第78話 地下世界 Ⅰ

 イダメアが倒れてから、数時間後。


 再びトールがやってくるようなこともなく、俺は暇を持て余していた。

 といっても、やることがないわけではない。アントニウス邸には広い書斎があって、帝国で発行された本の大半が収められている。


 なんでもイダメアの祖父――つまりアントニウスの父が、かなりの読書家だったとか。

 ……まあ、俺には帝国の言葉なんて、まだほとんど分からないわけで。


「やっぱり無いか……」


 探すのは必然的に、故郷・日本の言葉で記された『古文書』に限られる。

 ――かなり古い本も収められてはいたが、やはり帝国の言語だった。興味本位で覗いて見ても内容はチンプンカンプンで、十秒と持たず棚に戻す。


「……でも、早く読めるようにならないとな。生活が不便すぎる」


 さっきだって、料理を注文する時に一手間かかってしまった。周りの貴族達から奇異の目で見られもしたし、対策は急務だろう。

 さすがに今日は無理だとして、明日からは改めて――


「?」


 不意に、書斎の扉が開いていた。

 黄昏色に染まる廊下。そこには金髪の少女イダメアが立っていて、無言で俺のことを見つめている。


 体調はどうなのか――思い浮かぶ第一声はそれだけだった。夕日でオレンジ色に染まっているせいで、ここからは顔色が確認しづらいし。


「イダメア――」


「……」


 簡単な呼びかけに応じず、彼女は大股で部屋へと入っていく。

 扉が閉まったところで、いつも通りの顔色と表情が確認できた。――が、近付いてくるにつれて、俺と視線を合わせなくなる。


 あげく横を通り過ぎて、イダメアは書斎の奥へと向かっていった。


「お、おい! イダメア!」


「――」


 名前を呼んでみても、反応はまったくなし。

 ……一体、彼女に何が起こっているんだろう? 本人の意思を感じられないということは、超一自我の影響か?


 ともあれ放っておくわけにはいかない。案外としっかりした足取りの彼女を、俺はすかさず追いかける。


「……な、なあ、どうしたんだ? 本を探してるなら、俺も手伝うぞ?」


「――」


 やはり無意味。ためしに肩を掴んでみても、強引に振り解かれて終わった。

 なので予定通り、俺はイダメアを追いかけていく。今は目を放さないようにするのが一番大切だろうし。


「ここは……?」


 彼女は、書斎の隅にある棚の前で止まった。

 そのまま棚に触れると、小さな声で一言ささやく。もちろん俺にではなく、手を当てた本棚に向かって。


 直後だった。


「な――」


 それなりの重量を持っている棚が、独りでに動いていく。

 魔術でも使ったんだろうか? どう考えても、少女の細腕で動かせる代物ではない。大人だって一人では難しいだろう。


 機能的な動き。棚は奥に身を引いてから、ゆっくりと横の壁に入り込んでいく。

 ――そうして俺とイダメアの前には、石造りの通路だけが残された。


「――あれ? 私……」


「い、イダメア? 大丈夫か?」


「はい……って、何ですかこの通路!? うおお、古代の匂いを感じますよ!」


「あ、ああ」


 握り拳を作って吠える美少女。――うん、いつも通りで何よりだ。

 お陰で即座に手を掴まれ、謎の通路へと引っ張られる。


「こうしてはいられません! さあミコトさん、調査開始です!」


「い、いいのか? 勝手に入って……」


「何を仰いますか、ここは祖父の書斎でしょう? 父もここはほとんど使っていませんし、勝手に入って問題ありません! さあ!」


「……」


 その理論はどうかと思うが、確かに興味は湧いている。いかにも、な感じで姿を現した通路だし。


 イダメアは一人で行こうとしない。必死に俺の手を引っ張って、駄々をこねる子供みたいだ。


「分かった、分かった。そんなに焦るなって」


 保護者みたいな返答の後、イダメアと歩調を合わせることにする。

 ……当然ながら、通路は直ぐに暗くなった。外に面している窓は一つもなく、それどころか地下に続いている階段がある。


 壁に取り付けられた欄干の手前には、カンテラらしき代物が一つ。


「マナ・プレートが入ってるやつか?」


「恐らくは。えっと――」


 手慣れた動作で、イダメアは足元を照らしだす。これで安心して降りることが出来そうだ。

 しかしゴールまでは見渡せず、俺達は一歩一歩確かめるように降りていく。


「結構、急ですね……」


「だな。――屋敷の地下って、何があるんだ?」


「分かりません。帝都の地下には、遺跡があるという噂ですが……」


「う、噂? 確定してないのか?」


「はい。全能時代の産物が稀に出土するのですが……大きな発見はまだ報告されていません。そもそも、出てきた品が全能時代の物か、証明されておらず……」


「――なるほど、そりゃあ気になるな」


「ですよね!?」


 狭い階段の上で、イダメアは目と鼻の先まで詰め寄ってくる。

 危うくバランスを崩しそうになるが、手摺を掴んでどうにか耐えた。――視界の隅には底の分からない闇。落ちていたらと思うと鳥肌が立つ。


「い、イダメア、落ち着いて進もう。気持ちは分かるが、怪我なんてしたら調査どころじゃなくなるぞ」


「そ、それもそうですね。……すみません、一人で勝手にはしゃいで」


「気にするなって」


 彼女にはよく使う和解の言葉。軽く笑ってみせてから、俺は先に階段を下りていく。


 しかし何段、何十段と降りても、カンテラの光は底を照らさない。――ふと振り返れば地上の光はなく、手元の明かりが全てとなっていた。


「……早く平らなところを歩きたいな」


「もう少し我慢してください。世紀の大発見が待っているかもしれませんよ!」


「だといいけどな……」


 あまり長々と潜っているのも宜しくない。下手をすると、俺とイダメアが行方不明になった、なんて屋敷で騒がれるんじゃなかろうか?


 ……昇ることを考えると憂鬱になる。降りる時より絶対疲れるだろう、これ。


「? ミコトさん?」


「どうした?」


「今何か、喋りませんでしたか?」


「いや? 独り言だって口にしてない――」


 直後に、音が鳴る。

 厳密には、何かがひび割れてく。

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