何処に行っても実力不足の役不足って訳なんだよなぁ…」
自身が持つコマの少なさを他人のせいにして、我が家へとタイヤを向ける。
「あ、寝る前に
テールランプを左右に振りながら明日の下準備。
しかし、決定的な断崖が反り立つことを忘れてはならない。
「でも、生魚は勘弁だな。生臭いのはごめんだよ」
魚料理が好きな彼女とは違って、僕は生魚が嫌いなんだ。
本当に、彼女は遠い存在だよ。
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