第85話 女装潜入
「……」
「――」
「ふむ」
下手な同情は出来なかった。
手鏡に映る自分を見て、トールは絶望に打ちひしがれている。……そりゃあ女装なんて、好きでなければするもんじゃない。強要された時の精神的負担は最悪だろう。
無論、彼の場合は手遅れなわけで。
筋肉隆々の逞しい女性が、俺達の前に立っていた。
「……笑えよ」
「いや、笑うことも無理なんですが……ねえロキさ――」
「く、くく、うくく……」
仕掛け人の一人である彼は、必死に笑いを堪えていた。横っ腹を突けば、簡単に崩れそうな気がしてくるけど。
「くそっ、最悪だ……人生至上最悪の出来事だぜ……!」
「ふ、ふふ、最悪とは酷い言い草だな。案外と似合っているぞ、くくく……」
「――もういいよお前、さっさと笑えよ」
「ふふ、何を言っている? ここは既に敵地も同然。妙な真似をするべきではない」
「もっともらしいこと言いやがって……」
割と本気で、トールはロキを睨んでいた。
しかし注意する必要があるのは、まったくもって正論である。俺達がいるのは件の山村――『ルーンの民』に物資を供給している村の中だ。
とはいえ一応、村からは協力を得ている。彼らも現状には不満を抱いているようで、二つ返事で承諾してくれた。
「畜生、俺も変装するんだったらボウズみてぇなのが良かったぜ。貫頭衣を着て、顔に泥つけるだけでおしまいだもんよぉ」
「はは……」
念のためということで、俺も彼らと同じように変装している。
もちろん、性別を変えるような手間は入っていない。使い古された服を借りて、トールが言ったような細工を施しただけだ。
黒髪は王国人に特有だし、万が一の際には適当な詭弁で乗り切る予定である。
「ええい、文句を言うな。なるべく衣装は質素にしたのだ。そこまで本格的な女装ではなかろう?」
「本格かそうじゃないかの問題じゃねぇよ。プライドの問題なんだよ……」
今すぐにでも謝罪したくなる勢いで、トールは深く深く気落ちしている。
……代わってあげたい気がしないでもないが、さすがに自殺行為だ。大人しく生贄になって頂くとしよう。
「トールさん、頑張ってください。帝都に帰ったら俺、何か奢りますから」
「ま、マジかよ……じゃあ頑張るしかねぇな」
あっさりと陥落した。
むさ苦しい雰囲気の女性と本格的な美女は、そうして村の外へ向かっていく。手にはもちろん、侵入するための口実になる食料が。
辺りは人間の生活が成立するほどの緑があった。帝都では見たことのない木の実もあり、町外れの土地に来ていることを実感させる。
「ところで、トールさんは喋っていいんですか? 声でバレると思うんですけど」
「はっ、俺を舐めんなよ? その気になれば裏声だって出せるのさ!」
「……なんかすっかりやる気ですね」
「当たりめぇだろ! 帝都でご馳走してくれるんだったら、女装ぐらい何度だってやってやるぜ!」
「――」
今さらだが後悔する。これまでの帝国生活である程度のお金は貰っているが、果たして彼の食欲に耐えきれるかどうか。
同情を込めて、ロキが肩に手を乗せてくる。
「トールも鬼ではない。お主の財産が底を突きそうな時には、自分の方から引き上げてくれるだろう」
「信じます……」
ともあれ、今は潜入作戦の方だ。……俺は直接関われないので、見送りぐらいしか出来ないけれど。
「いいかボウズ、村で大人しくしてろよ? お前の変装は用意してないん――」
「待て」
会話を断ち切ったロキは、厳しい眼差しを進行方向へ向けている。
腰を低くして移動する彼に、俺達も見習って後に続いた。帰れ、と示唆する身ぶりもなく、息を殺して歩いていく。
数分もしない頃、少し視界が開け始めた。
どうも人の手が入っている道らしい。トールやロキが向かうべき方向へと伸びており、俺達の敵が使っていると一目で分かる。
そして、人が来た。
「カンナ……!?」
手足と口を縛られて、黒髪の少女が運ばれている。
彼女に意識はなさそうだった。オマケに身体中が傷だらけで――何が起こったのかは言うまでもない。
救出するべきだ。
……ここで動けば、ロキの立てた侵入計画は台無しになるけれど。
「ふむ、どうする少年。彼女と関わりがあるのは君だ、我はもちろん、トールもお主の意向にしたが――」
