第92話 激突 Ⅰ

「いっつ……」


 目を覚まして、最初に自覚するのは冷たい床の感触。


 両手をついて身体を起こしてみると、生き伸びたらしいことが確認できる。近くにはカンナの姿も。……どうやら、一安心しても良さそうだ。


「――って、何メートル落ちてきたんだよ……」


 空を見れば、軽く五十メートルぐらい向こうに地面がある。

 ヨルムンガンドの一撃によって崩壊したのか、真一文字の傷がそこにはあった。見上げているこちらからすれば、天井に該当する位置である。


「ん、う……」


「カンナ?」


 呼びかけると、怪訝そうな目つきで彼女は起き上った。

 カンナはしばらく状況を確認して――みるみるうちに、表情が青くなっていく。


「こ、ここはあの世でありますか!? 自分、まだ己の願望を一つも達成していないでありますよ!?」


「落ち着け、足ならちゃんとあるだろ」


「――いや、それで生死の区別をつけるのは無理であります! 幽霊に足があっても不思議は――」


 見ていて愉快なぐらい、カンナの顔つきは歪んでいた。

 理由は分かる。というか、俺も見ている。


 頭上にある亀裂の向こうから、ヨルムンガンドがこちらを覗いているのだ。


「……もう駄目ですね。あのニョロニョロに喰われるだけであります。――というかここ、どこで? 塔みたいな建物が一杯であります?」


「そうだなあ……」


 言葉を選びながら辺りを見回す俺には、ビルやマンションといった光景が映っている。もちろん、あの東京タワーらしき建物も健在だ。

 とどのつまり、ここは例の地下空間。その一部が、ボレアス市にまで伸びていたらしい。


 どれだけ広大な町だったのか――じっくり調査と思案を深めたいところだが、ご覧の通りそんな暇はない。チラチラと舌を出している大蛇は、直ぐにでも降りてきそうな剣呑さだ。


 鎌首をもたげた、その直後。


「逃げるぞっ!」


 轟音を轟かせ、巨体が地下へと突入した。

 俺達に出来るのは逃走だけ。――仮に戦うのだとしても、カンナを安全な場所に移動させるのが大前提だ。


 無論、敵も許しはしないだろうけど。


「く……!」


 力尽くで砕かれる地下都市。……いや、起こっている破壊は、ほとんどが無意識のものだ。ヨルムンガンドが動く、ごく自然な結果に過ぎない。


 逃げるなんて、本当におこがましいこと。


「っ――」


 肩越しに振り向いたその瞬間、暗闇が見えていた。


「てめぇの相手は俺だあああぁぁぁあああ!!」


「トールさん!」


 閃光となって飛来する戦神。

 ヨルムンガンドは攻撃を中断し、猛毒が溜まっている牙を頭上に向ける。


 その時。

 確かに、大蛇は笑っていた。


「おらぁっ!」


 地下都市を照らす真紅の太陽。


 会心の一撃は、しかし。

 ヨルムンガンドに、一切通用していなかった。


「!?」


「ちっ……!」


 トールは外傷こそ見当たらないものの、またか、と言わんばかりの渋面。対する蛇はここぞとばかりに押し込もうとしている。


 空中で競り合う両者。――完全な無効には至っていないが、どう見積もってもトールの方が不利だった。


「くそ……!」


 一か八か。せめて注意だけでも逸らせればと、俺はアポロンを構える。

 しかし発射の直前、以前も見たヨルムンガンドの触手が妨害に出た。


「こいつ……!」


 地面を突き破り、壁のように群れる触手。

 そこへ、


「たあっ!」


 勇ましく、少女の矮躯が切りかかる。

 触手達は応戦しようとするが、彼女の手にした剣によって尽く薙ぎ払われてしまった。――本来であれば、呪縛結界によって妨げられるべきモノなのに。


 そうだ、村から脱出しようとした時点でおかしかった。気付くべきだった。

 カンナが持っている剣には、何か秘密があるのだと。


「ミコトさん、早く攻撃を!」


「あ、ああ!」


 雑念に囚われている場合じゃない。今はとにかく、トールを援護しなければ。


 新しく現れる触手も、カンナは次々に切り裂いていく。

 ――ヨルムンガンドはこちらを見ていない。なら、注意を引くぐらいは出来る筈……!


 怪物の懐目がけて、俺はアポロンを撃ち込んだ。


『グオオオォォォ!?』


「!?」


 苦しんでいる。

 どういう理由かまったく分からないが、ヨルムンガンドは仰け反っていた。トールのミョルニルは未だに弾かれているにも関わらず、である。


 ――故に、だろう。

 大蛇の双眸は、既にこちらを捉えていた。


「でも、通用するなら――」


 再度アポロンを装填。一方でミョルニルによる攻撃は止んでいるが、こちらが通用すると分かれば……!


