#29 You And Your Heart(君と君の感情)

「良かったら飲んでよ」


 何だか凄くぶっきらぼうな言い回しを添えて、新山さんにカフェインレスのホットを手渡す。

 こういう細かい所作がスマートかつジェントルじゃないのが僕の欠点の一つなんだろうな…これを機に反省し、学ばねば!


 僕の高尚な決意は緊急性を有しない追々の課題であるからいいとして、脱兎した僕達の行き先は複数のソファーがまばらに群生し自販機が備え付けられている癒し空間――恐らくはショッピングモール内に複数ある休憩所の一つであると推測される場所スペース


 彼女は両手でお茶を受け取った後、小さく首肯。

 身振り手振り経口からの摂取を促すと、ペットボトルの蓋を空け、一口二口お茶を喉に流し込んだ。連動して動く喉がとても色っぽい。


「少しは落ち着いた?」


 内心のドキドキを悟られぬよう──なるべく優しく聞こえる様言い方や声音に注意しながら彼女の隣――二人がけのソファーの空いているスペースに何気なく腰を降ろす。

 そして手にした缶コーヒーのプルトップを持ち上げた所で不意に気が付いた。


 ヤバイ。おおお、なんだこれ、あれ、めっちゃ距離近い! 匂いとか大丈夫か僕っ?


 慣れぬ――というか人生において普通に初体験であるシチュエーションに戸惑い、混乱するも束の間に、事態は更にアンコントローラブルな方向へと進んで行く。


「み、宮元ミヤモトくん! さっきは本当にありがとうございました。私、その怖くて。足がすくんで、その…」


 唐突な謝辞の言葉と共にガバッと立ち上がり頭を下げる。揺れる複数のビロードに一瞬意識と視線が奪われる。

 そしてコートの裾をぎゅっと強く握り締めているのが遅れて確認できた。そんなに意を決せずとも良いのに。


「いや、いいよ。お礼とかさ。それにこっちも勝手に割って入ってさ」


 否定の意味で手を軽く振る。

 本当に要らないんだ。ヒロイズムめいた高尚で高潔な精神とは程遠い、エゴイスティックな自分勝手の末の行動だったから、


「だってもし、君が本当に芸能界入りを目指してたんなら、アイツの言う通り邪魔なのは僕だ。こちらこそ、ごめんなさい」


 先勝の彼女に倣って立ち上がり情けなく深々と頭を下げた。

 この行為に童貞の下心なんて無い。僕としては冗談や茶化しなど皆無の本気の謝罪。


 何秒か経った後、耳の奥がピリリと嘶く。

 その原因は休憩所のソファで頭を下げ合う数奇な男女に刺さる好奇の目線。それをお互いに感じ、少し目配せして提案。


「そのっ、取り敢えず座ろうか…」

「…う、うん」


 再びの着席。近い距離の再開。

 少し頬に紅の入った彼女を肴にコーヒーを一啜り。乾燥する唇を慎重に缶から外して問う。


「あのさ、一つ聞いていい? もし、答えたくないならそれでも構わない―――、よくあるの?」

「…あ、うん。たまに」


 これは予想外。結構パーソナルでプライベートな事象についての質問だし、期待はしていなかったんだけど。


 彼女はゆっくりと続きの言葉を探す。


「キャッチ?スカウト?私はよく知らないけど、ああいうふうに少し違う感じの男の人に声をかけられることがある」

「そっか…それはツラいよ」


 彼女から聞き及んだ『それ』は決して想像の果ての非現実を絶したりはしないが、間違いなく想像に難くない現実的な普遍性を持った体験だっただろう。確かな現実感を伴う身近な危機感を含んだネガティブだ。


「そのせいか、一人で外出するのが怖かった時期もあったりして。少しトラウマめいた感じになって……」


 言葉と同調して気分が落ち込むのか、少し頭を垂れて俯きスタイルになった彼女に掛けられる言葉はそんなに多く無い。おいそれと軽々に他人が口を出すことでもないのは十分理解してる。でも――


