エピソード3
第十二章 皇女のワガママ
第67話 まさかの呼び出し
「……」
数日前、ある亜人族から受け取った一枚の紙を、俺はじっと見つめていた。
何度読み返したって、その内容は変わらない。――書き手が過ごした、日常の一場面。それが丁寧な文字で
「……どういうことなんだか」
書き手の名はマサユキ。父と同じ名前の人物であり、趣味まで同じ人物。
この世界に呼ばれる前――俺の記憶にある父親は、日記を認めるのが趣味だった。書いた内容を時折、自慢げに見せてくれたのを覚えている。
……紙を渡してくれた人物いわく、これは千年近く前の代物らしい。
それが一番の疑問だった。紙に記されている内容も地球での出来事を記したもので、とても一世紀前の日記とは思えない。
「うーん」
「ミコトさん?」
首を傾げてうなっていると、扉の向こうから呼ぶ声があった。
気分転換も含めて、俺は閉まっている自室の入口へと向かっていく。……居候の身で、自室なんて自慢げに言えたことではないのだが。
微かに軋む木製の扉を開けると、待っていたのは目が眩むような美少女だった。
腰まで伸びた流れるような金髪。やすやすと触れることを戸惑わせる、白磁のような白い肌。――芸術的なまでの美しさがそこにある。
「あの、紅茶を入れたのですが……」
「……つまり差し入れ?」
「はい。煮詰まっているようでしたので、少し気分を入れ替えた方がいいと思いまして」
「じゃあほら、立ってばっかりなのもアレだし」
「失礼します」
トレイを手にしたまま、金髪の美少女――イダメアは部屋の中に入ってきた。
部屋の中央にあるテーブルへ、彼女は紅茶と、焼いたばかりらしいクッキーの準備をし始めた。甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「……また日記を見ていらしたんですか?」
「気になってなー。つっても、何度見たって内容は変わらないし、暗号が隠されてるわけでもなさそうだけど」
「お父様の……なんですよね?」
「多分な。いやまあ、名前が同じだけの別人かもしれないけど」
王国が無差別に召喚を行っている場合、十分に有り得る真相だ。千年前の古代文明には分からないことが多いし、意外と正解かもしれない。
「たださ、筆跡が似てるんだよ。こりゃあもう疑うしかないというか、疑ってくれと言われているような」
「なるほど……しかし今の段階では、いくら考えたところで限度があります。一度頭の隅に置いておくべきでは?」
「――ま、そうだな」
彼女の冷静な意見に反抗せず、俺は机の引き出しに紙をしまう。
そこからすることと言えば、腰を落ち着かせてのティータイム。憧れの少女と二人きりで向きあって、無言の空気を味わっていく。
……本当、居心地の悪さをまったく感じない。
性格の話になるが、俺は喋らないで向き合うだけ、なんてのが苦手だ。手元に紅茶とクッキーがあろうと、同じなのは十七年の人生から断定できる。
にも関わらず、イダメアと時間を共有できればそれだけで嬉しい自分がいる。
ようするに俺が彼女へ夢中なわけだ。――世界中の男性から視線を一人占めにするような、神の手によって生み出された美人と同居していれば、当たり前かもしれないけど。
「……」
しかし案外と、イダメアは平静な表情でこの時間を楽しんでいる。
ああいや、平静だから楽しんでいるかどうかは分からない。見る人物によっては不貞腐れているように見えるかもしれない。
とはいえ俺も、かれこれ一月近く彼女と同じ屋根の下で暮らしている。……この美少女が本気で嫌がる時は案外感情的になると、経験から悟っていた。
もっとも、厳密論ではやや異なる。彼女は少し日常からずれた出来事が起こると、感情的になりやすい。
例えば、
「なあイダメア、お前との婚約についてだけどさ」
「ごふっ!?」
とまあ、あっさりうろたえてくれるのだった。
――いや待て待て待て。紅茶を吹き出してしまったぞ。……さすがにここまでの反応をするとは思わなかったのに。
「わ、悪い! そこまで驚くとは……!」
「い、いえ、お気になさらず。未だに驚いている私の所為でもありますから……」
言いつつ、彼女は上品さを失わずに口元を吹いている。
……本当に俺の所為なんだけど、これ以上の言い合いは止めておこう。謝罪合戦になるのが目に見えている。
「え、ええっと? 私との婚約が、その、どうしましたか?」
「……いや、ここ数日は色々忙しかったな、ってさ」
「そ、そうですね。結構な人達が挨拶に来ましたし……まだ確定したわけでもないのに、皆さん騒ぎすぎだとは思いますけど」
「それだけ喜んでるってことじゃないのか?」
「かもしれませんが……」
短期間の激務を思い出してか、イダメアはため息を零す。一方で俺ともども、零れた紅茶を片付ける作業も続けていた。
「あそこまで大々的に扱われても、ちょっと悩みますね。まるで逃げ道を断たれているような……ミコトさんだって、自分の判断に横やりを入れられているようで嫌でしょう?」
「いや、別に? 俺個人としては、変えるつもりなんてないし」
「――」
顔を上げて、イダメアは完全に硬直していた。きちんと頬も赤くしている。
しかし驚きたいのは俺も同じだ。普段だったらこんな告白染みたこと、堂々と言える筈がない。
性格に変化が生じているのか、状況に馴れつつあるのか――恐らくは後者だろう。
まあ完全に恥ずかしさが拭えたわけでもなく、心臓は高鳴っているのだが。
「え、ええっと……こういう時、どんな返事をすればいいんでしょうか……その、嬉しいんですけど、それだけじゃ普通ですよね?」
「え、いや、十分だぞ? それにイダメアの表情みてるだけでも、楽しいというか」
「た、楽しい、ですか? あまり見応えのない女だと自負しているのですが……」
「ずいぶんと勿体ない自己評価だな……」
彼女の父であるアントニウスなんて、褒めちぎってばっかりだと思うんだけど。
まあそれだけ真面目なのだろう。両親が甘い性格をしていたから正反対になった、と本人も口にしていたし。
「……でもイダメア、冗談抜きで美人だぞ? 町中歩いてたりして、他人の視線感じることもあるだろ?」
「それは、確かにありますが……彼らは興味を向けているだけで、私に好意を持っているかどうかは別でしょう? これまで、あまり気にしないようにしてきました」
「――本当に真面目だな」
そんな少女がどうして、見知らぬ少年に興味を持ってくれたのか。
今まで一度も訪ねていない疑問である。せっかくだし、これを機にハッキリさせておく方がいいかもしれない。
「なあイダメア、どうして――」
「お、お嬢様、ミコト様! 大変です!」
俺の言葉を遮ったのは、屋敷に努めているメイドの声。
落ち着きが欠けた口調で、彼女はこちらの返答を待たず報告する。
「お、皇女殿下が突然屋敷に来まして……その、婚約者を迎えに来たと……」
「はい?」
「こ、婚約者?」
メイドからの報告を、俺達はそれぞれ復唱する。
皇女殿下、と呼ばれる人物については、俺も少しだけ覚えがあった。イダメアとの話題に出た挨拶の際、本人が来たためである。
十代半ばの、魔術学園に通っているらしい美少女だった。皇女らしく高圧的な態度だったのを覚えている。
その彼女が、婚約者を迎えに来たと。
「……嘘でしょう?」
一番驚いているのはイダメアだった。
――とにかく、本人から話を聞くしかあるまい。追い返したところで意味なんて無いんだし。
開いた口が塞がっていない彼女を見つつ、俺は椅子から立ち上がった。
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