第77話 部屋での告白 Ⅱ

 時間が経つにつれて、頭の中は雑念で埋め尽くされていった。

 そもそも年頃の女性の部屋へ入っているだけで、俺にとっては異常事態である。冷静に彼女の人間性を測るなど出来るわけがない。


 ――かといって、イダメアの方から話を振ってくれるわけでもなく。


「話のネタが思い浮かばんな……」


 彼女へも聞こえない小さな声で、愚痴を零すしかなくなっていた。

 ……そりゃあ一つも聞きたいことがないわけじゃない。俺にとって、一番重要な謎が未解明のままだ。


 でもここで尋ねるのは、気が引けるというか、何というか。


「ミコトさん?」


「――」


 真っ直ぐな視線は、少しずつ逃げ道を断っていく。

 ああもう、いっそ聞いてしまうべきだろうか? 平時も二人で行動することは多いが、何かしらの用事に振り回されている場合がほとんどだし。

 

 何より、気分は今そっちに傾いている。――この機会を逃せば、次にノリと勢いが味方してくれるのはいつになるか。


「何か、お尋ねしたいことでも?」


「……」


 ちょっとした、最後通告。

 俺は意を決して、大きく息を吸い込んだ。


「な、なあ、イダメアに一つ聞きたいんだけど」


「はい。なんでしょうか?」


「ど、どうして、俺と婚約なんて話、受ける気になったんだ?」


「――は? い、今なんと?」


「いやだから、俺とどうして婚約する気になったのかと」


「――」


 硬直したイダメアは、みるみる顔を赤くしていく。……ベッドに入っている所為で、高熱を出しているように見えなくもない。


 本気で熱を測るべきじゃないかと心配になって、つい手を伸ばす。

 が、イダメアは飛び退くように回避――実際に布団の中から飛び出して、壁へ大の字になって張り付いていた。


「い、イダメア? 大丈夫か?」


「わ、私は冷静です。え、ええええ、れ、冷静ですとも!?」


 まるで説得力がありません。

 ともあれ、こちらから手を出すのは失策らしい。彼女から言い出すのを辛抱強く待った方が良さそうだ。


「え、ええっと、私がミコトさんを好いている理由、ですか?」


「そこまでは聞いてないけど……まあ、そんな感じで」


「……」


 自称した冷静を完全に捨て去って、彼女は視線を左右に泳がせていた。

 いたずらがバレた子供のような慌てっぷりで、見ている側としては可愛いの一言に尽きる。出来ることなら、もっとからかいたいぐらいだ。


 しかし、俺の性格では現状維持が良いところ。希望通りに事を進めるには、もう少し帝国人の気質に影響を受ける必要がありそうだ。


「……ど、どうしても答えないといけませんか……?」


「か、可能ならで良いぞ? 強要しようとは思わないし」


「――わ、分かりました、話します」


 未だに頬を染めたまま、イダメアは深呼吸しながら壁から離れる。……女性らしい胸元が上下して、嫌がおうにも視線を引き付けた。


 しかし、これからは真面目な話をするわけであって。性欲に振り回されている場合じゃない。

 落ち着こうとするイダメアに習って、俺も深呼吸に努めることとする。


「――では、宜しいでしょうか?」


「あ、ああ」


「め、明確な理由、と言われても難しいのですが……その、妙な安心感があった、と言いますか」


「あ、安心感?」


「はい。――私の父は、帝国を代表する貴族の一人です。私に声をかける男性は、皆その地位を前提としていました。……私のことなど、見てはいなかったのです」


「……」


「でもミコトさんは、どこか違うような感じがありまして。……この人となら上手くやっていけるかな、と思いまして」


「――」


 それは、孤独の告白。

 アントニウスの娘として生まれた時点で、彼女は一つの色眼鏡で見られていた。権力への架け橋、あるいは道具として。


 にも関わらず、彼女は俺を信用してくれている。……それは本当に贅沢で、こっちが感謝したくなるぐらいの告白だ。


 俺だって、彼女を欲望の目で見ることはあるのに。


