第87話 蛇の覚醒 Ⅱ
「言ったろう? 我らにとって、盟約は誇りなのだ。贖罪のための、世界を元に戻すための、加害者として行う意地だ」
「……トールさんと同じですね」
「そうだな。……改めて頼む、ミコトよ。我の同胞を尊重してもらえないだろうか? 人形としての維持を、果たさせてくれないだろうか?」
「――」
そこで断る程の頑固さなど、俺は持ち合わせちゃいない。
彼らには彼らなりの
測れないなら、俺の口からは肯定も否定も無しだ。――理解できない対象なのだから、価値を与えることは不可能でしかない。
精々、ロキとの短い付き合いを考慮するぐらいで。
「分かりました。ロキさんがそう仰るなら――」
「む」
力になる、と締め括る直前。扉の向こうから、足音が部屋に真っ直ぐ近付いてくる。
ロキは姿勢を正し、淑女然とした雰囲気へ切り替わっていた。……見事すぎて、これまでの経歴を問い質したくなる。
もっとも、
「ヤスバータ、僕が以前にしていた話なんだが――」
扉を開けた赤衣の青年には、見覚えがあった。
帝国軍・近衛隊隊長――マルコである。
「!? お前は……!」
「っ――」
反応は即座だった。
ロキは一瞬で巨体に戻り、床と天井をぶち抜いてくれる。俺も神器――アポロンを手にしてマルコと向かい合った。
手にしている得物の形状は、槍と言うよりも巨大な矢に近い。
それもそうだろう。アポロンは神として、遠矢の二つ名を持っている。……俺の手元に肝心の弓はないが、空間から射出できる能力は弓の代わりになるかもしれない。
故に、
「行け……!」
マルコ目がけて、雨のように叩きつける。
腰の剣を即座に抜く彼だったが、その姿は爆風に呑まれて消えていた。ロキも行動を開始し、数秒の間で敵拠点に大きな爪痕が刻まれる。
『行くぞミコト。――同胞達を、生から解放する!』
「はい……!」
集まってくる反乱軍の面々。王国の主な戦力である、魔術師としての黒いローブを纏っている。
ロキの巨体に向けて魔術を放つ彼らだが、結果は無残なものでしかなかった。彼の皮膚に触れた途端、泡のように砕け散ってしまったのだ。
何度繰り返したって、同じ現象しか起こらない。
施設を破壊しながら、ロキは文字通り道を切り開いていく。大量の繭が置かれていた方向まで一直線だ。
『ぬん!』
ひと際分厚い壁を、拳の一撃で打ち砕く。
ようやく、繭たちとのご対面だ。
後方からは、巣を荒らされたアリのように慌てる敵の声。……さすがに魔術を撃ち込んでくる者は一人もおらず、応援を呼んで対処する方向へと切り替えている。
「悠長にしてる暇はなさそうですね……」
『まったくだな。しかしこれだけの数、そう簡単には――』
「止めろ!」
ロキの手が届かない安全地帯。
そこで部下に守られながら、怒りを露わにするマルコが立っていた。
「彼らを殺して何になる!? 種として課せられた拘束から解放される機会を失い、未練を残して世を去るだけだ! 異世界人とはいえ分かるだろう!?」
「――」
当たり前の、正論。必死な表情も相まって、説得力は十分にある。
しかし。
『分かったような口を聞くな、小僧』
「何……!?」
怒気を孕んだ声で、ロキは真っ向から反論した。
『我が一族は千を超える年月を過ごしてきた。お前達人間のように生への執着もなければ、死に対する恐怖もない。同列で語るな』
「それは貴方の考えだろう! それに僕達は、ただ貴方がたを救いたいだけだ! 感謝こそすれ、文句を言われる筋合いはない! 今すぐ謝罪――」
『身の程を弁えよ』
ロキが構える。右腕を高く上げ、魔力の渦を作り上げる。
――マルコの周囲にいる護衛達が構えるが、果たしてどれだけの意味があるのか。
『さらばだ』
虚空から出現する赤い大剣。
魔力を伴ったまま、マルコ達へとぶち込まれる。
「がっ!?」
叩きつけられた途端、剣は衝撃を拡散させた。
直撃こそ逃れたマルコ達だったが、衝撃の方までは防げていない。抵抗空しく、奥の壁に叩き付けられてしまっている。
腕を下ろしながら、ロキは侮蔑の眼差しを彼らに向けた。
『では兵器として運用するのは如何なる動機か? 自分達に好都合な存在として仕立て上げ、利用するためではないのか?』
「……」
『本気で救おうとしているにせよ、余計なお世話だ。我らは我らの命を使い尽す。神の炎と共に焼き尽くす』
「く……!」
未だに立ち上がれないマルコを置いて、ロキは物言わぬ同胞達へと視線を向ける。
当然ながら歓迎はない。ギガ―ス達に何かしらの処置を施していた、無数の蛇が敵意を向けてくるだけだ。
――戦いの気配を感じてか、彼らの姿は切り替わっている。
手があり、足があった。帝国でよく見る
武具こそ装備していないものの、彼らには生来もっている牙と爪があった。体格は二メートルほどで、ロキと言えど一方的に襲われるのは危険かもしれない。
