第90話 それぞれの理由 Ⅱ
「俺の家族はさ、無個性な家族だったんだ。父さんはどこかにいそうな人間だったし、母さんもそうだった。凡庸な家庭ってのがあるとすれば、多分ウチのことを言うんだろう」
「でもミコトさんは、特別な――」
「それはこっちに来てからの話だろ? ……向こうにいた時の俺は、どっちかっていうと凡庸の下だったかな。勉強も得意じゃなかったし、人と接するのも得意ってわけじゃなかったよ」
「……」
カンナの視線が、少しずつ同情を帯び始める。
ああもう、だからつまらないって言ったのに。彼女の話を続けていた方が、まだ上等な物語りになったんじゃないだろうか?
ともあれ、始めてしまったことには違いない。客観的な気持ちでいることを心掛けて、俺は過去を続けていく。
「当時からあった悩みってのはさ、自分が何なのか、ってことだったんだよ。……特異なことは一つもない、熱中できることもない、成功した感触も知らない。――何も残せないで大衆の中に消えるんだろうな、ってずっと怖かった」
「それは……」
「だからさ、こっちの世界に来てから、どんな状況であれ嬉しいことは嬉しかったんだよ。俺にしか出来ないことがあったんだからさ」
しかし結局は、殻の中に籠っていたのと同じだった。
何を言われても、どんなことをされても、自分にしか出来ないことがあるから平気だった。自分の価値を感じられるだけで十分だったのだ。
――あの日。
囚われの帝国人と出会った時、見事に崩れ去ったわけだが。
「……ま、今もその悩みは続いてるけどな。何かと毎日刺激的だから、そのうち抜けられそうな気はしてくるけど」
「そ、その原動力があの女でありますね……!? ぐおお、羨ましいであります!」
がー! と頭を抱えて苦悩するカンナ。――雰囲気が明るすぎて悩んでいるようには見えないが、多分悩んでいるんだろう。
「ミコトさんっ!」
「お、おう?」
一通り暴れて、彼女は何かを訴えるようにテーブルを叩く。
「自分、今の仕事やめて帝国に仕えるであります! 具体的にはアントニウスさんのお家に! メイド服は好きでありますか!?」
「まあ嫌いじゃないけど……って、そんな簡単に決められることなのか?」
「国王陛下は器が大きい男でありますから! 自分の決意が固いと知れば、きっと頷いてくれるであります! というか今回、王国反乱軍を抑えた褒美に失職を希望しようかと!」
「失職を希望ってお前……」
随分と妙な表現だ。いや、彼女の目的を踏まえると間違ってはいないけど。
野望? に燃えるカンナは、ボレアス市にある緊張感も忘れて叫んでいる。……大切な話をしている人達の邪魔にならないといいけど。
「負け犬上等……! 最低限の取り分は頂くであります!」
「と、取り分?」
「そうです、女の取り分であります。そのためにもミコトさん、早くアントニウスさんの養子あるいは婿になるでありますよ!」
「話が急すぎるぞ! 少し落ちつ――」
け、と言い切る前に、カンナは俺の肩を掴んで揺さぶり始めた。椅子もまとめて揺れ始めており、危ないったらありゃしない。
「――ミコト君、マサユキ殿と連絡が取れた! 詳しい話を……何してるんだい?」
「愛し合う者同士、親睦を深めていたであります!」
「……そうなのかい?」
問いかけてくるヤスバータに、俺は手を左右へ振って応じた。
文句を返したさそうなカンナを横目に、俺は椅子から腰を上げる。……もう少し彼女と話をしても良かったが、父から連絡が来たとあっては行動せざるを得ない。
でもその前に、
「――助かった、カンナ」
「はい?」
「昔の話して少しすっきりした。……こういうの、あんまり他の人には出来ないからさ」
「――自分も、お役に立てて嬉しいであります!」
そんな笑顔に背中を押されて、俺は部屋を後にする。
廊下では人々が慌ただしく動いていた。――何せここはボレアス市を纏める市長邸の一角。町の危機が迫る中、平穏でいるのは難しい。
