#10 A Little More(あと少しだけ)
「ああ、ぜええっ。はあっ…はっっ、ハアっハァ……」
主賓たる我々に用意されていた楽屋に設置された汚い革張りのソファ。
見覚えと既視感が余りある薄汚い茶色をした即興のヘブンに向けて
ここまで約二時間の演奏時間。合間にMCを挟んで、諸々コミコミで十六曲。本気で真剣に演奏し、必死に声を張り上げた。
結果と言うか、その果ての
勿論、それだけが全てでは無いけれど。
だが、その情けない感想は決して僕が特別虚弱で豆腐メンタルかつ日の当たらないインテリボーイであるからとか――そういう訳ではない。
大雑把な当て水量で、具体的かつ論理的な根拠や経験など皆無だが、ワンマンライヴ直後のバンドマンなんてのは役割を問わずに大体こんなもんだと思う。まあ統計的かは知らんけど。
しかし実際。
ウチのメンバーで言えば、ベーシストの
そんでもって、いつもはクールでポーカーフェイスなギタリストの
見ての通り、オンリーワンでワンマンなライヴとはそれ程までに精神を絞られ、肉体的に尽く疲れるものなのだ。
しかし――否、しかも…ここまで疲弊して尚、まだ閉演じゃないと来たもんだ。シビれるね、全くさ。
「アンコールお願いしますっ! 予定通り二曲です」
疲労感に溢れる淀んだ室内に飛び込んできたのは延長のお知らせ。
暗喩めいた吉報を運んできた中山さんは黒髪ポニテを汗で湿らせている。きっと他のスタッフさんも同様に疲労し疲弊しているのだろう。ご苦労様です。
「やったな、アラタ!」
追加労働確定な再演要求の言葉を受け、ようやく上半身に服を纏った悠一は煙草を灰皿に押し付けながら薄く笑みを浮かべた。
「ああ、そうだね…マジで嬉しいよ」
シャツを黒から白に変えて、相棒の言葉に頷いた。
自身の所属するバンド名の入ったタオルで汗を拭ってから、生命線の水分補給。スポーツドリンクが身体に染み渡る。
ここから先はある種――ある意味において予定外の範疇。予想された願望通りの展開だ。予期せぬ予定調和と呼んでも良い。
「じゃあ先行くね。あっ、中山さん、原田さんに例の運搬をお願いしますと伝えて下さい」
「う~い、行ってら~」
未だ大の字に死んでいる真司と石像のように微動だにしない潤を置いて、幼馴染コンビだけで目映いステージに回帰する。
軽快に首を鳴らす悠一と共に緞帳の下を潜って、ほぼ手ぶらのままに客席の前に出る。
その先で僕達を待っていたのは雨や雪の様におびただしく不規則に降り積もる歓びの声。控えめに言わなければ嵐のような喧騒と怒号に似ている。
多分、僕達における戦場の空気だ。
身に余る程に巨大な歓声に暖かく迎えられた僕達。
演奏中みたいに無遠慮な感じで当たるピンスポが眩しく、少し鬱陶しい。
それを無視した僕たちは揃って舞台の縁に腰掛けて、スピーチに慣れた親友が古ぼけたハンドマイクで満員のフロアに向けて語りかける。
「あー、えーっと、まずひとつ。俺達、ハンズのワンマンに対して。アンコールして貰って本当嬉しいです。ありがとう!」
男前のバンドリーダーの言葉に湧き、突発的に揺れる観衆。
それらが一通り落ち着くまで待ってから、彼は何事も無かったかの様につらつらと台本めいたスピーチを続ける。
「でも、それを置いて実際問題、一つの興行として――予めアンコールに演る曲は用意していたんですけど…けど、皆さんからその声が上がらなければ――それらは、演奏せずに終わるつもりでした。今夜は…ある種のそういう
んで、嬉しいことに再演の声を無事頂けたということで、したいと思うんです。演奏したいと思うわけです。
けれど。でも! その準備と転換に少し時間がかかるので、場繋ぎの為に出てきた次第ですと必要な連絡事項を恙無く伝えたサムライヘアスタイルは言葉を締めた。
「それで――それで、僕達が…まあ、このグループにおける
話し上手のロメオから余りにも重いバトンを受け取った僕には、彼みたく流麗で偏差値の高そうなスピーチは出来ない。
故に、口下手かつ不格好ながらもその正直な思いを不器用な形で羞恥プレイに似た感じで吐露することにする。
「あ? え、ああ。そう。皆さんご存知かは知りませんが、『ハンズ』はもともと僕と――隣にいる悠一とがバンドとも呼べない――そう…カテコライズ出来ない、謎の集団を結成したことから始まりました」
観客の事情によって色々な十人十色的レスポンスが上がるが、それらの全部に対して反応は出来ない。
本当であれば…個人的には、個別に感謝の一つでも述べたいものだが、現実的に実現不可の絵空事だ。
それ故に僕は曖昧に右手を振って応える。
過去を繋いで未来に進む為の必要儀礼。
「そして…月日が経って、高校に入って。ベースの真司が加入したことでバンドとして最低限の形になって。その後に大学で潤に会ってから現行の体勢になりました」
発足時は意味が良く分からなかった歪な集団が――スリーピースとしてそれなりに正式なバンドの形態になったんですと情けなくも続ける。
「そんな僕達がインディーズでCDを何枚か出して、何本も――マジで気が遠くなる位のブッキング…それにツアーやライヴをやって。運良くイベントにも沢山呼んで貰って…そしてこの度メジャーデビューする運びになっただなんて、未だに信じられない」
僕の情けない私的な心境を多分に含んだ独白に耳を傾ける数え切れない
この目の眩むような、ウソみたいに幻想的で美しい光の渦にも見える群衆の中には件のモヒカン青年もいるのだろうか? 多分いてくれるのだろう。
それだけで何だか僕は少し笑えて、その仮定のおかげでかなりラクになった。
軽く息を吸って続ける。続けた言葉は感情を解き放って軽くて、重たい感情。
「そして今夜は『アテナ』でワンマン。ほんと夢みたいだ。勿論分かってます。これは
これもきっと大切な一つの節目だと思うから。
なにより僕にとって、僕達において記念すべきアニバーサリーの一つだから、
「だから、純粋に感謝したい。この瞬間ココにいる皆さんと、これまで『ハンズ』に関わった全ての人々に僕は、素直に『ありがとう』と言わせて貰います」
腰を上げて立ち上がり、軽い頭を深く下げた。
恐る恐る顔を上げた僕を迎えたのは万雷の拍手と優しさと熱狂を湛えた歓声。ヤバイ。なんだこれ普通に泣きそうだ。
必死に涙を堪え、温かいレスポンスに右手を上げて応えた所で二階のPA席から懐中電灯で合図があった。短く三回点滅。どうやらお喋りはここまでの様だ。
ちらりと横を向き相棒とアイコンタクト。共に過ごした時間の長さは間違いなく正義であり、物言わずとも意思疎通はバッチリである。
「で、これからやる
後ろの幕が上がり、転換を終えたステージが衆目に晒される。同時に客席の方からどよめきに似た困惑気味の声が聞こえた。当然だ。
先程までは僕が歌い、拙い演奏をしていたステージ中央の位置に登場したのは一台の大型楽器。
漆黒に輝くグランドピアノがオルタナバンドのライヴ、そのアンコールにおいて唐突にステージ中央にどんと鎮座してあれば、誰だって驚くだろう。
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