#42 After Image(想像の向こう側)
人智の及ばぬ雨風とか世間の風評やらを受けた結果の経年劣化が歳相応を思わせる
ヘルメットを外して一息。ふう…なんとか時間前に無事到着と。
僕が十分弱をかけて足を運んだのは街中にある練習スタジオ『ネメシス』――一見して意味不明で何やら大仰な名前を持つ上に秘密結社の要塞みたいな外観の場所である。
ルネサンス全盛期のゴシック様式を感じさせる尖塔には何の意味と機能があるのかというのはマジで長年の疑問である。
その名の由来や外観に込められたメッセージの意味や意図は知ら無いし興味も無いけど、察するに…多分創業者がメタラーか、或いは重度の中二病であったのだと推測される。かなり偏った当てずっぽうの意見だけどね。
ちなみにネメシスは練習場所であると同時に楽器屋を兼ねているし、音楽教室もやっている上、更にエンジニアさえいればレコーディングだって出来てしまうスタジオの側面を持っている。
まさに音楽に
しかし、そう言った具合に部門が分かれている為、入り口は一つでもセグメントや目的別に受付が異なるという微妙に面倒な仕様。意味不明とは言わないまでも、少しばかり不便。
些細な不満を呑み込み、スタジオ部門の受付にいる青年と言葉を交わす。
僕と同じ色なのに何処か上品さを持ったふんわりヘアーを揺らして彼は笑みを浮かべた。
「あっ、アラタ君! 微妙にお久しぶりっす」
「久しぶり。
ありふれた日本式の形式的な挨拶の後にシェイクハンドとハグでバンドマン式セイハロー。
人懐っこい表情と仔犬の様な髪の毛をした彼はバイト兼エンジニア見習い、
そんな感じで(多分)大学生である彼は若さを全面に押し出したハキハキした声で僕に忘却された過去を思い出させる。
「あ…チケットマジ感謝です。アテナのワンマン!すげぇいいライブっしたよ! 特にラストの流れとかヤバ過ぎでしょ!」
「おおう…ありがとう。またチケット送るよ」
そう言えば彼にもチケットを渡していたのだった。あんまり配り歩くと儲けが小さくなるとマネージャーにドヤされてしまうのだが、初のワンマンということで何処かテンションが狂っていたのだろう、地元住民を中心にアホほど知り合いにバラまいた過去を思い出す。ドンマイ過去の僕。大体の過去は大概、黒歴史を伴うものなのさ。
悲しい過去と適当な調子でざっくり折り合いを着けた僕は事務的な質問を一つ。
「今日は何処の部屋?」
「えーっと、ハンズの皆さんは…Hっす。いつもよりちょっと広めなトコです。珍しいですね。誰かゲストでも?」
手元のタブレット端末で確認してくれた創太君の見せた直感力。大したものである。
しかし、『実はね。好きな女の子が来るんだー』とは口が裂けても言わない僕は適当に理由を付けてはぐらかす。
「地元発のメジャーアーティストとして地元経済の循環に貢献しようと思ってさ」
「うわー何か微妙にカンジ悪い感じっすわそれ」
エンジニア志望の青年は顔をしかめて軽く舌を出す。こういう軽い物言いが通用するのが常連の強みである。
理由や内容はともかく、おっとり刀で然るべき状況の僕に悠長に会話を楽しむ時間的な余裕は無い。他愛の無い楽しい問答を少し強引に打ち切ることにした。
「だね。まあちょっとした事情があるんだけど、遅刻しそうだしまた今度」
「ウィッス。帰りにまた声かけてください」
僕の酷く曖昧な言い訳に嫌な顔ひとつ見せずに部屋の大体の場所を教えてくれる好青年。
暫しの別れを告げて暖房の
程なく彼から聞いた目的地に辿り着いた。
金属のフレームで中心を斜めに区切られた重い扉。擦りガラスの奥から聞こえるのは耳馴染んだ音色達。どうやら僕が最後らしい。
またぞろ真司に時間に纏わる小言を言われるのだろうかと気分を気持ち落としながらレバーを引いて入場―――しかけた自身の右手を強引に停止する一つの仮定。
何故なら一つの仮説が降りてきたからだ。色恋に塗れた空っぽの頭に不意に過る可能性。
「ひょっとして…このドアの向こうには既に例の美人姉妹がいたりするのかな?」
やべぇ。途端に怖くなってきた。この重い扉のレバーを引くのが嫌過ぎる。
この先に彼女がいたらどうする? 何言えばいいの?
時候の挨拶? 昨日の御礼? 或いは非礼? 来週公開の映画の話? メシの話? ギターの蘊蓄? 今日着ている服の話? 何? あれ? どれ?
挙句グルグル脳味噌の周回上を衛星みたく廻り始める始末で手に負えない。否手が動かない。
しかし、ビッグバンの瞬間は呆気なく。
「あっ! アラタさんだ! 本日はお招きありがとうございます! いやー実に昨日ぶりですね…」
身長の低い女性はそう言って軽く頭を下げた。その弾むような甘い声の持ち主は昨日とは違い少しハードでカジュアルな衣装――ダンサブルなサルエルとアーミーテイストなアウターを組み合わせた
そして、脳天気な顔を疑問に傾ける妹のその隣には―――、
「み、宮元くん…部屋、入らないの?」
昨日同様シックなコートで――魅惑的に膨らんだ肢体を―――限界まで隠しつつ、至極尤もな声を所在無く放つ新山彩夏の姿があった。
結論。
どうやら部屋の中には、美人姉妹はいなかったらしい。
こういう二律背反的な現象が法則や道理を超えて、不可思議ながらも存在することを物理の世界ではシュレディンガーの猫と言う…うん、言わないな。良く知らないけど、多分言わない。
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