#48 Distributive law(分配法則)
程なくして使用時間の制限を知らせ、速やかな退室を促すライトがチカチカと空気の読めない感じで無機質な点灯を始めた。
なんて穿った個人的な感想はさて置き、現実的に制限時間五分前。
金銭的な契約に促されて結果、乱痴気な演奏を止めて、恭しく片付けを開始しなければならない。
ツマミのボリュームをミニマムにして、使い古されたシールドを共用アンプから引き抜いてくるくると仕舞う。
ギターケースに本体を収納して、ケーブル類とエフェクターをキズだらけでステッカーがベタベタのアタッシュケース投げ込んで片付け完了。
壁に掛けていた上着を装着し、無遠慮な鏡張りの練習室を後にする。
女子のゲスト二人を真ん中においての集団通行は何だか学生時代を思い出す。
見た目麗しい女子を含んで楽しく爽やかな下校風景――良く考えたらそんな経験した事なかったわ。アンチ炭酸系青春ストーリーな日々だったな。
灰色の青春とともに部屋の鍵を返そうと受付に行けば
職務中の彼は、いつもの代わり映えしないメンツの中で一際輝く美女二人の姿を認識したのだろう、小声で追求してきた。
「ちょっアラタくん! あの見慣れぬ女子二人は何処のどなたっすか? ひょっとして
「ですなっ?」
「ですのっ!」
いつの間に確定したのか?
恐らく彼は疑問型で尋ねたかったのだろうが、テンパった結果断定っぽい口調になってしまったのだろうと判断し、やや引き気味な返答。
「う~ん。三分の一から半分位正解かなぁ~」
「微妙に開きがありますね。して…そのこゝろは?」
いや別に大喜利のつもりでは無かったのだけど……、
「巻き髪の快活そうで――如何にもモテそうな娘がいるじゃん?」
「いますね。見えます見えます。正直滅茶苦茶タイプです。是非お近づきになりたいす」
と言うか、僕の生涯には登場していない配役――君には彼女さんがいなかったっけ?
そんな恨み交じりの思考をした事で一拍置いた形になる。
それによって僕が解答を焦らし溜めたと勘違いした男子大学生はぐいっと身を乗り出した。わざとじゃないが、何かマジでごめん。
これ以上焦らす訳には行かない為、極めて簡潔に。
「その娘って悠一の元カノらしいんだわ」
「やっぱりかーい!」
ノリのいい突っ込みが僕に刺さった。
おいおい、君はそんなキャラなのかい?
僕の困惑を余所に、華の大学生は大粒の涙を流して壁を叩き、怨嗟の声を打ち上げた。
「やっぱアレっすよ。所詮女なんてバンドマンの男が好きなんですよ。エンジニアなんてただツマミを回して無数のレバーを上下するだけの存在なんです。ねぇアラタくんもそう思うでしょ?」
いや何それ? その言い分と区分だと僕もエンジニア側みたいな言い草だけど、その…演者側のバンドマンだからね一応。
モテないけれど偏屈なエンジニアでは無く、そのモテ男が所属するバンドの作詞作曲を担当するギターボーカルだからね?
