第82話 蛇の名残り Ⅱ
「――そうだトールさん、一ついいですか?」
「おう、なんだ宿敵候補」
「貴方の目的は何です? このまま行くと、帝国側に肩入れすることになると思うんですけど?」
「そうなるなぁ。――でも俺の目的は、前に話したここと変わんねぇぞ」
「……強い敵と戦いたい、と?」
「おうよ。ヨルムンガンドのやつだってその範疇だ。俺の身体がどうなろうが、戦う快楽には代えらんねぇな」
「例え死ぬとしても、ですか?」
「――」
階段を上り切ったトールは、ピタリと動きを止めていた。……雑談を交わせる程度に緩まっていた空気が、徐々に徐々に凍っていく。
しかし。
「くく……」
振り向いた彼は、これでもかとばかりに破顔していた。
「っ――はは、ははははっ!! ボウズ、そんなこと気にしてんのか!? ナンセンスってやつだぜ! ははは!」
「そ、そこまで笑わなくていいですから。……でも、そんなにおかしいですか? だって――」
「俺が、北欧神話の中で死ぬからだろ?」
「――」
核心的な単語まで出てきて、俺は口を塞がれた気分だった。
トールは一通り爆笑した後、そうだなぁ、と前置きを作る。
「確かに古文書にある神話の一つ、北欧神話の中で戦神トールは死ぬ。……俺はそれを模した存在だし、ヨルムンガンドのやつもいるから避けるのは難しいだろ」
「……でもトールさんは、気にしてないんですよね?」
「ああ、別に死ぬなんて、生き物として当たり前のことだしなぁ。――ボウズは怖いのか? 死ぬのが」
「……好意的に受け止める自信はないです。一度も経験したことないですし」
「経験したからって、受け止められるわけじゃねぇと思うがな。そりゃあ単に感性が麻痺ってるだけだろ」
「――まあ、確かに」
だろ? と確認を取りながら、トールは止まった足を動かし始めた。
俺達が目指すのは、東京タワーらしき建物の方。地下空間の象徴的な場所へ、踵を揃えて歩いていく。
「――俺が死を忌避しない理由はな、さっき言った通りだ。生き物として当たり前のことだからさ」
「後悔とか感じるだろうな、って思わないんですか?」
「思わなねぇよ? いつだって俺ぁ、やりたいようにやってきた。――例え神の模倣品だろうと、それをやりてぇ、って思う俺は確かに存在する。だから後悔なんてしねぇし、しねぇように生きてきた」
「……でもそれは、不自由の中で、じゃないですか?」
「――」
明確な嫌悪感を込めて、俺はトールに言い返してしまった。
……本当、何を言ってるんだろう。彼の思想を否定しなければならない理由なんて、俺には無い筈だ。
トールがそう考えているなら、それで済む話。
――にも関わらず否定的な意見を述べてしまったのは、自分の価値観と反していそうな気がしたからだろう。
「なるほどなぁ」
一瞬だけ気難しい顔をしたトールだが、やはり根本には笑みがある。
そこで俺は、噛みついた無意味を自覚した。
「でもよボウズ、人間に自由意思なんてあると思うか?」
「――」
「俺はそんなもん、子供だましの戯言にしか聞こえねぇ。だってそうだろ? 生きるってことは、自分を縛り付ける要素を増やすだけだ。不自由になるのが人生なんだよ」
「……じゃあトールさんは――」
「ああ、そいつは楽しいことだって思ってるぜ?」
迷いのない告白。
誰よりも強靭な人間を目の前にしていると、俺はようやく自覚した。
「どれだけ足掻いても生き物は不自由だ。――けどな、だから俺達には足掻く選択肢がある。自由になりてぇって願う理念がある」
「……叶うことが、出来なくても?」
「ああ。いや、逆説的に考えてみろよ? 届きそうで届かない敵が、俺達の前にずっといてくれるんだぜ? これほど張り合いのある相手はいねぇよ」
「は、張り合い、ですか」
「おう、戦いさ。命を張って、俺の運命に戦いを挑むんだよ」
「――」
横から見える戦神の顔は、不敵な笑みを零すだけで。
ちょっとばかり、意地の悪いことを言ってやりたくなる。
