第74話 近衛隊の男
「じ、自分はやっていないであります! 皇女殿下が見たのは、自分の変装をした偽物でありますー!」
などと。
元気に反論するカンナは、屈強な男達に連行されていた。見たところも外傷はないようで、とりあえずは安心していいんだろう。
問題はこの後。彼女に掛った疑惑を、どうやって晴らすべきか。
「おお、ミコト!」
考えを巡らせようとした矢先、こちらも元気そうな声で呼びかけてくる。
「皇女殿下……」
「ルキナで良い。……しかし驚いたぞ、妾が
「そ、そうですか……でも捕まってる子、本当に犯人なんですか?」
「顔は見ているからな、間違いない。あとマサユキとか名乗っていた男も一緒だったぞ。――まあ女の声は聞いておらんのでな、双子の片割れという可能性もあるが」
「い、いやまさか――」
脳裏を過ぎったのは、幻術という単語。
王国の魔術にはそこまで明るくないが、幻術が勘違いも元になっている場合もあるのではないか? ルキナも、女の声は聞いていない、と気になる情報を出してきたし。
「……あの、彼女ってこれからどうなるんですか?」
「妾を攫ったのだ、首を刎ねて終わりであろう。まあその前に、吐き出すべき情報を吐いてもらうことになるだろうが」
「……あの、どうにかなりませんか? 殺すよりも仲間として引き込んだ方が、有益だと思うんです。彼女、魔術師としてそれなりに優秀ですし」
「無理だ。奴らが動いた以上、妾もそこまで口を挟むことは出来ん」
「や、やつら?」
「近衛隊のことだ」
指名には批難か、諦観が込められていた。
幸いにも当の隊員達へは聞こえず、粛々と作業が続行されていく。カンナの抵抗も徐々に弱くなっていた。
「あまり大きな声では言えんが……近衛隊は政治的な影響力が強い。機嫌を窺いつつ行動しなければ、皇帝と言えど立場が危うくなる」
「そ、そんなに……」
「しかも今回、捕らえたのは敵国の関係者。皇女誘拐などという大罪を犯している以上、無罪放免は不可能だな。まあ奴隷に落として、無茶な労働をさせるのであれば話は別だが……」
「それは農奴、とかですか?」
「いや、魔術師であれば他の労働になる。――コロッセオで戦ってもらうのだ」
「コロッセオ……?」
闘技場、ということか? あの古代ローマの。
こちらの疑問を知らず、ルキナは大きく頷いている。……ほんのりと赤みの差した笑みが恐ろしい。
「くく、血沸き肉躍る殺し合い……まさに人間の極致よな。人とは傲慢で残虐でなければならん。技能と理性を両立させた者達の極限、妾は愛しておるぞ……!」
「あ、あの、皇女殿下?」
「ん? ――おお、すまんな。また自分の世界に入り込んでしまった。許せ」
「い、いえ、楽しそうでしたので結構です?」
そうか? と首を傾げるルキナは、誰もが認める美少女そのままだった。
――しかし、もう少し前の皇女は違う。傲慢で残虐な、暴力で国を統べる暗君にさえ見えてしまった。
それは批難するべきなのか、あるいは肯定するべきか。
少なくとも周囲にいる近衛隊の人達は、ルキナの独り言を聞いて呆気に取られている様子はない。親しげに笑みを浮かべているだけだ。
ならこれが、帝国における高貴の意味なのか。
「? どうした、ミコト」
「あ、ああ、いえ。別になんでもありませんよ」
「今ものすごく悩んでいた顔をしていたが……よし、妾が聞いてやろう。
「――凄く失礼こと聞くかもしれませんけど、宜しいですか?」
「許す。何事も経験は重要だぞ? さあ、どんなことでも――」
「なりませんっ!」
誰かの一言で、辺りの空気が張り詰める。
といっても原因はルキナ一人だ。俺に向けていた親しげな眼差しを、失望と苛立ちに逆転させている。
敵意を込めて睨むのは、人の波を掻き分けて走る一人の青年だった。
恐らくは近衛隊の所属なんだろう。これまで見た隊員達と同じ赤い外套に、所属を示す刺繍が施されている。