彼の発言における不備や不満についての講釈を散々垂れようかと準備したのだが、創太くんが先制して不満を呪詛の様に生み出し始めたので退避。概ね馴染み深い集団に避難した。
「創太の奴どしたの? 何か時間かかったみたいだけど…」
僕に微糖の缶コーヒーを投げ捨てながら悠一が問う。
彼の個人的かつ内面的でセンシティブで触れづらい尊厳に関わる事柄の為、詳らかには出来ないと思うのでフワッとした解答になる。
「ああ…まあ彼も、あーっと、進路だとか将来だかに悩む時期で年頃だからね。まあ、消化できない諸々が、ああ…色々とそれなりに溜まってるんだろうね」
「あーそんな時期かー。他人事ながら大変そうだな。よっしゃ、頑張れって背中押してくるか…」
現状の彼の精神的混乱に起因するだろうモテ男の陽キャ的で脳天気な反応。いやマジでヤメとけよと、撤退の説得に数分を費やした。
無闇矢鱈にモダンで、気取った感じのカフェテイストな待ち合い所に場を移して暫し雑談に興じたが、それでもやがて解散の空気になった。
過去の判例を紐解けばこの後は反省会という名の宴会を居酒屋でやる所であるが、今回はゲスト二人の存在がある種の枷になる。
そもそもバイクで来てる僕は飲めないし作曲活動の続きをしたいしで、直帰を希望する。
「どうする? 飯でも食いに行く?」
自販機から取得した季節外れのスティックアイスを舐めながら真司が切り出した。
僕は先ほど述べた理由を改めて彼に伝え、そして潤は参加の意を表明した。
「悠一は?」
真司に話を振られた幼馴染は『どうすっかな〜』と頭の後ろで腕を組みながらとぼけた解答。挙句『彩乃達はどうする?』なんてスルーする始末。だが二人が参加するのであればご相伴に預かるのも吝かで無い候。
「私は明日どうしても外せない用事がありまして、折角のお誘いですが…申し訳無いです」
サムライよりかは商人の男の飲み会に誘われ慣れていそうな妹君の対応。多分、こうやって断るのにも慣れているんだろうな。すげえな、経験とかが半端ないわ。
諦めに似た感心を抱いた僕は次に口を開くであろう女性の方に全力で耳を傾ける。
彼女は真司の方を向くこと無く、僕の瞳を――前髪の後ろから恐らく――見て言葉を発した。
「わ、私も少し…すみません」
彼女のレスポンスの詳細は扠置いて、僕が不参加を固く誓った瞬間である。
不満たらたらの真司は余程溜め込んだものがあるのか潤に「この際サシ飲みしようぜ」と追い縋っている。
さて、僕はこの後どうしようかな、などと思案する。
作曲活動を放り出して、その上思い切って彼女を飲みに誘ってみようか…。
いや無理だな。多人数での飲み会を断っておいて、個人的な二人っきりの素敵な飲み会を受諾する可能性は低い。更に言えば、僕が多分誘えない。チキンがビーフを押しのけて精神の多数派に位置する瞬間。うーむ、なお一層ハードルが高いわ。
しかし、数少ないチャンスであるのは間違い無い訳で、何とか活かしたいものだけど…。
幼馴染に貰った缶コーヒーを片手に思考の渦にとらわれた僕にエグい角度の一撃が入るまであと何秒?
「そうだ。アラタさん! 昨日に引き続いて大変心苦しいのですが、時間も時間ですし姉を送り届けて頂けませんか?」
「えっ? 彩乃ちゃん…?」
とんでもない角度からの予想だにしない提案にむせて、咳込んだ。二度目の送りウルフの機会だろうか? 未だ『ウルフ』の概念を捉えきれていない僕には難解過ぎる設問。
しかし、完全に思い付きでの発言なのは明白である。だって対象の新山さん、凄い表情してるよ。マジ予想外みたいな素っ頓狂を全面にアピールする仕草をしてるよ。
「そうだな。案外夜も遅いし、俺は妹の方を送ってくわ」
悠一は椅子から立ち上がりコートのボタンを閉め出した。これは帰る系のムードになりつつある。
別に送るのは良い。僕にとっての至福の時間が続くことについて一切不満は無い。だけどさー、
「勿論御用命とあらば、送って行く。前提として…あ、あ、あああ。あ、彩夏さんの同意があればの話だけど…」
