第86話 蛇の覚醒 Ⅰ
「これは……」
「あまり見ない方がいいよ。楽しいものではないからね」
敵の拠点を歩いていると、気味の悪い光景に遭遇した。
ヨルムンガンドの脱け殻があったのと、同じぐらい広い部屋。――そこに無数の、巨大な卵が置かれている。
……いや、卵ではなく
「ギガ―ス族……?」
半透明な檻の中で、彼らはじっとして動かない。
代わりに動いているのは、繭同士の合間を這って動く蛇達だった。……彼らはときおり立ち止まって、品定めをするように向こう側のギガ―ス族を眺めている。
「あ」
ちょうど、俺の見ていた一匹が繭の中に飛び込んだ。
直後、
『ガアアアァァァアアア!!』
鼓膜を破るような大声で、ギガ―スの絶叫が響き渡る。
とはいえ、中の彼に変化らしい変化はなかった。膝を抱えた姿勢のまま、目蓋を閉じて眠っている。
――一人、同族であるロキだけが怒りを滲ませていた。
「あれはね、古のギガ―スと呼ばれる者達なんだ。課せられた規約を破ったため、ああいう姿になっているらしい」
「規約って……」
「盟約、と呼ばれるものだそうだよ。全能時代に課せられた、彼ら専用の呪縛結界、と言ったところかな。……放っておくと魔獣になって暴れ始めるのでね、ここで細工を加えている」
「さっき入った、蛇のことですか?」
「ああ」
案内してくれる男は頷くが、横顔にはロキと同様の感情が浮かんでいた。
足取りを早くして、俺達はギガ―ス達の前から移動する。
「あの蛇はとある大蛇の分体とも呼べるモノでね。どうも、魔獣を制御する機能があるらしいんだ」
「……兵器にでもするつもりですか?」
「君のお父さんはそう考えてる。――私は何度か反対したんだけど、押し切られてしまってね。いやはや、あの時ほど正論を恨んだことはないよ」
「父は、何を?」
「無関係な人間を大勢殺す気かと、そう言った」
溜め息が混ざった告白。
通りかかる人々に挨拶を受けながら、彼は話を続けた。――頭を下げられるのは俺達も同じで、忘れずに礼儀を果たしておく。
「帝国も王国も、魔獣の脅威に晒されている。……そこで古のギガ―ス達が魔獣化すれば、被害は一気に広がるだろう。魔獣の原点である彼らは、従来の魔獣を超えた能力を持っているからね」
「魔獣の原点……?」
「ああ。これは私も、つい最近知った話なんだが……古のギガ―スは、もともと兵器として生み出されたらしい。私達がよく知っている魔獣は、その模倣品だとか」
「――」
先頭を歩く男が気付かないタイミングで、俺はロキに振り返る。
彼女の浮かべている真剣な眼差しは、今の情報が真実であることを裏付けていた。怜悧な美貌も歪んでいく。
「彼らを野放しにすると危険だから、私達は彼らを飼わなければならない。『ルーンの民』として、帝国の中に消えてしまわないためにもね」
「それは……」
「まあ負け犬の遠吠えさ。私達は大国に飲まれることを享受できなかった。故に他国の反乱軍と手を組んで、行動を起こした。――敗者としての維持すら、私達にはないんだよ」
「……」
「済まない、誰が聞いても面白くない話だったね。……女性の荷物は私の部下に運ばせよう。ミコト君のことも、他の者達知らせておく」
「ありがとうございます」
また、ロキと一緒に頭を下げる。
それを見た男は、これまた同じように赤面していた。――視界の中には俺の姿などなく、美女に化けた巨人のことしか映っていないんだろう。
さらに廊下を進んでいくと、左手の方にある部屋へと案内された。どうも男の仕事部屋らしく、客をもてなすための質素な椅子、テーブルもある。
「ここで待っていてくれ。腹が減ってるだろうし、直ぐに食べ物を持ってくるよ」
「……どうもです」
「いやいや。恩人の息子に対して、これぐらいで申し訳ないぐらいだよ」
はは、と微笑を混ぜる男を、俺は一抹の罪悪感を感じながら見送った。
扉が閉まり、足音は徐々に小さくなっていく。――他に人の気配もなさそうだし、ようやく一息つけそうだ。
「まったく、酷いものを見せられたものだ」
姿勢を崩したロキは、開口一番で先の光景を罵倒する。
「……でも、もう手遅れなんですよね?」
「そうだ。以前君が戦ったガルムのように、無差別に人を襲い始めるだろう。……彼らを救うということは、彼らを完全に殺すこともでもある」
「今のままじゃ、生き地獄だと?」
「――」
ロキは答えない。ただ、溜め息を出しながら天井へ顔を向ける。
……同胞に過ちを犯して欲しくない。以前、彼はそう言った。
一方で、殺すことに抵抗はあるんだろう。今の彼を見れば一目瞭然だし、以前ガルムを手に掛けた時も、いたたまれない表情だったのは記憶に新しい。
「……ロキさんが嫌なら、俺がやりますよ」
「なに?」
「どの道、放置しておくことは出来ませんし。だったら俺がやりますよ」
「――」
無言で視線を交わした後、ロキはもう一度顔を上げた。
お陰で、前向きに受け止めている印象はない。……挑発になっていなければいいけど、と俺は内心で一人ごちる。
「いや、我がやろう。どのような状態になろうと、同胞は同胞だ。ツケは自分達で払わなければなるまい。――くく、先の男ではないが、負け犬の遠吠えというやつだな。あるいは意地か」
「い、意地?」
「敗者の美学というやつだよ。負けた者には、負けた者なりの責任の取り方がある。まあ……己が敗者だなとど、自覚するのは簡単ではないがな。五感のすべてを奪われるようなものだ」
「五感の……」
要するに、それだけの窮地が敗北の意識を作るんだろう。
でもあそこにいた彼らはどうなのか。ロキみたいに自分の意思で動いている者もいるんだし、助け出す方法もひょっとしたらあるんじゃないか?
冷静に自分の意見をひっくり返して、薄ら笑いを浮かべるロキに問いかける。
「繭の中に入っているギガ―スを助ける方法って、ないんですか?」
「無い。あそこまで症状が出てしまえば、ガルムのように完全な魔獣となるだけだ。人の文明が危機に晒されるだけだぞ」
「……」
力強い断定。俺は反論する術もなく、黙って聞くことしか出来なかった。
反対に、ロキの方は笑みを浮かべている。――美女に化けているだけあって、その顔は男を引き付けるだけの魅力があった。
少しばかり、この部屋の主である彼に同意する。
「気にする必要はない。我らは滅ぶべくして生まれた存在だ。大勢の民に危害が及ばなければ、彼らは誰も恨まないだろう」
「……そういうもんですか」
「そういうものだ。――我らはしょせん、盟約の人形。そうなることを誓い、そうであることに誇りを感じている。君が悪く思う必要はない」
「――嫌になったことはないんですか? 盟約が」
「無い」
これも、先ほどと同じ断言だった。
威圧感すら籠っている抑揚へ、逆に感心すらしたくなる。……彼はトールと同じだ。確たる人生の目的、信念を秘めて、一日一日を生きている。
それは羨ましい在り方で――傍から見ていると、少し怖い。
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