第64話 ガルム Ⅰ
人々は今も避難の最中にあった。接近するギガ―ス――エピアルテスの姿も見え始めている。混乱が深まるのは当然と言えた。
『飛ばすわよ!』
「わ……」
その中だろうと、ヘカテは速度を落とさない。
エピアルテスの姿は順調に大きくなっていく。その全容が見えるようになるのも後わずか。俺達は一瞬で、町の端にまで移動していた。
だからだろう、
『――オオオォォォオオオ!!』
敵の姿を見定めて、ギガ―ス・エピアルテスが咆哮を上げる。
即座に見せた行動は以前と同じだった。自ら胸を裂き、滴る鮮血で両手を染める。――後の流れは言うまでもない。
「頼むぞヘカテ……!」
『え、私!? 自分で
しかし、言っている間にも血の槍が飛来する。
ヘカテは期待に応えてくれた。回避と進行、双方を変わらず押し進めてくれる。
巨体は目前。狙うべき部位も分かっている。
なら後は、勝ちをもぎ取って終了だ……!
「行け――!」
ヘカテの上から、数本の神器が打ち出される。
だがさすがに愚直過ぎたらしい。顔面狙いの弾丸は、いずれもエピアルテスの腕に突き刺さった。呪縛結界により貫通することはない。
故に。
「ヘカテ、実体化は解除だ! 目の前でぶち込んでやる……!」
『――分かったわ。まあ一番頑張るのはテューイちゃんでしょうけど』
まったくだ。俺が奴を仕留める間、彼女は地力で逃げおおせなければならない。エピアルテスとこれ以上接近すれば、彼女に危機が迫ったところで直ぐには戻れない。
「……私も出来るだけ援護する。だから頑張って」
「了解……!」
相変わらずの紅い猛攻を前に、いよいよヘカテの実体化を解除する。
霊体となった精霊は、俺の中でその特性を発揮し始めた。人間を凌駕する身体能力を、何の苦もなく発揮する。
しかし問題が一つ。
「あいつ……!」
エピアルテスの狙いが、テューイに固定されている。
ガルムとしての側面が残っているんだろう。軍神の腕を持つ少女こそ、奴が殺さなければならない対象らしい。
でもお生憎さま、敵のルールに興味はない。
無防備に晒している横っ面へ、神器をぶち込むまでだ……!
『っ!?』
もう一人の敵を視界から外していたエピアルテスには、防ぐ術も避ける術もない。
片眼を抉られ、ギガ―スは絶叫する。その叫びは木々を震わせ、思わず耳を塞ぎたくなるほどの大音量。
だが隙がある。
俺はそのまま、エピアルテスの身体に乗り移った。狙うは今も健在な右目。双方の目を射抜かなければ、伝承の再来は叶わない。
未だにテューイを狙っている敵の、右半身を伝っていく。
見えた。
「トドメ……!」
しかし巨人は吠える。
直後。
ゼロ距離で発射した槍の神器は、盛大に虚空を撃った。
「!?」
消えている。一瞬のうちに、奴の姿が消えてしまった。
足場を失い、俺は重力に引かれて落ちていく。――ふと眼下を見れば、背中を向けている一頭の大型犬が。
胸から血を流して、彼は戦場を離脱する。
「が、ガルム!?」
夜間じゃないと行動できないんじゃなかったのか? 代わりに今、人を丸呑みにするような巨体ではないが……。
こうなったら俺も追うしかない。幸い、奴はグニヘリルの村と同じ方向に向かっている。趨勢は未だに俺達が有利だ。
「させない――!」
その番犬を、衝撃波を伴って殴りつける孤影が一つ。
テューイだ。……『腕』の効果もあってか、ガルムは僅かに仰け反っている。無論、目立った外傷を与える程ではないが。
自由落下に身を任せる中、一つの悪寒が脳裏を過ぎる。
手負いの獣ほど、恐ろしい相手はいないのだと。
『ガアアアァァァアアア!』
「っ!」
地獄の番犬が牙を向く。神腕の少女は、敵に背を向けず相対する。
後の結果は、必然だった。
軍神の腕が放つ衝撃に耐え、そのまま肩から引き千切る。
「テューイ!」
「ぐっ……!」
空中から神器を叩き込むが、間に合わない。
ガルムは生き残った夫妻の傑作を噛み砕くと、村に繋がる森の奥へ消えていく。……その特徴である胸の血は健全で、テューイの血が混じっているかどうかも分からない。
「テューイ!」
「……」
肩を押さえて、その場に座り込んだ彼女の元へ走る。
――しかし当人は、いつもと変わらない鉄面皮。無くなった腕を惜しむように肩口を押さえているが、痛みを感じている様子はあまりなかった。
「だ、大丈夫なのか?」
「平気。胴体に噛みつかれたら危なかったけど……右腕は全部、人造神器になってるから。無理やり引き抜かれて少しビリビリするけど」
「そ、そうか。そこまで心配することじゃなかったか」
「……なんか頭に来る言い草だけど、怒るのは後にしてあげる。今はガルムを追わないと――」
「……腕のない状態で追う気か? ちょっとそれはさすがに……」
「分かってる。……だから貴方が一人で行って。私が同行したら、どういう結果になるか分からない。死ぬかもしれないし」
「――知ってたのか?」
もちろん、と腰を下ろしたままテューイは頷く。
彼女は俺を見ることなく、空を見上げながら呟いた。
「最初は死んでもいいって思ってけど。でもパ――両親が生きてたから。名誉とか言う前に、二人を守らなくちゃいけない」
「……なあ、パパママって呼ぶの、恥ずかしいのか?」
「は、恥ずかしくない。それに私は、二人のことをパパともママとも――」
「恥ずかしいんだな?」
「……」
無言は肯定と受け取ろう。
狩りを直前に控えた和やかな空気の中、俺はガルムを追うべく頭を切り替える。
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