「バカ、止めろ!」


「!?」


 驚きが連続するなか、空間に番えたアポロンが撃ち込まれる。


 しかし。

 今度は、通用しなかった。


「な――」


 驚きも束の間、ヨルムンガンドの巨大な口が開口する。

 俺もカンナも動けない。攻撃が通用することを想像していた身体は、起こった想定外に対して硬直するしかない。


「っ……!」


 光を纏った巨漢は、そんな窮地からさらっていく。

 噛み砕かれた空気は、強風となって押し寄せた。……トールの助けが無かったと想像すると、背筋が凍る。


 俺達はそのまま都市の奥へ。適当なビルに入り、ヨルムンガンドの視界から撤退する。


「生きてっか? お前ら」


「す、すみません……」


「どうもであります……」


 気にすんなって、と戦神はガラスの向こうに視線を送る。

 安心感からか、トールはわずかに撫で肩を作っていた。……大きな背中も以前見た通りで、こっちの不安まで払ってくれる。


「――しっかし、ボウズの一撃が通用するとはな。こりゃあ当たりかね」


「な、何がです?」


「ヨルムンガンドの能力だよ。……信じられねぇ話だが、ヤツは呪縛結界を切り替えてるんだろうぜ」


「呪縛結界を、でありますか?」


「ああ」


 頷いてから、トールは俺達の前に腰を降ろす。相変わらずの大胆さで、床が少し揺れたぐらいだ。


「基準として自分の呪縛結界を使ってるんだろうが……攻撃を受ける直前、他の魔獣に備わってる結界を使用してるんじゃねぇかな? ミョルニルの攻撃、全然通らねぇしよ」


「でも最初は入りましたよね? あとさっきも」


「不意を突けばどうにかなるんじゃねぇか? あくまでも切り替えだけで、同時展開は無理なんだろ」


「……じゃあ、ここからは二手で?」


「だな。ああ、嬢ちゃんはここで――」


「自分も戦うであります!」


 真剣な眼差しで、カンナはトールに訴えた。

 当然、返答の方は芳しくない。会話の中心からは、何言ってんだ? と言わんばかりの表情を向けられている。


 それでも彼女は引かなかった。四つん這いで戦神の元へ迫って、大きな声で前置きを作る。


「自分、ヨルムンガンドの触手が切れるであります! 理由はよく分かりませんが!」


「……マジか?」


「ええ、まあ」


 彼女の言う通り、原理についてはさっぱりだけど。

 しかし現状、猫の手も借りたい状態なのは確実だった。トールも一瞬で方針転換して、カンナの参戦を思案している。


「……嬢ちゃん、アンタの剣、どういう代物なんだよ?」


「よく聞かされていないであります。人造神器だとか何とか!」


「じ、人造神器だぁ?」


 聞き慣れない単語に、トールは余計首を捻っていた。

 しかし俺にとっては二度目である。……以前に出会った人造神器の使い手は、呪縛結界の条件を満たすもの、緩和するものとして使用していた。


 カンナの剣についても、同じ代物とするべきだろうか?


「トールさん、大丈夫です。彼女、戦力になると思います」


「……おめぇがそう言うなら、俺の方も信じるとするかねぇ。――んじゃ、俺が先に攻撃すっから、二人ともこっそりヤツに近付けよ? んで、一撃お見舞いしてやってくれ」


「はい」


「了解であります!」


 直後、トールはわざわざ窓ガラスをぶち破って外へ。……ヨルムンガンドを引き付けるためと思いたいが、考えなしでやった可能性も否定できない。あの性格だし、うっひょう、とか声聞こえるし。


 ――でもお陰で、雪崩のように突っ走っていく蛇の巨体が確認できた。


「よし、俺達も動こう。……いいか? 慎重に、落ち着いてだぞ?」


「う、疑ってるでありますか!?」


「そりゃあ、興奮気味みたいだしなあ。もともと、そこまで冷静な性格じゃないだろ?」


「うぐ、多少の自覚はあります……」


 ならそれで十分だ。これ以上、俺からしつこく言う必要はないだろう。

 ヨルムンガンドが通り去るのを待って、俺達は行動を開始する。――大蛇と戦神の戦場までは十分な距離があり、こちらが巻き込まれる心配はなさそうだった。


 移動に時間は掛かるだろうけど、それだけ存在を誤魔化せると思えば――


「……おいおい」


 建物から出た途端に響くサイレン。

 こんなタイミングで、最悪だ。

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