第80話 大蛇の名前
「……」
「建物から伸びている看板、あそこに記されているのはすべて古代文字ですかね……? なんだか、華やかな印象を受けます」
イダメアの感想もどこ吹く風。進むたび明らかになる都市の構図へ、俺は疑問しか感じなかった。
ここは俺が生きていた時代――2010年代の都会そのものである。あえて違いを述べるのだとしたら、有人か無人かぐらいだろう。
車は通っていない。人も歩いていない。
信号機は三色のいずれも点灯せず、完全に停止している。
建物が劣化していないことを覗けば、ここは廃虚と呼んで構わないぐらいに死んでいた。
「? ミコトさん、どうかしましたか?」
「いや、その……ここ、俺の故郷と似てるみたいなんだ」
「ミコトさんの――? し、しかしこことは違う異世界ですよね? 同じものがあるとは思えませんが……」
「だよなあ……」
しかし、誤魔化すにしては似過ぎている。
加えて奥の方、何か赤い塔のようなものが見えていた。……東京タワーじゃないか? アレ。
「でも少し違うような……」
明確な違和感があるわけではない。本当に、うん? と首を傾げたくなるぐらいの、小さな違いがある――ような気がする。
「ミコトさん、とにかく調査を続けましょう。この空間が何なのか、証明する鍵があるかもしれませんし」
「……そうだな。考えてばっかりじゃ何も始めらな――」
途端。
鼓膜の奥にまで、都市そのものが鳴らす警報音が聞こえてきた。
「な、なんですか!?」
「――そりゃあ、帰って下さいってお知らせだろ」
「では……」
敵が来る。
耳を塞ぎたくなるぐらいの大音響が聞こえる中、俺は神器の用意を整えた。周囲の空間が点々と歪み、槍が射出される用意を整える。
「ヘカテ? ヘカテ!」
『――』
一方、精霊の声は聞こえない。
機能そのものまでは失われていないようだが、ここまで異変が続くと心配になる。……イダメアの超一自我といい、この都市といい、予想外の出来事に遭遇してばっかりだ。
まあ人生、予想通りに進むことの方が少ないんだろうけど。
「――」
足音は複数、しかもそれなりの大きさが響いている。
「イダメア、建物中に入ってろ! 片付けて直ぐに追いかける!」
「りょ、了解です!」
彼女は直ぐに近くのビルへと走り出す。――もちろん、騎動殻は見過ごそうとしなかった。
その手にある巨大な小銃が、機械的な動きでイダメアを睨む。
故に、
「邪魔すんな……!」
神器をぶち込み、破壊した。
その間、イダメアは自動ドアを潜って建物の中へ。他の騎動殻が急いで小銃を構えるが、コンクリートを穿つだけで終わった。
――その分、俺への反応は鈍くなる。
先手必勝、前の三機はスクラップだ……!
「っ――」
テンポ良く快音を響かせたところで、俺は即座に踵を返す。増援が来る可能性も否定できないのだから、後ろの三機にも時間はかけられない。
しかし先制権は彼らのもの。
人体を撃つのではなく、消し飛ばすような弾丸が飛来する……!
「ふ――」
対策は力任せに。精霊の力で、音速を超えて駆動する。
騎動殻との距離も、詰まるまでは一瞬だった。
「邪魔すんな、人形……!」
避けて、打って、切り落とす。
縦横無尽に動く視界、強引にまき散らされる金属片。彼我の乖離が短くなるのに合わせて、攻防の激しさが増していく。
――即ち、敵に与えられた時間も劇的に短くなる。
「一機……!」
断裂する騎動殻の装甲。心臓部に突き刺さる神器はまさに墓標だ。
――増援が見える。残る二機の向こうに、追加の騎動殻が控えている。
死に急いでいるようにしか、見えなかった。
「……!」
破砕は途切れない。最短の手順で蹴散らし、増加のペースを上回って粉砕する。
五分にも満たない戦闘時間。
戦場は、あっさりと制圧された。
「――終りか」
追加の騎動殻は見えない。サイレンも消えており、入った当初と同じ閑静な空気が戻ってくる。
「ミコトさん!」
「ああイダメア。怪我ないか?」
「はい、問題ありません。ミコトさんの方こそ、お疲れ――」
「……」
口元に人差し指を立てる身ぶりで、イダメアに考えを伝える。
感謝を途中で途切れさせた彼女の代わりに、聞こえてきたのは無数の足音。先ほどの騒ぎでこちらの存在に勘付いているらしく、急速に大きくなっていく。
「どなたでしょう……? あまり良い予感はしませんが」
「案外、イダメアの同業者かもしれないぞ?」
「都合が良すぎます。――とにかく、一旦隠れましょう。ここは様子を見るべきです」
興奮は脳の片隅に追いやったらしく、イダメアはしごく冷静に判断した。
もちろん拒否する理由はない。揃ってガラス張りのドアを潜り、大通りから姿を隠す。
――足音は入れ違うようなタイミングでやってきた。赤い制服は帝国軍のソレ。胸に施された刺繍も、一瞬だが見逃さない。
近衛隊だ。
「……止せ、下手に騒ぐな」
「しかし――!」
妙に落ち着いたマルクの顔も、隠れた場所からよく見える。
どうも部下達と一緒に訪れていたらしい。……剣を構えている彼は完全に戦闘態勢で、窘められた今も辺りを警戒している。
「この場所が皇帝側に知れれば、我々の優位は無くなります! 侵入者は確実に――」
「そう急かすな。……既に計画は最終段階に入っている。ヨルムンガンドの起動は確実だし、今さら奴らに止めることは出来ないよ」
「ですが隊長――」
「声を少し抑えたまえ。僕らは勝者らしく、堂々としていればいいのさ」
「……はい」
言うと、マルクの部下達は剣を納める。
その後、本当に彼らは帰ってしまった。罠を張っているような雰囲気さえない。――ただ、俺達がいるビルの中を一瞥したぐらい。
「……ミコトさん、ヨルムンガンド、という言葉に聞き覚えは?」
「あるよ。魔獣の名前だ」
別名、ミッドガルド蛇。北欧神話に登場する大蛇で、世界を囲うほどの巨体を持っているとされる。
……平時こそ脅威となることはないが、世界の終りが近付いた時には地上へ攻撃を開始するらしい。津波を起こし、神さえも殺す強烈な毒を有しているとか。
「――トールさんと因縁のある魔獣でな。あの人……っていうか戦神トールは、古文書に記された物語でヨルムンガンドと相打ちする」
「では彼を倒すために、近衛隊はその魔獣を?」
「かもしれないけど……それだけの単純な理由じゃないだろうな。随分前から計画を進めてるような喋り方だし」
ひとまず皇女ルキナに話を通しておくべきだ。他にも様々な理由から、この地下空間は調べなければならないだろうし。
「――とりあえずまあ、サクッと情報も掴んだことだし。追いかけてみる」
「はい。お気をつけて」
俺は間髪いれず頷いて、建物の外に飛び出した。
全速力で彼らが向かった方向に進んでみるが、そこで思わぬ妨害が入った。――鳴り止んだ筈の警報が、再び地下空間に響いたのである。
都市の隅で新たに出撃する騎動殻達。……マルクのことも狙ってくれるなら御の字だが、果たして都合よくいくかどうか。
「……イダメアを脱出させる方が先だな」
ここはあまりにも未知の世界だ。彼女の気が済むまで調査に付き合ってやりたいが、やはり最低限の安全は確保するべきだと思う。
――臆病なのか、念入りなのか。
自分がどちらに属する人間か分からないまま、俺は婚約者の元へ戻ることにした。
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