第84話 驚愕の作戦
帝都を北へ進み続けると、ボレアスという町が見えてきた。
既にアントニウス達の方から連絡は行っているようで、町の人々は暖かく迎えてくれる。……もちろん、大きな驚きも一緒だったが。
理由はロキにある。ギガ―ス族は帝国南部でしか見ないそうで、ボレアスの住人は初めて見る巨人の身体に口を開けるばかり。
町の構成についても似たようなことが言えた。建物の密度が濃く、ロキが満足に歩ける場所ではないのだ。
『気にする必要はない。我は町の外で寝泊まりする』
「……」
環境の違いを受け入れて、ロキは草の大地へ腰を下ろす。
近くにいるのは俺と、町の入り口を守っている衛兵だけだ。トールは町の中に入って、さっそく観光を楽しんでいる。
『ミコトも少し休憩してはどうだ? 我の肩に乗るだけでも疲れたと思うが』
「まだまだ平気です。……とにかく今は、今後の予定を立てましょうよ。カンナだってそう離れてはいないでしょうし……」
『ではそうしよう。ああ、トールのやつを呼ぶ必要はない。アレは作戦や計画といったものが大の苦手でな』
「神話にある通りですね……」
北欧神話の戦神・トール。文字通り戦いの神である彼だが、その性格も単純かつ豪快である。何かと得物のミョルニルで脅すことが多いんだとか。
一方でお人好しなところもある。――ある時、彼が古傷を直そうとしていた時のこと。魔術によって治療は進み、機嫌を良くしたトールは、担当してくれた魔術師の女性を喜ばせようとする。もちろん、感謝の気持ちを込めて。
それは彼女の夫が生きているという情報で、彼女は喜んだ。――が、トールの治療に必要な呪文を忘れてしまったのだ。お陰で彼の傷は塞がらず仕舞いだという。
本当、良くも悪くも大雑把な神なんだろう。
『――最初に我らが解決すべきなのは、脱走した少女のことだ。彼女は王国反乱軍に対するスパイでもあるのだろう? きちんと情報は引き出さなければな』
「近くにいるんですかね? 途中、それらしい影は見ませんでしたけど……」
『それについては一つ、参考になる情報がある。先ほど町の者が、東にある山の麓で人に会ったと言うのだ。黒い髪で、十代半ばの少女だったらしい』
「……黒髪は王国に多いですから、カンナの可能性が高そうですね」
そうなれば善は急げ。ロキの足なら直ぐに移動できるだろうし、すれ違いになることはない筈だ。
俺は早速、彼に飛び乗ろうとして――
『待て、そう急かすな』
膝を曲げた直後に、止められた。
『少女が目撃された山の麓にはな、既に『ルーンの民』が拠点を構えているらしい。……少女を目撃したというのは、彼らに物資を供給している山村の住人でな』
「……彼らにはもう、攻撃する用意があると?」
『かもしれんな。加えて山村の者達が求められたのは、食糧や魔導具だそうだ』
「戦う準備をしている、ってことですかね?」
あまり猶予は残されていない。戦いが始まれば、カンナの捜索はより困難になる。
『故にカンナという少女の捜索、行う上では『ルーンの民』が壁となる。下手に動けば、彼らを刺激することにもなるだろう』
「……じゃもういっそ、刺激するとかでどうです?」
『止めておけ。交渉の余地が完全に消えたわけでもなし、帝国議会に迷惑がかかるだけだぞ』
「では、どうするべきだと?」
『ふむ――』
ややあって、何かを思いついた彼は手を叩く。……もちろん四、五メートルほどの身体で行うため、ちょっとした爆発に聞こえなくもない。
『ひとまず中を調べてみるのはどうだ? 山村から物を運ぶため、人の出入りはあるようだぞ』
「……なるほど、村人に変装するんですね。俺とトールさん辺りでやれば、怪しまれることもなさそうです」
『? ミコト女装趣味でもあるのか?』
「――」
衝撃的な四文字が飛び出て、俺は返事をすることさえ忘れていた。
……そういえば、北欧神話のトールとロキには、女装にまつわるエピソードがあったっけ。恐ろしい。
『食糧は基本、村の女達に運ばせているそうだ。そのまま男が行けば怪しまれるのは確実。無論、中には入れんろう』
「それで女装、ですか……」
『うむ。我とトールで行おうと思うが、どうだろうか?』
「――」
またもや絶句した。
ロキはもちろん、トールはあの髭と髪がある。これからどんなに整えたって、女の格好にはならないだろう。ああいや、貧しい女性、なら有りなんだろうか?
