第89話 それぞれの理由 Ⅰ
「王国反乱軍の一部が、既にこちらへ向かっているらしい」
ボレアスに戻った俺達は、さっそく次の動きを耳にしていた。
――窓の外に見える町は、騒がしくなっていく一方。女子供は帝都へと避難を開始し、男達は武器を手にして動き回っている。
「……」
報告の声を忘れて、俺はその光景に見入っていた。
王国で暮らした二年間、戦いの波が市民生活にまで影響を及ぼしていたことはなかったと思う。無論、軟禁されていた身で確かなことは言えないが。
――戦争。
俺にとっては歴史の資料でしかない出来事。それが今、ボレアスの町を巻き込んでいく現象の正体。
「……ミコト君? 大丈夫かい?」
「え? あ、はい」
ビクリと肩を震わせて、俺はヤスバータの方へと向き直った。
彼は実に堂々とした口調で、部屋に集まっている面々へ語りかけている。といっても俺とカンナの二人だけだが。
帝都からの同行者であるロキは、外で戦いの準備を手伝っている。避難者の移動も引き受ける予定らしい。
「斥候からの報告によると、反乱軍の戦力はほとんどが魔獣だそうだ。……さっき、私達が戦ったのと同じ連中と思われる」
「ってことは、ギガ―ス族ですか?」
「ああ。……しかし困ったことに、ボレアスの城壁は対ギガ―スの戦闘を想定していない。兵達も同じだろう。現在、ボレアスに駐屯している帝国軍の中から、不安が広がっている」
「――」
無理もない。人間の倍以上はある巨体が、群れを成してやってくるのだ。想像しただけでも恐怖は感じるだろう。
こちらの方で、可能な限り数を減らすのが最善だ。砦にいた連中は殲滅できたのだし、不可能だとは言わせない。
「魔獣の数はどれぐらいなんですか?」
「およそ五〇〇とのことだよ」
「五〇〇!?」
いくらなんでも手に余る。……そりゃあ時間をかければ倒せるだろうけど、もっとも重要な町を守るという行為は果たせない。
どうするべきか。トールの助力さえあれば、一縷の望みを託せるだろうが――
「町からの距離はどれぐらいなんですか?」
「ここから数日はかかる場所だよ。『ルーンの民』がもともと生活圏にしていた、北の山脈から少し出たところさ。……まあ、あの巨体で走り出したらあっと言う間だろうけどね」
「……」
砦から出てきた彼らは鈍足だったが、今回の敵まで同じとは限らない。住人を避難させるなど、対策を早めに打っておくのが正解だろう。
「ヨルムンガンドといい、頭が痛くなりますね……」
「そこは、例の戦神を信じるしかないだろうね。――で、ミコト君、ここからが本題なんだが」
「はい?」
「進行を開始した敵軍から、メッセージがあったそうなんだ。最後に一度、こちらと交渉をしたい、ってね」
「帝都での続き、ですか」
王国反乱軍について言えば、目的はあくまでも打倒エルアーク王国。帝国を味方につけたい意向は変わらないんだろう。
しかし、なぜその話を本題に位置付けているのだろうか? 交渉事なんて、俺に聞かせたって仕方ないだろうに。
「……交渉には君のお父上が出る。そして、相手に君を指名しているそうなんだ」
「――は?」
「私も敵の罠だとは思う。が、ボレアス市の市長は、既に交渉へ前向きでね。どうか君に行って欲しいとのことなんだが……」
「そ、そう言われても……」
困る、の一言に尽きる。
ヤスバータも理解してはいるんだろう。首を何度か縦に振りながら、思案で腕を組んでいる。
「もちろん護衛はつけるし、専門の人間も同行する。……もしかしたら、その場にいるだけで事が終るかもしれない」
「……都合が良すぎませんか? それは」
「まったくだね。君を指名した理由も、マサユキ殿にはあるだろうし……ともあれお願い出来ないだろうか? 最悪の場合、交渉を放棄しても構わないから」
「……」