「おおおぉぉぉおおお!!」
言うまでもなく。
無手のまま、筋肉ダルマの女が突っ走った。
「!?」
「な、なんだお前は!?」
敵は一瞬でパニックに。――トールに待っているのは、赤子の手を捻るよりも簡単な戦闘だけ。
ミョルニルを使用せず、一瞬でその場を制圧する。
「はっ、女に手ぇ出すとは戦士の風上にもおけねぇな。せめて保護するぐらいの気概は見せろよ!」
「……」
倒れ、気絶している戦士達に返答はない。
代わって音を返すのは、拠点にいるであろう者達だった。――駆け足で近付いてくるのが分かる。
まずい。敵が到着する前に証拠隠滅するのは不可能だし、かと言って野放しにすれば帝国の干渉を疑われる。
中の調査が困難になるのは確実。今すぐ打開策を出さなければ、せっかくのチャンスが台無しになる。
「……少年、どうする」
「――俺とロキさんでこの場に残りましょう。トールさんはカンナを連れて村の方へ」
「ああ、分かった!」
言いつつ、トールは黒髪の美少女を担ぎ上げる。……こちらを気遣う気配は微塵もなく、脱兎のように現場から離脱した。
信頼されているのか、あるいは考えなしなのか。
「おいっ、何があった!?」
武器を携えている黒衣の男達が、トールと入れ違うタイミングでやってくる。
最悪の事態を避けられたことに安心したいが、まだ気を抜ける状態ではない。やってきた五名は、揃って
「村の者か……? 男は――? 王国人か? 君」
「……は、はい、そうです。えっと、ここの人達なら反乱軍のことを知ってるって聞いて……」
「――用件を聞いてもいいか? 帝国に王国人がいるなど、ただ事ではあるまい」
「その、反乱軍の代表を父がやっているんです。それでその、どうにか会えないかと海路で帝国に来たのですが……」
「何?」
代表格の男は、そこで眉根を潜め始める。
……俺の作戦は単純だ。父・マサユキの立場を利用して中に潜入する。これでも親子なんだし、顔が似ている自信もあった。
もちろん成功する確率なんてコレっぽっちもない。単なる博打で、マサユキが一人身だと知れ渡っていれば瓦解する。
「――もしかして君、マサユキ殿の……?」
「はい、息子です」
以外にも。
それを聞いた代表の男は、清々しいぐらいの笑みを見せた。
「そうかそうか! ここまで大変だったろう? 海路と言うことは、亡命する連中に混じってヘリオスから来たんだろう?」
「はい。途中で色々な人に助けてもらいながら、どうにかここまで……」
「そうか……いや、マサユキ殿はいつも家族の話をしていてな。確かに君ぐらいの歳をした息子がいると聞いたよ。えっと、名前は――」
「ミコトです」
「そうそう、ミコト君だったな。……ところで、さっきまでここに男がいなかったか? かなり大声で叫んでいたんだが……」
「は、はいっ、いました! ――その人、この道を南に向かいましたよ!」
「――だそうだ。お前達、先に行ってくれ。私も後から向かう」
「はっ!」
『ルーンの民』らしき男達は、魔導具らしき槍を携えて道を進む。
……当然だが、俺の情報は大嘘だ。トールが向かったのはここから東の方向で、九十度ぐらいは異なっている。
「さてせっかくだ、中で何か食べていくといい。……っと、隣の――その、女性は?」
「近くの村に住んでいる人だそうです。反乱軍の人達に食べ物を、って」
「う、うむ、それはご苦労。ところでお名前は……?」
「――」
ロキは当然ながら口を開かない。気付かれない程度に、どうにかしろ、と俺の服を引っ張ってくる。
「済みません……彼女、子供のころ獣に襲われたそうで、声が出せなくなってしまったそうなんです。その時、ご両親も亡くなったとか……」
「なんと……でしたら、どうぞ中へ。ミコト君と一緒に、歓迎させて頂きます」
「――」
艶然とした笑みを浮かべ、ロキは深々と会釈する。
正面にいる男は、頬を赤らめるだけだった。……厳しい現実が待っていることも知らずに、かわいそうなものである。
ともあれ彼の案内に従って俺達は敵の拠点へと向かっていく。
岩の砦を発見したのは、間もなくのことだった。
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