第72話 談話の食堂

「ふむ、王国人との協力、か……」


 皇女ルキナのちょっとした家宅侵入罪から、数時間後。


 アントニウスの仕事場――帝国議会の近くにある食堂で、俺達は昼食を取っていた。……周囲には議会で働いている貴族も多く、彼らと話をしている市民も多数いる。


 食堂では、政治に関する情報の交換も盛んだった。西にある町が飢えで苦しんでいるとか、王国からの亡命者が反帝国組織を作ろうとしているとか。


 物騒な話題があれば、比較的平和な話題もあった。……帝国という国家の規模を知るには、いい場所かもしれない。


「ちょうど先ほど、議会でその話題が出た。一部の貴族は、反乱軍への協力に好意的でな、私も判断に迷っているところだよ」


「……お父様は反対ではないのですか? 皇帝陛下も反対しそうですし……」


「うむ、その通りではあるな。――しかし今回は、少々事情が入り組んでいる。反乱軍が拠点としている地の周辺で、帝国に対する不穏な動きがある」


「それは、彼らが帝国へ攻め入ろうとしていると……?」


「いや。近年帝国に併合された、ルーンの民が反乱を起こそうとしているのだよ」


「ルーンの方々が……」


 イダメアは納得して、パンを掴んでいた手を下してしまった。

 親子の向かい側に座る俺は、完全に置いてけぼりを食らっている。……ある程度の想像こそ出来るが、それで話に割り込んでいいかは別だろう。


 なので有り難いことに、イダメアは説明を始めてくれた。


「先代の皇帝が統治していたことです。帝国北部にある民族との争いが起こり、帝国はそれに勝利。領地として手に入れることとなりました」


「じゃあ……その頃の問題が、吹き返してきたって?」


「だと思いますが……お父様、ここから先はお願いしても?」


「引き受けよう。――ミコト君の言う通り、当時の対立が再発している。彼らは王国の反乱軍と手を組み、我々を打倒するつもりのようだ」


「……さすがに、両方まとめて相手にするのは難しいと?」


「うむ。ルーンの民と何度か接触は繰り返してきたが、折り合いをつけられんのが現状でな。……彼らは既に王国反乱軍との協力へ動きつつある。なるべく早急に結論を出さねばならん」


「となると、俺が国王側に協力するのは――」


「ぬ? 駄目とは言わんぞ? 案外と好意的な反応が返ってくるかもしれん」


「そ、そうなんですか?」


 唖然とする俺に構わず、アントニウスは食事を進めていく。

 何もせずに待っていることも出来ないので、こちらも手を動かすことにした。――テーブルに広がっているのは洋食で、故郷の和食が恋しくなってくる。


「――話の続きだが。議会はあくまでも、ルーンの民や王国反乱軍の鎮圧を優先する。君一人の話であれば、協力者として送り込むのもやぶさかではないだろう」


「じゃ、じゃあ……」


「待て待て、そう急かすな。仮に協力する方向で進むとしても、全員が即座に納得するわけではないぞ? 強固な保守派を納得させる必要もある」


「……帝国は寛容だって、前に聞いたんですけど」


「ははっ、耳が痛いな。……まあ情けないことに、近年の帝国は過去の在り方を維持できるほど柔軟ではない。まだ名残があるぐらいだ」


 まったく、と嘆息を零しながら、アントニウスは頬杖を突く。


 右手の窓を見つめるその横顔は、易々と関われない寂寥感で一杯だった。

 優れた理念、変化していく現実――彼の言葉をそのまま組み取るなら、今の帝国はそれら二つから板挟みにされているんだろう。


 人間、いつまでも夢を見ているわけにはいかない。何らかの機会があれば、現実に引き戻されるのは当たり前だ。


 故に。

 これから帝国は、普通の国になっていくのだろうか……?


