童貞バンドマンがワケアリ美人を落とすまで?

本陣忠人

Chapter Prologue : All I Want

 ロックは死んで久しいし、パンクが死んだのも結構前だ。

 その後に流行ったラップやEDMも多分、死んでから割と経つこの頃。


 そんな時勢の波に呑まれて抗ってるつもりしかない僕は思うんだ。

 

 一体全体、『真実の愛』って何だろう? どこにあるのだろう?


 そう言って――口に出して言葉にしてしまえば。

 とてつもなく陳腐かつ幼稚だが、同時に高度で普遍的な命題を含んだ極めて学術的な設問。


 大袈裟と矮小を相反する価値観を内包する青い疑問をいつの頃からか抱くようになった。

 それが具体的にはいつくらいだったかはハッキリと覚えていないが、抱き続けて、そして今なお、消えないそれを持ち続けている。


 況や、ある種の職業病とも呼べる様な夢見がちで青くふわふわした形而上学的な深淵的考察。


 世の中と社会に身を置く人間としてそれなりに成長して内熟した内心でそれと理解しつつも悩み、思わずにはられない難解ながらも捨て切れない重要案件。


 求める果たして本当に存在し、現存する真実なのだろうか?


 世間に掃いて捨てる程度に散在し現存している有象無象の恋人達、彼達の間に共有されている即席的な感覚は『それ』を含んだものなのだろうか?

 世界中におびただしくも氾濫する彼達は真実の愛に基づいて接触し、仲を深めて、或いはその為に互いの身体を重ねるのだろうか?


 良く分からないが、多分違う気がする。経験は絶無だが決定的に異なると思いたい。


 何処を切り取った所で平均の間に埋もれる程度の塵芥である彼達を結びつけている『それ』もきっと素晴らしく尊いものではあるのだろうけど、僕の抱いた高尚で原初的な疑問を完璧に捉えて、きちんと精密に表現しているものでは無いような感覚。


 だけど実際――僕の蟠りをさておいて。


 直面している実際問題的な事実として、或いは圧倒的な現実として。


 見渡す限りの世の中には恋をして、愛し合っている人がゴマンと居て。それぞれが誰かに愛情を向けている。

 周囲に限らず世界中の大多数の人間がそれを当然のこととしている節があるんだけど。


 しかし、一番普及しているものが一番良い物とは限らない――これは僕がこの世の誰よりも尊敬している人物のお言葉なのだけど。

 それに則るならば、世界に量産されたその関係はそんなに大層で高貴な感情でもないのかもしれない。


 恋とは宗教に似ている。


 これは愚鈍で矮小な僕の言葉。

 僕が今より昔に書いた詩。

 今尚歌い、恐らく今後も歌う唄。


 世間一般は大量生産的に氾濫する『それ』を素晴らしいものだと妄信し、その幸福を他人にも押し付ける愚者。

 大多数の人間が当然のものであるとして、それに疑いを持たないどころか挙って持てはやす狂った世界。


 それを一種の宗教だとするならば、信じない者は迫害され、社会や世界から異端者として追放されるのだ。


 原初の形から醜く曲がった思想を火種に起きた行動――魔女裁判に宗教戦争、神の名の下の聖戦――闘争など挙げる例には事欠かない。


 若かりし頃の僕が比喩混じりに書いたのは、そういう自己中心的で独善的な皮肉や捻くれて捻子ネジ曲がった風刺をふんだんにこれでもかと込めた楽曲なのだが、何の因果か一般大衆リスナー感情ココロを掴み魅了した。


 結果としてこの曲が地方のインディーズで燻っていた僕達にメジャーへの道を拓いてくれたことになる。


 何故だか解らないものであるし、何ともままならない。


 少々脱線したので強引に話を戻すけど、つまり僕の思う『真実の愛』というものはそういった世間に溢れる粗悪な乱造品とは一線を画したものであるし、そうで在って欲しいと思える崇高なもの。


 それが特有ユニークかつ希少レアであるのは大前提、絶対的アブソリュート一点ものオンリーワンであり最高傑作マスターピースと呼ばれるような唯一無二の真実が欲しい。


 なんて、修飾過多な傍点表現で気取った語りをしてみたけど、実の所は何てこと無い。

 些か表現過剰な物言いだったのだろうと適当に反省する。


 より端的に簡潔に述べるのならば――、


 僕以外のが欲しい。

 

 下心があるのが恋で、上心なのが愛だなんて。

 巧いこと言っている風なだけの言葉遊び、字面の上だけのポエムは求めていない。


 僕が欲している解答はもっと形而上学的でありながらも簡素で一切の無駄を削ぎ落としたこたえ。


 尤も、紛いなりにも創作者クリエイターの端くれとしては――心を器とした場合に『恋」という感情の塊がそこに浮いているものなのか、それとも器を満たすものが『愛』なのか?


 はたまた、心の中で『恋』を積み上げていった結果が『愛』と呼ばれる作品になるのだろうか――なんて洒脱な表現で自らの疑問をファッショナブルに呈してみるべきかも知れない。


 或いは恋だの愛だのを定義するにはまずその前提条件として、心と呼ばれる曖昧で不確かな存在を明確にする必要があるのかも知れない――などと勿体振った表現を多用し、もっともらしく宣うべきなのだろうが、そんな発言は欺瞞や胡散臭さに溢れていて個人的には好きじゃない。


 畢竟するに、幼稚な僕の知りたい『たからもの』はきっと高望みも甚だしい代物で決して叶わぬ願いなのかも知れない。

 ミクロな身の丈になんか全く合っていない、幻影の様な袈裟なのだろう。


 前置きが多少長くなってしまったけれど、これは僕が『真実の愛』を探し求める物語。


 それまでの二十四年の人生の中においては、残念ながら見つけることの出来無かった未だ見ぬ宝石。


 あの日『彼女』と出逢い、共に過ごした二週間――その時間の中で、多少なりとも近付けたのか。個人的にはそうであると嬉しいんだけど。


 かつて遥か昔に、貧しい兄妹は鳥籠の中に幸福を見つけたし、錬金術師の少年は見捨てられた教会で財貨を勝ち取った。


 はたして何者でもない僕、宮元新ミヤモトアラタが辿り着いた『それ』は何処にあって、埋まっていた物は何であったのか。


 暫しの間、お付き合い頂ければ幸いである。

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