「あ、あの、じゃあこちらかもいいですか?」


「う、うん?」


 先が予想できそうなこの流れ。

 断るべきじゃないかと臆病になるが――まあ、いつかは口にしなければならないコト。ここらで腹をくくった方が良いに決まってる。


「み、ミコトさんはどうして、父からの提案を受ける気になったんですか?」


「――」


 やっぱり来た。

 さあ答えるぞ――と意気込んでいても、やっぱり怯みはする。そもそも彼女と知り合って、俺は一月程度なわけで。惚れた理由を説明しろと言われても、イダメアほど立派には語れない。


 でも言わなけりゃ、間違いなく彼女からの評価は下がる。


「……」


 予防線も何も用意しない。ただ、本音をぶつけるだけ。

 大きく息を吸って、俺は改めてイダメアを見つめる。


「……その、凄く綺麗だと思ったんだ。牢屋の中にいちゃいけない、って」


「――王国に捕まっていた時のことですか?」


「ああ。だから、まあ……一目惚れ、って言えばそうなのかな。自分の意思で、助けてやりたくてしょうがなくてさ」


「……そうですか。でしたらここは、ありがとうございます、と言わせて頂きますね」


「な、なんでだ?」


「簡単なことですよ。私と貴方は、同じ目標を見ている……これはとても、幸せなことだと思います」


 ……褒めてくれているのは分かるが、肝心の理由が分からず俺は首を傾げていた。

 それを察して、イダメアは前置きを作って語り出す。


「私は、自分の意思で生きようとする人間に好感を覚えます。――ですが、それは簡単なことではありません。私達を拘束する要素は、あまりにも多い」


「た、例えば?」


「過去、家族、教育、国……私達に影響を与えているすべてが、私達を拘束している存在です。そこから離れて自由になるなど、まず不可能なことでしょう」


「……」


 確かに、生きる上で無意識な拘束を与えてくるモノは多い。彼女が上げた要素は代表的なものだろう。


 鎖を断ち切るのはそれこそ不可能だ。どんな人間だって、社会に属して生きなければならない。たった一人で生に必要なすべてを賄える者なんて、ごく少数の例外だろう。


 ――仮に叶えたところで、その人間は生きることで精いっぱいになる。


「ミコトさんは、どうして私を救って下さったんですか? さきほど上げた理由の他にも、いくつかあるのではありませんか?」


「……そりゃあまあ、王国の環境に甘んじてるのが情けないとか、色々あったぞ」


「でしたら私とミコトさんは、同じ目標を見ること出来ていると思います。……私も、貴族の娘という地位に甘んじるのは嫌ですから」


「――」


「な、なんて、済みません。変なこと言って」


「い、いやいや、勉強になったぞ」


 そうですか? とイダメアは自信なさげな視線を向けてくる。

 だから俺に出来るのは、思いっきり頷いてやることだけだ。


 ……正直、彼女の理念と自分の考えが一致している確信はない。俺はそこまで考えていないし、ただ自分に嫌悪感を感じていただけなのだから。


 でもイダメアは、真剣な期待を込めて言っているんだろう。

 ……なら、努力は今からでも遅くない。彼女が求めているような人間性を、どこかで手に入れるために。


「――な、なんだか、凄いこと話しちゃいましたね。まるで告白みたいです……」


「そ、そうだな」


 改めて言われると、一気に顔へ熱が上ってくる。

 イダメアの方も同じらしく、少し俯いて手足をモジモジさせていた。こちらと視線が合いそうになると、急に逸らして同じことの繰り返しだ。


 ……一旦、席を外すことにしよう。少し曖昧な形ではあるけれど――イダメアとはまあ、気持ちが通じているらしい。


「そ、それじゃあな? ゆっくり休めよ?」


「は、はいっ」


 金色の長髪を大きく揺らして、彼女は恭しくお辞儀をする。

 ――廊下に出た直後。


「……はあ、良かった良かった……」


 胸一杯に、安堵感が広がっていた。

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