「でもそれだったら、ヨルムンガンドから逃げるべきじゃないですか?」
「おお、こりゃあ一本取られたな。……でもまあ、そりゃあ俺とボウズの価値観の違いってやつだろ。俺は逃げたら、連中が嘲笑うと思ってんだから」
「連中……」
「俺を作り出した、全能時代の奴らのことだなぁ」
「……」
今のはまるで、トールが生物の範疇から外れているような言い草だ。
いや、ひょっとしたら本当にそうなのかもしれない。少なくとも、これまでの会話で確かに感じ取れるものがあった。
「……貴方は、何者なんですか?」
「ま、覚えてる範囲で言っちまえば……戦神って機能を植え付けられたロボットだよ。――あ、ロボットって分かるか? いや、俺の場合はアンドロイドか? とにかく騎動殻みてぇなやつなんだが」
「大体のところは。……でもその、覚えてない範囲って具体的にどの辺りなんですか? 作られた直後とか?」
「多分そうだな。忘れてるもんだから断定はできねぇけど……っと、ボウズ、ここだ」
赤い塔の足元。何やら台座のようなものが置かれている。
台座には細い窪みがあった。――丁度、一本の槍を嵌められるぐらいの大きさである。
「ここに神器を出して埋め込め。そうすりゃあ力が解放される」
「わ、分かりました」
敵の言葉なんだけど、俺は素直に従って神器を出した。
――台座に近付く直前、改めて塔を見上げてみる。ゾッとするぐらいに赤い、巨大な電波塔を。
何気なく周囲を見回してみるが、俺の前にある塔より高い建物は存在しない。皆、ソレを崇めるように頂点を譲っている。
……なんだか、それが一番大きな違和感だった。作られた意図に違いを感じるというか。
「――さて」
正式な名前も知らない神器を手に、怖いぐらいピッタリな窪みへと嵌め込む。
直後だった。
目の前にある風景が、一変したのは。
「!?」
突然の出来事に目を見開くしかない。
――一面の荒野。特徴らしい特徴もなく、ただ無人の大地だけが続いている。
近代的な都市の風景は、名残すら存在していなかった。
『よくも……!』
声は背後から響く。
振り返ってみれば、一人の少女と大蛇が向き合っていた。――当然、友好的な雰囲気ではない。少女の方は弓矢を構え、大蛇の方も牙と敵意を剥き出している。
『よくも……母上を!』
少女の放った矢は、大蛇の頭蓋を貫通し――
そこで、風景は元に戻っていた。
「……」
「どうだ? なんか見えたか?」
「ええ、まあ……」
突然の変化をどう受け止めれば分からないまま、俺は窪みに嵌ったままの神器を見下ろす。
特に変わった部分はない。力を手に入れたのかどうかも、見ているだけでは分からなかった。
「――何だったんですか? さっきの」
「神器に記録されてる過去だよ。初代の使い手――まあ俺みてぇなアンドロイドだな。その記憶が入ってる。――ほら、柄のところに古代文字が入ってるだろ」
「……」
アポロン。
柄には日本語でそう書かれていた。ギリシャ神話における文化の神であり、青年の理想像。後世では太陽神とも扱われる、オリュンポス十二神が一柱。
……確かに、彼には大蛇を殺すエピソードがある。すると俺が見た光景は、その真っ只中に当て嵌まるのだろうか?
いや違う、弓矢を構えていたのは少女だった。アポロンはきちんとした男性神で、女性に変身するようなエピソードもない。
むしろあの、どこかで見たような顔は――
「おい、ミコトー!」
感慨に耽っていると、焦った様子のルキナが叫んでいる。
俺はアポロンと刻まれた神器を回収し、トールを横切って皇女の元へ。……息を切らして走ってくる辺り、問題が起こっているのは明白だ。
ルキナは俺の前に来ると、両手を膝についてこう言った。
「カンナとかいう小娘が逃げ出したぞ!」
「え」
何考えてんだアイツ、と後悔したところで後の祭り。
俺はルキナに引かれて、地上への道を戻り始めた。
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