随分と気を遣ってくれているのは、ヤスバータの抑揚から理解できる。
――なら少しぐらい、考えてみても良さそうだ。
「分かりました。俺に何が出来るか分かりませんけど……行くだけ行ってみます。父と話がしたくないわけじゃないですし」
「ありがとう。……じゃあ、私はさっそく報告してくるよ」
本音の感謝と定型的な礼儀を混ぜて、ヤスバータは深々と頭を下げる。
――去っていく足音を、俺は棒立ちしたまま聞いていた。頭の中には色々な予想と不安、ついでに後悔が押し寄せてくる。
でもまあ、承諾は承諾だ。弱音は無理にでも押し込んで、前向きに考えるとしよう。父の目的や正体を知る、絶好の機会にはなるのだから。
「あの、ミコトさん……」
「おう?」
俺が部屋にある椅子を引いたところで、カンナが少し俯きながら聞いてくる。
「じ、自分が代わりに行きましょうか? 直接顔を合わせたら、決意が鈍る可能性も否定できないでありますし……」
「別に心配いらねえって。あの人が味方になる気配もないんだから、聞くこと聞いてさっさとぶっ倒してくるさ」
「でも……」
カンナは、まだ納得していない様子だった。
――まあ、彼女の意見は正論なんだろう。親子で殺し合いをするなんて、まっとうな話ではあるまい。生真面目な彼女には認め難い出来事となる。
しかしだからと言って、納得するわけにはいかないのだ。
「自分で決めたことだ。きちんと自分で責任取るさ」
「……マサユキ氏は、決して悪い人じゃないであります。たくさんの人に手を差し伸べて、反乱軍を大きくしてきた。あの人は、大勢の人に慕われるであります。それを――」
「ああ、斬るぞ俺は」
言い訳も理由も口にしない。ただ、結論だけが存在する。
だってそんなもの、口にしたらカンナの言う通りになるだけだ。……心の中に押し留めておけば、表面に出てくることは決してない。
――世間では、それを強がりと言うんだろうけど。
こう在りたいと決めた以上は、少しぐらい強がらなきゃ。
「例え目の前に母親が出てこようと、俺はあの人を斬る。前に進むための踏み台にする」
「……凄いでありますね、ミコトさんは」
「ただ頑固なだけかもしれないぞ?」
「それでも凄いでありますよ。自分が信じたものに自信を持てるなんて、出来る人と出来ない人がいますから。――ちなみに、自分は後者であります」
「そうなのか?」
はい、と答える彼女の笑みは、自分自身に向けた嘲笑だった。
なので直後に後悔する。ぶしつけな質問だったかな、と。
「……自分の家は、古くから王家に仕えている家系でした。自分もそのために育てられ、そうあることに疑問は持ちませんでした」
「嫌だったのか?」
「うーん、そんな風に考えたことはないであります。自分にとっては、呼吸を行うのも同然の在り方でしたから」
「……聞いてて面白い話じゃないな。まるで洗脳じゃないか」
「人が人を育てるとは、得てしてそういうものであります」
俺の場合も、だろうか?
……否定はできない。色々なことに対する憧れ、目的意識は、子供のころから過ごした環境が原因だ。少なくとも、俺の自覚するところでは。
それがもしマサユキの狙い通りだったとすれば――腹立たしいことこの上ない。
「ミコトさん?」
「うん?」
「何か考えていたようですが……自分で良ければ、相談に乗るでありますよ?」
「――カンナと同じで、聞いてて面白い話じゃないぞ? どこにでもある子供時代の話だからなー」
「それでも聞きたいであります。自分、興味はあるので」
「……そっか」
なら仕方ない。俺は椅子に深く腰を降ろしながら、二年以上前のこと――地球で過ごしていた、代わり映えのしない日常を思い出す。
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