「君の…新山さんの恐怖体験トラウマには到底及ばないけれど、僕達も結構経験あるん――いや、違う。結構。ああいう類の悪い大人に声掛けられることってさ」

「えっ?」


 驚きの声と共に俯向いた顔を上げた新山さん。揺れる前髪の切れ間から覗くターコイズに僕が映るのが分かった。多分初めて明確に瞳が合った瞬間だ。


 ともすれば見蕩れて声が出なくなりそうなゴーゴンを意識しながら吐いた言葉の続きを探す。


「ほら僕達バンドやってるだろ? その絡みで少し…ね。そう、あれは大学の…たしか二年位の時かな? まあそれ位の時期に地元出身の大先輩に『フロディス』ってバンドがいるんだけど、その前座をやったことがあってね。その後結構…自分で言うのもなんだけど、界隈シーンで案外人気が出たんだ」


 あの対バンの若い奴ら結構良くね?って感じにさ。

 そしたら集まるんだよワラワラと。何処から聞きつけたのか、若者を使い捨てて小金を稼ごうとする悪い大人達がね。


「彼達は最初、凄い下手したてから来るんだ。無駄に僕達を持ち上げる。『感動した』とかは皆言う。決まって『未来』とか『才能』とかいう曖昧な癖に耳心地の良いワードを織り交ぜながらね」


 社会を知らないガキでも分かる――見え透いたお世辞と上辺だけを取り繕った言葉に心底うんざりだった。彼らの発する全てが虚構に聞こえて、自身の根幹すら信用出来ない日々が続いた。


 その結果――――


「でも、全部断っちゃったんだ。今にして思えば、有象無象の中にはい大人もいたのかも知れないけど、当時の僕達には区別が出来なかったから」


 思えば当時の僕達は今よりもずっと蒼く透明で、何よりも純粋で少なからず尊い存在であったのかも知れないと閑話休題。

 それを今の僕達が、現状の僕が未だ有しているかは、多分誰にも分からない。


 でもね、この話の肝はココからなんだ。


「するとどうなったと思う? 昨日までへーこらしてた大人は一転してこき下ろすんだ。それもいわれのない人格攻撃ばっかりだよ。『傲慢で自意識過剰』から始まって、『少し人気が出たくらいで調子に乗っている』とか『この先成功は百パー無理』だとか? ホント笑っちゃうだろ? お前ら掌ブレブレじゃねぇかってね」


 人の醜い部分を煮詰めて凝縮したみたいな人種だった。

 それをそのまま言っては重くなるので努めて明るい口調で述べたが、彼女からは極めて真剣な感想が響いてきた。


「ひどい話……」

「うん。当時の僕達もそう思った。だから一計を案じて、一曲作ってみた。その感情を曲にしたんだ。アダルトチルドレンって曲に全部ぶち込んだ」


 そこで新山さんの顔つきが少し変わる。

 僕の微々たる赤裸々なエピソードでも彼女の心を軽く出来ているのだろうか?


 そんな些細な疑問を頭の片隅に置きながら結びに入る。


「そんな曲をアナーキー気取ってライヴハウスで歌ってたら気に入ってくれた人がいてね。どうやらそのハコのオーナーの知り合いらしかったんだけど、その人も大人の一人には違いなかった。スカウトされたよ」


 本当に大人ってしたたかだよ。


「でも最終的にその人に連れられた先が今の事務所、『ソリテッド・レコーズ』なんだから分からないもんだよね」」


 ともあれ親会社のメジャーレーベルに移籍しちゃったから、厳密には元『ソリテッド・レコーズ』所属になるのかも知れないけれど、。なんて一人で苦笑い。


「で、それからは流石に殆ど無くなったけど、たまにあるんだ引き抜きとか移籍の話がね。そんでもって何やかんや慌ただしく活動してたら親会社に移籍することになったんだ」


 少し脱線したかな?