「すまん、暗い話をしてしまったな。――保守派の貴族については、私が責任を持って説得しておこう。時間までは約束しかねるがね」


「今日中に……は無理ですか?」


「厳しいと言わざるを得ないな。何しろ頭の固い年寄りが多くてね。まあ彼らも愚かではない、真摯に説明すれば理解を示すさ」


「……」


 しかしカンナとの約束には、間に合わなくなってしまう。

 その場合はどうするんだろうか? 王国とは簡単に連絡が取れないし、そのまま無かったことになる場合も――


「心配するなミコト君」


「は、はい?」


「――ここだけの話、先に王国人の少女と接触してくれて構わんぞ。証拠さえ残さなければ、な」


「じ、事後承諾ってことですか?」


「左様」


 屋敷でもさんざん聞いた四文字だった。


 それでもアントニウスに迷惑がかかる以上は――と杞憂を抱きたくなるが、当人は笑って過ごすだけ。娘のイダメアもノーを出す雰囲気ではない。


「保守派の議員には君を疑っている連中もいるのでね。少しは危ない橋を渡って、彼らを見返してやってくれたまえ。心配なら何人か人もつけるぞ?」


「ま、前の仲間もいますし、一人で大丈夫ですよ。……それに同行者がいると、そのイダメアが」


「ふむ、確かに紛れ込もうとはするかもしれんな。だろう? イダメア」


「わ、私はミコトさんの足を引っ張るような真似はしません!」


 父親から向けられた疑惑の目に、彼女は机を叩いて反論する。……同行自体を否定していないのは、指摘するべきか黙秘するべきか。


 ムキになっている愛娘の頭を撫でて、アントニウスは俺の方へ向き直った。


「といっても、行動をいつ起こすかは未定かね?」


「どうでしょう……彼女も帝国へ滞在するのは限度があるでしょうから、そのまま、って場合もあるんじゃないですか?」


「……ふむ、直に話を伺いたいところだな。王国の近状についても、詳細な情報が欲しい」


「聞いてみましょうか?」


「頼む――ぬ?」


 再び手を止めた彼が見たのは、食堂の入口だった。

 釣られて目を向けると、一人の帝国兵が立っている。平時のためか鎧は装着していないが、真紅の外套は食事の場に相応しくない威圧感を放っていた。


 彼は恭しく礼をすると、そのまま俺達を凝視してくる。

 ――遠くからでいまいちハッキリしないが、焦燥感を訴えるような顔つきだった。しきりに周囲を気にかけて忙しない。


「……どうかしたんですかね?」


「問題が起こったのだろう。彼らでは手に負えないような問題がな」


 アントニウスは俺の肩を叩いてから立ち上がる。――一緒に来い、と示唆しているのが丸分かりで、仕方なくイダメアを一人にすることとした。


「どうした?」


「……」


 帝国兵に語りかけるアントニウスの背中に、父親としての雰囲気は残っていない。あるのは貴族としての、国を動かす者としての気高さだけだ。


 偉大、の二文字を自分は目の前にしている。……憧れるしかない、高貴な人間の在り方を。

 帝国兵もそれは同じだったんだろう。周囲を改めて確認してから姿勢を正す。


「た、大変です。皇女殿下が誘拐されました」


「!?」


 決して大きな声ではないが、一字一句漏らさず聞き取れた。


 連絡役を担った帝国兵は、不安と焦りで顔色を悪くしていく。――反面、アントニウスは冷静なままだ。少なくとも、背中から感じ取れる雰囲気は変わっていない。


「犯人の目星はついているのかね?」


「は、はい。教職員が一人、目撃していました。王国魔術師の少女ということです」


「――」


 言葉を失う。

 敵国の魔術師なんて、この帝都に二人も三人もいるわけじゃない。数時間前に分かれたばかりの顔が、脳裏へ即座に浮かんでくる。


 でも何故? 協力関係を持ち出しておきながら、ここで裏切る理由が彼女にあるのか?


「……分かった、学校の責任者として私が対処しよう。君は近衛隊の者を数名、学校に集めてくれたまえ。もちろん、目立たないようにな」


「はっ!」


 最後ばかりは雄々しく返事をして、帝国兵は急ぎ議会のある建物へと走っていく。

 それを見送るアントニウスは、溜め息しか零していなかった。


「まったく、これでは保守派のご老人を説得するのも骨が折れる。最悪のタイミングで起こしてくれたものだ」


「……」


「おお、すまんなミコト君。今の流れでは君や、君の仲間を貶すように聞こえてしまった」


「え、いや、別に……」


 俺は彼のことを責められない。カンナが犯人ではないか、と頭の中で疑っているからだ。


 彼女との間にある信用はそんなものなのかと、自分で自分を嗤いたくなってくる。


「……やはり、気掛かりかね?」


「――はい。王国魔術師なんて、帝都に何人もいないでしょう?」


「その通りだ。……ではどうするミコト君。このまま目を逸らして都合のいい仲間を見るか、意を決して仲間を向き合うか」


「……向き合うに決まってますよ、そんなの」


 カンナが正真正銘の敵になったら、と恐れる自分は確かにいる。

 でも俺の知ってる彼女が、彼女のすべてである保証はない。


 ならせめて。友人として、正面に立つぐらいのことはしてやらないと。


「では行こうか、小さな英雄君。私と君で、皇家の未来を守るためにね」


「――はい」


 昼食のことを忘れ、俺達は帝都の町に向けて駆け出していく。


「あ、あの、食べないんですかー!?」


 なんて、彼女イダメアの声を聞きながら。

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