……提案者のギガ―ス族は、どうも本気のご様子。
「あ、あの、ロキさんはどうやっても無理だと思うんですが……」
『問題ない。――北欧神話のロキが、どのような力を持っているかご存知かな?』
「?」
自信を伺わせる表情の後、彼の巨体を濃い霧が覆い始めた。
何かを隠そうとする異変。……この後の流れが少し読めて、俺は眉根を潜めていた。そりゃあ問題ないだろうな、とも。
そう、北欧神話のロキには変身能力がある。
だから彼は、女性に変身しようというのだろう。単なる性転換に留めるのか、あるいは種族もろとも切り替えるのか――
「……お、おお……お?」
晴れた霧の向こうに、俺は何とも言えない感想を向けていた。
身長は百七十センチぐらいだろうか? 突然現れた女性は、元の姿を示唆するような長身の持ち主である。
目つきも鋭く、下手な男性よりは雄々しい雰囲気があった。……オマケに容姿も整っている。近くにいる衛兵が見惚れているぐらいだ。
「ほ、本当にロキさんですか……?」
彼女? は俺の問いにコクリと頷く。
近付いてくる女性に、ますます衛兵たちは引き付けられていた。上下が一体化している貫頭衣を着ているのも原因だろう。スカートに該当する部分はかなり短めで、眩しい太ももが露出している。
……まあ中身が男だと考えると、興奮のこの字も出てこないが。
「――ちなみに声までは偽装できんので注意してくれ」
「そこまでやって声帯変わってないんですか!?」
「うむ」
俺が純粋な驚きを叩きつける一方、後ろでは一人の衛兵が相方によって慰めされている。……そういう趣向の持ち主なんだろうか?
「とにかく、これでロキさんは大丈夫そうですねえ……」
「うむ、我ながら完璧だ。次はミコト、お前の番だぞ」
「お、俺までやるんですか!?」
「当然だ。でなければ中に入ることが出来んのだからな。――人生、どんな経験が生きるかどうか分からん。遊びだと思って試してみるといい」
「いやいやいや!」
女装が活きることなんて、金輪際ありえない。いや、あって欲しくない。
……幸い、ロキはそれ以上詰め寄ってこなかった。俺が嫌なら嫌で、きちんと尊重してくれる方針らしい。
だが一方、彼女を一人で行かせるのは難しいだろう。何せ喋れないのだ。代わって意思疎通をする人物は、いた方がいいに決まってる。
「おい、何やってんだよボウズ!」
「あ、トールさ――って酒飲みまくってません?」
「おう、町の連中がくれたんでな。遠慮なく――おいっ、そこにいる美人は誰だよ!?」
悲惨なことに、トールは見窄らしい外見の美女へ釘づけになってしまった。
真実を知らずに頬を緩める戦神。一方でその
同情する視線が突き刺さる中、トールは興奮していく一方だった。
「くぅー! 酒と美女! 最っ高の組み合わせだな! 見たところ村娘っぽいが、あんな上玉とはなぁ! ボウズの知り合いか!?」
「……そうですね、知り合いですよ。トールさんも知ってる人です」
「はぁ? 俺はあんな美女しらねぇぞ。誰かが変装してるってんなら――わか、る、が?」
正解に近い情報を出した途端、トールの顔色が見る見るうちに青くなっていく。
本当に同情するしかない。――いっそ正解を黙っておくのも手かもしれないが、既にトールはがっちりと俺の肩を掴んでいた。
「ぼ、ボウズ、正直に言ってくれよ? あの女――」
「……まあ、ロキさんですよね」
「うおあああぁぁぁあああ!!」
頭を抱えて絶叫する彼。もちろん、ロキは面白がってその反応を眺めている。
「こ、このクソ野郎! 騙しやがったな!」
「騙すとは人聞きの悪い。お前が勝手に勘違いしただけのことだ」
「女に変身する時点で悪趣味だっつーの! ――ん? 待てよ? お前まさか、俺にもそれをやれとは言わねぇよな?」
「ふむ、気付いてしまったか……ミコト、捕えろ」
「いや自分でやってください」
触らぬ神に祟りなし。真面目な話、一苦労する相手なのは確かな筈だ。
俺の即答を聞いてトールは嘆き、ロキはすっかりやる気になって近付いてくる。――後ろでは早速、衛兵達が巻き込まれないよう避難を開始していた。
俺も逃げよう。トールが本気でミョルニルを振るったら、どれ程の威力が出るのか想像もつかない。
「ちっ、来い! ミョルニ――」
「遅い……!」
「ぐおっ!?」
雷の槌が来るよりも早く、女体化ロキの膝蹴りが炸裂する。
あとは一方的な展開だった。トールは組み伏せられ、口も強引に塞がれてしまっている。ミョルニルを呼び出せるような雰囲気ではない。
「諦めろ。お主の女装は書物により定められた運命だ」
「……」
どう反応すればいいのか困る宣言の中。
俺は、改めて逃げることにした。
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