 冷めかけのコーヒーを飲み干して脳内の苦味を緩和する。


「さて、つまんない上に長い与太話をしちゃってごめんね」

「ううん。少し、元気を貰った」


 世辞でも嬉しい感想を述べてくれた新山さんに先んじて立ち上がり、右手を彼女の眼前に差し出す。

 まあ僕の行動が余計なお節介じゃなくて、新山さんの力に少しでもなれたのなら、心の底から嬉しいよ。


「さあ、待ち合わせ場しょ…」


 尻切れトンボの発言者。

 僕の手を握り返し、彼女が見せたのは満面の笑み。

 月が欠け、太陽が満ちる。

 ともすればそれは満開では無く――半分も良い所であったのかも知れないが――僕には日輪の様に眩く魅力的に感じた。


 僕がテンプレラノベ主人公であれば『やっと笑った。ソッチのほうが良い。平時のブスっとした顔より、一層魅力的に見える』などという恥ずかしい台詞をイケメンスマイルで消費出来たのかも知れないが、如何ともし難い事実として、僕は『それ』と一線を画する。

 僕は非テンプレ系人公であり、どちらかと言えばダークサイド側の人間だ。そんな格好良い台詞は口と顔が裂けてズタズタのチャッキーになっても音に載せない。


 その代わりとばかりに内面で巻き起こったのは二度目のリバースディ。


 新山彩夏の零した笑顔をビッグバン代わりに僕の中で再び創生が開始。本日二度目になる宮元新という矮小な人間の再編算である。


 って、おいおい。いや待てお前――流石に生まれ変わり過ぎたし、スパン短すぎだし!プラナリアじゃねぇんだぞ!

 徳の高い聖人だって生まれ変わりの奇跡を起こすにはもう少し時間がかかるってのに僕ときたら……ん? 待てよ…ということは、僕>聖人の図式が完成したりするのか? うわマジかよ。ウソだろ…よっしゃ、ボーカル辞めて教えを説いて教祖になろう!


 というくだらぬ物思いはさて置いて、楽しい時間は必ず終わるもので、この逢瀬もいよいよ終局の時分である。僕がガラスの靴を履くことが出来るのか、はたまた灰被りのままで別れてしまうのか……それは運命の匙加減では無く、僕の努力次第なのだろう。


 とは言うものの、実際問題自分だけのスキルで幸福になれるのならば、そもそも僕はこんな風にはなっていない。


 つまり、僕はただひたすらに待ち合わせ場所まで足を運んだ訳だ。

 途中何度か、次に繋がる行動――具体的には連絡先を聞こうと試みたのだが何故か上手く行かない。多分運命の匙加減による収束だ。ファック。


 女神を呪いながらも着々と脚は目的地に僕を誘い、程なくして到着。しかし、待ち人の姿は無し。予定時刻になれども来たらず。

 ははん、また遅刻ですか…また? いやいやそれはおかしい。悠一は時間に格段パンクチュアルでは無いが、遅刻することはそんなに無い。何かまたぞろトラブルか? おいおい大丈夫かよアイツ。


 少し不安を覚え、スマホを取り出し連絡を付けようとした瞬間、進軍を阻む先制パンチのポップアップ。SNSのメッセージを着信した証。差出人は――悠一ユーイチか…。


 画面のロックを手早く外して内容を確認。記されていたのは―――、


『悪い。俺彩乃アヤノともう少しブラブラしてるし、機材搬出は任せた! あ、お姉さんによろしく』


 その後、気持ち悪いスタンプが送られてきた。くたばれよ。アイツ。

 

 取り敢えず隣にいる新山姉に妹の近況を知らせようと顔を上げる。すると右手にスマホを携えた彼女がいた。この感じは…ラーの鏡に映る挙動や表情なんかにビシビシ感じいる『何か』があるな。


 恐る恐るにも程がある震える声で僕は尋ねる。


「えっと…ひょっとしてもしかして、彩乃さんから連絡が来たのかな~なんて思うのですが、どうでしょう?」

「う、うん……ちょっと来れない、みたいな内容だった」

 

 スマホを豊満な胸元に引き寄せながらの解答は僕の想像の範疇を出ない。マジかよ。


 どうやら夢の時間はもう少しだけ継続延長のようである。

 混乱する心と乖離した何かは言う。その魔法は最早詐欺に近いと。

 その差は僕には解けないパズルを連想させたんだ。


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