「なりまzせん皇女殿下。この者は王国と通じている可能性がある。殿下を攫った下手人ともども、牢へ叩き込んでおくべきでしょう」
「マルコ……貴様はまた、器の狭いことを言うのだな」
「はい。何しろ両親は、一介の貴族に過ぎないものですから。――ともあれ殿下、この男は連れて行きます。洗いざらい情報を吐いてもらわなければ」
「……」
マルコと呼ばれた青年の台詞を、ルキナは眉を痙攣させながら聞いていた。……引きつった表情が見事に本音を吐露している。
しかしマルコは気付かず、いたって真剣な表情で自論を吐き続けた。
「殿下は皇帝陛下の大切な一人娘。どこの馬の骨とも知れぬ輩と、付き合う必要はございません。さあ、今すぐ宮殿に御戻りください」
「断る」
「し、しかし――」
「妾は近衛隊の者達を尊重しておるが、かといって傀儡ではない。譲れない一線は持っている」
「……この者達は賊です。殿下のお傍に置いておくことは出来ません」
「だが、放っておけば仕事は増えるぞ? 喜べマルコ」
「――」
青年の眉根に、少しずつ皺が出来ていく。
ルキナはしてやったり、と口元を緩めるだけだ。……俺もそこに同調したいところだが、マルコの反応も気になってくる。
皇帝ですら近衛隊は無視できない――そう彼女は言ったのだ。
軽い批判を出すことが、彼らの逆鱗に触れない保証はない。
「……では皇女殿下。この賊共は、一体どうするべきだとお考えです?」
「女の方はコロッセオに出す。国王側近の魔術師となれば、さぞ面白い光景を見ることが出来よう。……文句はあるか?」
「――ではこの少年については、いかがなさるおつもりで?」
「何もせぬ。妾の救出に尽力してくれたのは、他の隊員も証言していること。強大な敵と戦ったとも聞いている。何を罰しろというのだ?」
「ですから、疑いが――」
「くどい。早くその女を連れて行け、マルス」
「……」
彼に返答はなかった。無言で礼をして、その場を足早に去っていく。
カンナの方も似たようなものだった。……助けてくれと叫ぶものの、俺はルキナに掴まれて動けない。
「気にするな。コロッセオで活躍すれば、自由を手にすることも出来る。マルコも文句は言わんだろうよ」
「だといいんですが……」
ときおり向けられる敵意に、俺は肝を冷やすことしか出来ない。
ただ、ここで強引に彼女を助け出すことが得策かと言えば――違うだろう。アントニウスやイダメアに迷惑が掛り、助けてくれそうな人は手を差し伸べることが難しくなる。
だから、事は慎重に。
細工をする時間も、調べる時間もある筈だ。……マルコの目的はカンナを殺すことではなく、俺の方が本命なんだろうし。
人質として使えそうな彼女を、そう簡単に手放す――わけがないと信じておこう。
「む、晴れてきたか……」
「あ、本当ですね」
空は一転、雲ひとつない青空に。
町を染めた雨粒が宝石に見えるほど、太陽の光は眩しかった。
「――ははっ、やっぱ曇り空なんてつまんねえよな。飯と酒がまずくなっちまうぜ」
「……」
聞いたことのない、男の声。
その方向へ振り向くと、立っていたのは赤髪の巨漢だった。手には大きなジョッキが一つ。酒は並々と注がれている。
――こちらに近づいてくる巨漢の足運びに、隙はない。例え死角から暴漢が襲いかかって来ても、簡単にいなしてしまうだろう。
まあ圧力のある人相だ。そんじょそこらの男じゃ、彼に突っ掛かりはしないと思うけど。
「む、誰だ貴様」
ルキナは物怖じせず、赤髪の彼と向き合った。
彼は一気にジョッキの中身を飲み干すと、短く前置きを作って言う。
「北神連盟が一、戦神トールだ。――ま、仲良くしてくれよ?」
宣戦布告なのか、単に遊びに来ただけか。
凍りついた空気の中で、警戒心だけが生きていた。
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