#11 film A moment(一瞬を切り取る)
一種の集団催眠的な異様さを放つ、戸惑いと困惑に支配された空間。
合間と空気を躱して、唐突に再登場したのは演出と意図を完全に理解した真司と潤。
そんな如何ともし難い異様な空間の中でトラッドスタイルのベーシストは奇怪な行動を取った。
この後の演目について、何も知らない観衆には間違いなく『そう』見えて、そういう風に写っただろう。
皆の良く知るベーシストは愛用の別注サンバーストのスティングレイでは無く、ドラムセットに真っ直ぐ向かう。
その果てにドカッと我が物顔で腰を下ろしたのだ。
意味不明な状況に戸惑う客の疑念を払拭する様にアイボリーのスティックを手にした真司は鮮やかなタム回しを披露。いやいや、なかなかやるもんだ。上手いな。
奥歯の奥の方で微妙かつ絶妙な苦笑いを噛み締めた僕と、どう思ってるか皆目検討も付かない潤は抱いた思惑はともかく、それぞれのアコースティックギターを手に丸椅子に腰掛けた。
当然ながらというか。
恥ずかしながら、当バンドにおいてボーカルである僕の前にはスタンドマイクがあるので、微妙な高さのズレを調整する。潤はその横でマイペースに音出しだ。美しい弦音が横で鳴る。
本来の指定席をベーシストに奪われポツンと立ち竦む悠一のユーモラスな仕草を見て――僕は、大した役者だなと苦笑い。
喜劇王たるチャップリンが憑依したように阻害な孤独を見事演じた彼は、暫しの間をおろおろと所在無さに動いた後、新登場のグランドピアノの椅子に座った。
ね? コアな古参ファンは多分気付いたのだろう。
はじめはこれに近い編成だったから。
最近僕達を知ったファンは悠一のかつての担当パートを知らない故にぽかんとしているだろう。
現状ステージに並ぶのは悠一がピアノ。真司がドラム。潤と僕はアコギ。なかなか歪な編成の
持ち得る技術に対して分不相応の
「準備はいいかい? ピアノマン?」
「勿論だ。そんなの百年前から出来てるよ」
それはそれは。
長旅ご苦労なことで。
短く吐き捨てて、眩いスポットライトに少し目を細めながらマイクに声を載せる。
「えっと、さっき言った通り。僕達は、これまでの全ての為に歌います。『ニーチェ』っ!」
悠一のピアノソロに段々と他の楽器を加えていく。
ドラムの真司がチキチキとクローズドシンバルを添えて、徐々に回転数を上げて、回していく。
その内に潤と僕とがタイプの違うギターを重ね、詩を載せる。
皆さんご存知でしょうか?
これは僕と悠一が初めて作った曲だと言うことを。
コピーではなく、完全オリジナルの処女作。
今より遥かに拙いながらも当時の全てを込めた歌。
歌詞は当時傾倒していたニーチェの思想をガキなりに解釈したものです。
どうか笑わないで欲しい。
無理な願いかな?
なら良いよ。ほんと。
どうでもっ!
メンバーが増えるに従って段々演奏機会が減っていた過去の遺物を、この度潤のプロデュースでリアレンジ。
最初期の原曲を無印とするならば、今回やっているのは『ニーチェ(type-B)』って感じなのかな? それもどうでもいいか。
最後のフレーズをダウン。ピアノの音色に合わせて
湿ったタオルで汗を拭いながらそんなことを考えた。
立ち上がって所持品をアコギから長年愛用の空色テレキャスターに交換。
その中で水を一口流し込み、マイクに戻る。高さをスタンディングに戻しながらMCをこなす。
「皆さん本当にありがとう。これで
本っ当に最後です。皆さんの
先程のダウナーな雰囲気を纏った『ニーチェ』とは打って変わって速めなBPM。
速弾きでヒステリックなスクリームを思わせる様な張り詰めたピアノが主旋律。僕としてもカッティング多用のテクニカルな弾き方を要求されることになるので結構普通に大変な重労働だ。潤は…余裕そうだな。
真司は僕同様精一杯な印象を受けるが、そもそも
気が遠くなりそうな程無慈悲に巡る年月と季節を永劫のメリーゴーラウンドに喩え、そこに仏教的な輪廻転生の概念をミックスした内容の歌詞をアイロニカルに歌い上げる。
小さな人間が虚無的な螺旋階段を行き来する上での在り方を僕の解釈で説いた散文詩。
僕が書いたにしてはなかなか前向きな歌詞と曲になっていると思う。多分。個人的にはそう思う。
仏教思想を木馬に乗せて、英語で唄うことにチグハグでコミカルさを感じるし、倒錯的でちゃんぽんな感じとか結構気に入っている。
脱線、思考の切り替え。意識を右手とボーカルに集中。最後の一音まで気を抜くな!
転調からの大サビ。一瞬のチョーキング。オク上のファルセット。上手く行った。
歌メロは終了。エピローグ。アウトロ。浴びるのが普段より少ない音圧。ああ、ベースが無いからか?
真司のアバウトなドラムに合わせ最終小節をリピート。分岐。回帰。
一瞬のブレイク。その後無駄に壮大で大袈裟なフィルインに乗ってジャンプ。感情のレイバック。キャラに合わぬ咆哮が少しハウったが気にしない。デタラメにテレキャスを掻き乱す。
「皆さんっ、本当に…ホントに感謝しかない! 有難う御座いましたぁ! どおも! 『ハンマーヘッズ』でした!!」
感動に折れそうになる膝を気持ちで支え、これでもかとジャカジャカデタラメに弾き、めいいっぱい叫んで吼える。
僕の拙い思いが会場に響いて、大音量の歓声が重なった。連なり紡がれた音楽は心地の良い木霊。
「ホントに最高の夜でした! これから拠点を
ドラムのフィルと呼吸を合わせて音を繋ぐ。テレキャスターのヘッドを思いっ切り打ち下ろしてキメ。
流れる汗はそのままに、断続的に息を切らした僕は祈るような気持ちを込めて、白く染まる低い天井を見上げた。
フィードバックするノイズの乗せられた多くの気持ちを人口の太陽に向けて祈る瞬間。
その後、儚い残り香に似たディレイが薄く残り消え行く間近――五月雨の様に絶え間無く注がれる歓声の方が大きく聞こえるハウスを宮元新で感じる素直な思い。
湧き出た別れの
「どうもありがとう『ハンマーヘッズ』でした。また会いましょう! どうか帰り道には気をつけて!」
楽器を置いて一礼し、拍手で感謝を捧げる。
手に持っていた削れて歪になった
それを横目に下手側に帰る。
出し切った。もう限界だ。
全部見せたし、声に出した。
喉はカラカラ、汗でドロドロ。
それでも感涙に顔を歪ませるスタッフやローディー達とハグや握手で互いの健闘を称え、個人では耐え難い歓喜を分かち合う。
僕達のパフォーマンスでそこまで喜んでくれれば、僕としても暖かい気持ちに包まれる。
「ありがとう」
もう本当、壊滅的なまでに語彙が少ないな僕。他に引き出しは無いのかよ、アリガトウマシーンかと思うわ。
疲れのせいか、平時以上に思考がとっちらかってきた背後から迫る影。
「気持ち入った、良いライヴだったわ。最後の新曲かっけえね。後で音源ちょうだいよ」
適当に手を上げ挨拶してきた世紀末覇者の様な風貌の男は、地元発大人気先輩バンド『from distance』通称『フロディス』のフロントマン。
僕達の恩人でもある中山裕也その人であった。
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