第88話 脱出

 砦から脱出した俺達は、まず山村の方に向かった。

 ヤスバータの提案で、村の人達を避難させるためである。ヨルムンガンドとトールの戦いに巻き込まれない保証はできない。


「……」


 その間にも彼は、女性ロキの姿を探し求めていた。

 ……哀れすぎるので、落ち着いた状態になったら真実を話そう。いつまでも騙している状態なのも気分が悪い。


「――っ、ミコト君! 向こう!」


「あれは――」


 村人を誘導する中。砦のあった方角から、無数の巨体が近付いてくる。

 もとの状態に比べると一回り小さくなっているが――間違いない。魔獣と化したギガ―ス達だ。


 その姿は巨大な竜人に似ている。……手に武器を持っているわけではないが、人間にとって巨大な身体はそれだけで武器だ。

 彼らは一様に村の方へと近付いてくる。


 避難が間に合うかどうかは、言うまでもなかった。


「俺が行きます! ヤスバータさんは、その間に村の人達を!」


「分かった! 無理はしないようにね!? 君は恩人の――」


「ええ、肝に銘じときます……!」


 精霊の力を宿し、緑の足場を駆けていく。

 アポロンの展開は一瞬で。射撃の際にこそ、コイツは最大威力を発揮する……!


「時間が無い、手短に行くぞ――!」


 己を鼓舞するように、勝利を確信した台詞を吐く。

 実際、その通りになった。


 呪縛結界までは装備されていないんだろう。オマケに動きも鈍い。間断なく撃たれる矢を、躱すだけの能はない。

 適切な間合いを維持して、徹底的に片付ける。


 ――偶然生き延びたギガ―スがいても、俺の対応は変わらなかった。

 ただ、叫び声が聞こえている。悲観ではなく、怒りでもなく、それが義務だと言わんばかりに敵意を振りまく巨人がいる。


 槍代わりに、俺はアポロンを手にしていた。

 射撃の豪雨は一度止む。


『アアアァァァアアア!!』


「っ……!」


 振り上げられた拳に、正面から挑んでいった。

 もちろん、流れを変えるような出来事はない。拳の打った空白が、俺の頬を撫でるぐらいだ。


 すかさず、その額へアポロンを突き立てる。


『ア、ァァ……』


 呆気なく、古代から続いたであろう命が断たれた。

 ……頭の中には少しばかりの罪悪感。他の方法はなかったのかと、未練がましい自分がいる。ロキに引き受けると言った筈なのに。


「――ふう」


 だから、深呼吸で不安を吐き出すことにした。

 俺の都合など彼らには関係ない。……死が望みなら、その通りに引導を渡してやるまでのことだ。


 自分が普通の人間だから。

 何かを決断できる者へは、経緯を払うしかないのだと。


「……つっても、人気すぎるのも困るんだが」


 ギガ―ス達は次々にやってくる。いずれも一直線に村を狙っているが、視界に映るだけでも十体弱。……果たして抑えきれるかどうか。


「――まあいいか。つべこべ考える前に行動――」


 直後。

 村を、巨大な触手のようなモノが襲っていた。


 凹凸のある黒い鱗――ヨルムンガンドの一部だろう。地中を這って、ここまで伸びてきたに違いない。

 トールは大丈夫なのか――杞憂を抱きながら、俺は村へと向きを返す。


『オオオォォォオオ!!』


「っ、少し待ってくれよ……!」


 跳躍一つ、降ってきた拳を回避する。

 反射的に撃ち込んだアポロンは、ギガ―スの急所を正確に射抜いていた。遠矢の渾名に違いはない。


 ――かといって、時間の問題を解決するには限度がある。

 村から届く、女子供の悲鳴。

 それを、


「だあああぁぁぁ!」


 同じ、女の声が打ち消した。

 しかしこちらには気合いが乗っている。明らかに戦意があり、敵を倒すだけの力がある。


 背中は、任せても良さそうだ。


「っと……!」


 余所見を叱るように、魔獣が一撃を叩き込んでくる。

 ――ならお望みのまま、全力で暴れるまでだ。後ろの心配事も消えている。最後まできちんと、礼儀を尽くすことに集中できる……!


「っ!」


 土が弾け、木が倒れる。

 地面は楽器のように連打された。アポロンで、仰臥するギガ―スで、途切れなく轟音を響かせていく。

 周囲が更地になったのは、数分後のことだった。


「ミコトさん!」


 最後のギガ―スを撃破し、一息ついた俺を呼ぶ誰か。

 やっぱり、カンナだった。


「いやはや、さすが! 魔獣殺しの面目躍如でありますね!」


「それぐらいしか能がないもんでな。……村の方は?」


「避難はほぼ終わったであります。あの変なウネウネについても、今は問題ないかと」


「う、ウネウネ?」


「そうです、ウネウネです」


 呑気なことに、カンナは身振りを交えて説明し始めた。

 ……そういえば彼女、喋る時によく擬音を使っていたっけ。王国時代、何度か笑わされたのが懐かしい。


「よし、俺達も行くか。悠長にしてられる場合じゃないからな」


「はい! 自分がミコトさんを守ります!」


「お、おう」


 手に剣を握ったまま、カンナは目を見開いて詰め寄ってくる。……誰かさんへの対抗意識があるような、無いような。


 ともあれ元気そうで何よりだ。怪我の方はまだ目立っているけれど、ボレアスに到着すれば直ぐに治して貰えるだろう。

 いつも通りの明るさを見せる少女と一緒に、ロキの方へと駆け出していく。


『む、無事だったかミコト』


「ええ、どうにか。村の人達は?」


『ちょうど避難が終わったところだ。さあ、お前達も我に――』


 乗れ、と言った直後。

 地面を突き上げるような激震が、一帯の地域を襲う。


 続けて砦のあった場所からの轟音。――天に昇る竜をイメージさせる勢いで、ヨルムンガンドの巨体が現れる……!


「はっ、やっと目ぇ覚めてきたか! お楽しみはこっからだな、宿敵!」


 同じように、トールが空へ舞い上がっている。


 足となっているのは一頭の駿馬。北欧神話最高の馬とも互角に争い、主神オーディンが認めた名馬。

 名をグルファクシ。元は最強の巨人が手綱を握った、空さえ踏破する『黄金の鬣をもつ者』……!


「おらおらおらぁっ!」


 ミョルニルを纏い、光の塊となってトールは奔る。

 接近する度に轟音が響き、ヨルムンガンドは防戦一方だった。額に受けた一撃はもちろん、繰り返される攻撃によって鱗が剥がされていく。


 古文書に記された神話の再現。戦闘の余波は山を砕き、森を燃やし、大地に亀裂を走らせる。

 ――トールが敗北する要素などどこにもない。呪縛結界があるにも関わらず、彼は順調に勝利を引き寄せている。


『急ぐぞミコト。ヨルムンガンドの出現を知り、王国反乱軍も動きだすかもしれん』


「……はい」


 ここまで有利な状況を見せつけられても、心配はなくならない。呪縛結界が必ず発動することは、この二年でしっかり身に染みている。


 となればアレが、トール最後の雄姿。

 戦場を去る中、俺は最後まで戦神の姿を見届けた。

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