まあまあ普通にキョドりながらも――それでも、それなりに真剣な声色を作り――場にいる皆に訴えかける。その際に目線を彼女の方に向けた。いい加減慣れて来たが、目線は直接交差しないままに新山彩夏は頷いた。
だが、口惜しいことに今回ばかりはその意向に沿えそうもない。だって、
「実は僕…バイクで来てるんだよね。メットはまあ予備があるからいいんだけど、バイクに跨るには彼女の恰好が、その…さあ……?」
僕の言葉を受けて、五人の視線が一斉に彼女に注がれる。
その蠱惑的な一身に十つの目を向けられた新山姉の身体が一瞬跳ねて、その波に連動した服飾が少し波打つ。その麗しい肢体を包んだロングスカートが切なげに揺れた。
昨日同様、彼女の服装は肌の露出を最低限に抑えた、シックで簡素な上に何処か外部への排他を感じさせる装いだ。当然スカート丈もそれに準じた長いもの。
その理由が信じる宗教に基づいた理念なのかは知る由もないけど、僕自身が有する社会通念上の一般常識に依るところの見解としては――、
「流石に…僕としてはロンスカの女性をバイクの後ろに乗せられないや…」
当然僕的にはバイクなんて重荷は『ネメシス』に放置して共に歩いて送ったって良いのだが、多分彼女は承知しないだろう。つまり手詰まりなんだ。
僕がバイクで来なければ。時間に余裕をもって徒歩で来ていれば。或いは昨日みたく車で、最悪自転車でもいい。バイク以外なら何でも良かったのに、どうしていつも僕はこう―――、
僕は愚かさに引き裂かれて、自責と後悔の炎に身を焦がす。
しかし、ナルシズムに満ちた甘美な怠惰は長続きしない。一休僧正の様に電球を出した新山彩乃による革命的な施策が実行に移される。
「なるほどなるほど…ですね! それでは、数分お待ちくださいませ」
そう言い残して姉とともに姿を消した彩乃さんを待つこと二百十二秒。
「いや~大変お待たせしました…」
嫌らしさとわざとらしさを内包した言品な揉み手をしながら、何とも媚びる仕草で戻ってきたのは妹ただ一人。
まさか姉を捨てることで不可能と思われた条件をクリアするとは天才の所業である。常軌を逸して常識を覆す一手である。控えめに言って理解不能だし、誠に意味がわからない。
ってアレ?
カムバックしてきた彼女の姿に何処か違和がある。ヒントの少ない間違い探しに興じる間も無く解答提示。
「ほら、お姉ちゃん! ショータイムだよ」
本当に天井を支えてるのかと不安になるほどに細く頼り無い柱の陰から抵抗する姉を引っ張り出した女子大学生。想い人が姿を現した瞬間、違和の正体に辿り着いた。
「スカートだからバイクに跨がれない? なるほどなるほど…ならばスカートじゃなければ万事解決オールオッケーなのです!」
横ピースで会心のキメ顔を見せる新山彩乃の姿を見た僕の脳裏に去来するのは一枚の写真。くしゃみをする彼女の顔で脳内を埋め尽くす。やばい。アタマが異常な証拠で、現状に置いて行かれてる証明で。
控え目な態度で舞台に再登場した新山彩夏には一見して変わった所が存在する。
差異は一つだけの容易な間違い探し。制限時間は一目の一瞬――!
「や、やっばり…似合わないよね」
一層伏し目を深くした彼女の透明な目線の先がミラーワールド。
再登壇の際には衣装替えが必須である。例え変更点がボトムスだけでもそれは絶対だ。
「私と姉の下を入れ替えました! どうです? 両方お似合いでしょアラタさん!」
上品なロングスカートを翻して自身の功績を披露する親友の元カノ。
恐らく生涯初であろうカジュアルなふんわりシルエットのサルエルパンツを履き、所在なさげにもじもじと羞恥に身体を揺らす親友の元カノの姉。
控え目に申し上げて、眼福の限りであり、今度何か御礼をしようと心に決めた僕。
心の中で狂喜乱舞満漢全席のガッツポーズを気狂いの様に何度も繰り返した。
なんだこれ、最高しかないやんこれ。
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