第65話 ガルム Ⅱ

「み、ミコト」


「うん?」


「……き、気をつけて。手負いの獣は油断ならない」


「――うん、そうだな」


 でもそれは、数秒前の自分テューイに言ってやって欲しい。

 ちょっと無理な笑みを浮かべつつ、彼女に軽く手を掲げてから走り出す。周囲に神器を展開し、守りを固めておくことも忘れない。


 ――人の手がほとんど入っていないんだろう。森は、天然の状態を維持していた。生い茂った草や木が、獣を自然と有利にさせる。


「……ヘカテ、そろそろ足になってくれないか」


『はあ? お断りよ。さっきので腰痛が酷くなったから』


「よ、腰痛……?」


 ともあれ追走は緩めない。人間にとって不適切な状態と言え、常人よりは遥かに速く追えている。いずれ追いつけるだろう。


「いた……!」


 噂をすれば何とやら。

 こちらの方を振り向いていたガルムは、やはり左目が潰れている。


 即座に神器を撃ち込むが、やはり彼は逃げの一手だった。……呪縛結界がほとんど解除されているんだろう。テューイの神器を喰ったことで、相討ちに近い状態、という解釈が成されているとか。


 経験上、有り得ないことではない。余計、逃がすわけにはいかなくなる……!


「――ん?」


 見えてきたのは洞窟だった。

 入り口はかなり大きい。人間が使用するものではなく、もっと巨大な生き物が使うかのような――


「ギガ―スの住居か……?」


 ロキ・ジュニアが言っていた。町はずれの洞窟に住んでいると。

 しかし、そこに向かってどうするつもりなんだろう? 彼の味方がいるとは思えない。ましてやその能力で、逆転の一手が打てるとも考えにくい。


『お?』


 洞窟の向こう。そこにジュニアの姿があった。


 ガルムはここで急停止する。対し、洞窟からは続々とギガ―スが。全員が武装しており、番犬の逃げ場は完全に断たれた。

 しかし。


『――』


 番犬の口元が、犬にしては有り得ない歪み方を見せる。

 まるで嘲笑する、人間らしい笑みだった。


「っ……ジュニアさん! 下がって――」


 忠告は遅く。

 ガルムの全身から、血で出来た触手のようなものが広がっていく。


『な――』


『うおっ!?』


 ソレはギガ―ス達から次々に武器を奪っていった。更には彼らの巨体を、身体から溢れた血の濁流で押し戻していく。


「おいおい……」


 触手は蜘蛛の巣に似て、森中へと延びていった。……ギガ―ス達の武器だけでは物足りないらしく、木の幹を引き抜く音まで聞こえる。


 完成した姿は、森そのものがタコになったような怪物だった。


『我ら、人の世を堅持する者』


 ガルムの口から、低い男性の声が漏れる。


『故に我ら、人に触れざる者。人の歴史より末梢されるべき者。――故に今、ここに我らの贖罪を……!』


 得物が舞う。ギガ―スのために加工された武器が、血の触手に操られて殺到する。


 互いに退く選択肢はない。

 故に、


「っ……!」


 撃ち落とす。

 規格が巨大だろうと、根本的には普通の物質だ。魔導具でもなければ、神器のように歴史を重ねた武器ではない。


 砕く、砕く、砕く。片っ端から粉砕する。

 ほとんどは発射した神器によって砕けたが、いくつか取り逃した触手は脅威として目の前にやってくる。


 なら、直に沈めるだけのこと。


「おお……!」


 命中する直前、手で払った空白に歪みを作る。

 ほぼゼロ距離での、神器による掃射が始まった。


 途切れなく響く轟音。金属片が雨のように舞い、背景を苛烈に彩っていく。

 ガルムは目前。掌から神器を撃ち込む用意を整え、増す一方である反撃の中を潜り抜けていく。


『人よ、我らを討て。この星から、生きる魔性を駆逐せよ……!』


「何を――」


 試練だとでも言わんばかりに。

 ガルムは最後の最後で、真っ正面から突っ込んできた。


 ――脳裏にロキの希望が過ぎる。が、目前に迫った殺意は、非情にも上回った。

 起死回生を託した一撃を潜り、地獄の番犬へ神器を撃ち込む。


『――』


 悲鳴すら漏らさず、ガルムは一本の幹に叩きつけられた。

 直後に触手が動きを止める。――ややあって色を失い、次々に弾けて森の土へと還っていった。


 残された俺達の間にあるのは、静寂だけ。


「……終わり、か?」


 ガルムは胸を神器で打ち抜かれている。

 ロキのように肉体の変化が起こらない。かといって反撃するわけでもなく、倒れたまま指一本動こうとしなかった。


『おーい!』


 住処である洞窟に押し込まれていたジュニア達が、濡れた格好でやってくる。

 どうやら無事だったらしい。俺は安心感から、ガルムに背を向け――


『いかん!』


 直後の怒号で我に返った。

 言葉の意味するところは聞くまでもない。――背後、動かなくなったと思ったガルムが、ギガ―スの姿に戻って突進してくる。


 避ける時間は、ない。


『ぬん!』


「――」


 それを救ったのはロキだった。

 彼の手には一本のナイフ。……人間の感覚では大剣としか思えないソレがガルムことエピアルテスの喉に突き刺さっている。


『すまんな友よ。ゆっくり眠ってくれ』


『――』


 古のギガ―スは応じない。

 ただ嬉しそうに、彼はゆっくりと膝をついたのだった。


「……よかったんですか?」


『これ以上放っておいても、やつを苦しめるだけだ。――ならいっそ、楽にしてやった良いのだろう。我以上に、彼は盟約から危険な存在と見なされていたようだ』


「……盟約についてもう少し聞きたいですけど、やっぱり無理ですかね?」


『すまないが不可能だ。我もこれから先、世界の行く末を見守る必要がある。……お前達が真相に辿りつく、その日までな』


「……」


 そこまで意味深なことを言われれば、直ぐに知りたくなるのが人の心理だ。


 しかし何度尋ねられようと、ロキはかぶりを振るだけだろう。それにこっちだって、強要する気持ちにはなれない。……さっきのギガ―スと同じく、殺すことに繋がりかねない。


 まあさっき、心臓に槍を突き立てた人間の台詞じゃないだろうけど。


「――しっかし、よく生きてるもんですね」


『呪縛結界のお陰だとも。この身は盟約の傀儡だが、終末戦争ラグナロクが起こるまで基本的に滅びることはない。安心して屠ってくれ』


「い、いや、二度も三度もないですって……」


『そうかね?』


 何度も首を縦に振ると、森の向こうから聞き馴れた声が聞こえた。イダメアとテューイ、それにキュロスである。


 その更に向こうでは帝国兵たちも一緒だ。よく見ればテューイの両親もいる。


『ふむ、今宵は賑やかになりそうだな。……死んだと思われた人間も生きていた。これほど嬉しいことはあるまい』


「――そうですね」


 こちらに駆け寄ってくるイダメア。

 その後ろで安堵し、両親との再会を喜んでいるテューイ。

 町を脅かしていた危機の消滅に喜ぶ人間とドワーフ、それにギガ―ス。


 多種多様な人々の姿は、帝国の在り方を代弁するかのようでもあった。

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