俺とヤスバータは、その中を黙々と歩いていく。
「……一つ聞いてもいいですか?」
「うん?」
「壊れた砦のことなんですが……こっちに情報が入ったの、ヤスバータさんのお陰だったりします?」
「ああ、そうだよ」
敵がいないこともあってか、彼はあっさり肯定する。
なので、疑問は必然的に次へと繋がった。――『ルーンの民』を裏切ることは、彼にとって不利益ばかりではないか、と。
「まあ私にも色々あってね」
俺が疑問を口にするより早く、彼は心境を吐露し始める。
「もともと私は、今回の反乱に反対だったんだ。仲間達は戦いありきで、帝国と手を取り合って生きようとはしなかったからね」
「じゃあ、どうして参加を?」
「――君のお父さんに提案されたんだよ。仲間達が暴走する可能性もあるから、見張りも兼ねて入ってみたらどうか、とね。……結果はまあ、当たりだったかな」
やれやれ、と嘆息する彼の表情には、少しばかりの困惑がある。指摘されたことが事実となったからだろう。
……にしても、父は何を考えているのか。ヤスバータの言だけ汲み取ると、争いを食い止めようとしているように感じられる。
「皆の気持ちも分からないわけじゃなかったんだよ。――先代の皇帝に敗れてから、一族は散り散りになってしまった。このまま伝統や文化が消えるんじゃないか、って恐れていた」
「……帝国はそのつもりだったんですか?」
「恐らく違うだろうね。私達が暮らしていたところは、環境的に厳しい上、魔獣も多く生息していた。……南のセプテム帝国に取り込まれた時も、『ルーンの民』から願い出たようなものだったよ。生きることで、誰もが必死だったのさ」
「――」
それはきっと、人として当たり前のこと。
でも嫌悪する人達がいたのも確かだ。――命よりも大切なものがある、と彼らは行動を起こしたんだから。
「……私は死を嫌悪するし、戦いを嫌悪する。争いなんて何も生まない。ただ悲劇を積み重ねるだけなんだ。――でも、時には必要でもある」
「必要……?」
「人間というのはね、間違いを前提にしている生き物なんだ。間違いを犯さなければ、それが間違いであることには気付けない。……こういう言い方は変だけど、苦悩すればするほど、未来は明るいんだよ」
「――」
彼の言う通り、とんでもない意見だ。
しかし、的外れだと貶すことは出来ない。……善悪が表裏一体のものである以上、片方が消えればもう片方も消えてしまう。
大切なのは前を向いて捉えること。
あそこで苦しんだから今が楽しいんだと――底なしの前向き人間にこそ、善悪が語れるのだろう。
「……ひょっとしたら、私は確かめたかったのかもしれないね。仲間達がどんな過ちを知り、どんな正義を知るのかを」
「だから、父を恩人と?」
「そうだよ。私に機会を与えてくれた人物だったからね。――まあかといって、君があの人をどうするかに首は突っ込まないよ。君の善悪は君が見出すべきだ」
「父を殺して後悔するか、喜ぶか、ってことですか?」
「どっちを選んでも物騒だね……でも、大まかにはそんなところかな。ああ、安心してくれ、仇打ちとかはやらないから」
「恩知らずな弟子ですねえ……」
「ミコト君に言われたくないなー」
まったくもってその通り。
と、気付いた頃には大きな両開きの近付いていた。耳を澄ませると大人達の話し声も聞こえてくる。
「では市長とのご対面だ。普通のおじさんだから、気負わずにね?」
「了解です」
と平静を装ってみても、少し心は落ち着かない。町一番の権力者や、その近辺の人物が相手なのだ。緊張するのが普通だろう。
もっとも、帝国有数の
「失礼します」
先に二度のノックを入れて、立派な木製の扉が開けられる。
そして。
目に映ったのは、間違いなく自分の父親だった。
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