なら、
「蛇の相手は俺がします。ロキさんは先に、繭の方を」
『……すまんな』
直後。
尋常ではない脚力で、蛇はロキの肩へと跳躍する。
「っ……!」
視界に映った瞬間、神器・アポロンを叩き込む。
防ぐ術もなく、蛇人は地面へと撃ち落された。
それが火種。何十という敵が、脇目も振らずに北欧の巨人へと殺到する。
「行くぞ……!」
既に意識は切り替えた。
あとは試運転も兼ね、
「――っ!」
爪が届くよりも先に、アポロンの切っ先を捻じ込んでいく。
蛇人は前後左右から湧いてくるが、趨勢にはまったく影響を及ぼさなかった。轟音を従えて飛来する矢が、片っ端から駆逐していく。
俺が直接相手にするのは、最初に群がってきた十数頭。
増援が紛れ込んではいるようだが、それ以上のペースで撃破する。
――得物の扱いに狂いはない。王国での二年間、古文書の知識と一緒に武術も叩き込まれている。精霊の力で補強されていることもあり、遅れを取る道理は一つもない。
「数だけじゃ――」
一瞬の隙。敵の攻撃が途切れた瞬間を見て、前方に改めてアポロンを展開する。
刹那、彼らの瞳に恐怖が映った。
俺は手を掲げる。
「無駄だろうが!」
振り下ろした直後、爆音が鳴り響いた。
前方に群がっていた蛇人は、生じた土煙の中に取り込まれるだけ。悲鳴はもちろん、反撃しようとする流れだって生じていない。
視界は晴れる。
あるのは、アポロンによって積み上げられた墓標のみ。
「次……!」
左右と背後にまだ敵はいる。魔力も十分、このまま一気呵成に撃破するまでだ。
しかし。
足元から響く揺れが、すべての行為を中断させた。
「――」
揺れは徐々に大きくなる。蛇人達は攻撃を停止し、ロキが通った場所から外へと一目散に逃げていく。
来るのだ。
彼らの親玉――ヨルムンガンドが。
「っ――!!」
一帯の中央、無数のアポロンが突き刺さっていた場所が爆散する。
……振動は止まっていた。お陰で状況は改善するどころか、急激に悪化してしまったわけだけど。
終末の大蛇・ヨルムンガンド。
脱け殻の存在を納得させるほどの黒い巨体。鱗はまるで岩山のようで、その凶暴性を一層強く印象づける。
――信じられないほど巨大な双眸が、敵意を込めて睨んでいた。
『いかん少年! ここは退け! そやつはトールがいなければ話にならん!』
「でもロキさんは――」
『我も退く! この場はいくらなんでも分が――』
悪い、なんて言葉は出なかった。
否、言うことが出来なくなっていた。
「――おおおぉぉぉおおお!!」
岩の天井が粉砕される。
光の鉄槌――戦神・トールの一撃によって。
「おらぁっ!」
『っ――!?』
ヨルムンガンドが気付くより先に、トールは一撃をぶち込んでいた。
大蛇の額。乗り移った戦神の拳が、岩のような鱗を打ち砕いている……!
「再会の挨拶だ! もう一発喰らっとけ!」
『アアアァァァアアア!』
そんなものはご免だと、ヨルムンガンドは必死に頭を振り回す。
蛇の巨体は何度も壁へと打ち付けられた。が、トールは一向に傷つかない。全身に薄い光を纏って、鎧代わりにしているのだ。
恐らくはミョルニルの一機能だろう。拳から放った一撃といい、彼は肉体を強化する手段として使っているようだ。
「はははっ、動きにキレがねぇなぁ! 寝起きで頭ボケてんのか!?」
『グオオオォォォ!』
ヨルムンガンドの暴走は止まらない。このまま残っていたら、天井から降り注ぐ瓦礫の下敷きになってしまう。
……不本意だが止むを得ない。指示に従い、俺は行動を開始する。
もちろんそのロキも一緒だった。中身が動いている繭を放置して、砦の中を破壊しながら進んでいく。
――途中、人々は誰もが逃げ惑っていた。当然だろう。侵入者が暴れ始めた挙句、ヨルムンガンドまで出現したのだ。平静で居続けることの方が難しい。
「おい、ミコト君!」
「貴方は……!」
崩れる砦の中。声をかけてきたのは、俺達を砦に招き入れた男――ヤスバータだった。
「同行して構わないか!? このまま残っていたら、君達を招いた罪で処罰されるのは間違いないのでね!」
「……どうします?」
『我に異論はない。ミコトの好きなようにするといい』
だったら、首は縦に振ろう。
ヤスバータはロキの手に乗って、俺の隣へとやってくる。――頭を左右に振って、誰かを探しながら。
「なあ、君と一緒にいた女性は――」
「か、彼女ならもう脱出しましたから! 今は自分のことを考えてください!」
「あ、ああ?」
強引、の二文字が相応しいまま、俺は彼の疑問を黙らせる。
そんな俺達のやり取りを見て、ロキは楽しそうに笑っていた――
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