第60話 どこかで聞いたような女神さま Ⅱ

「……私のこと、馬鹿にしてる」


「いやいや、してないぞ。ほら、さっさと進もうぜ」


「怪しい……」


 後ろから穴が開きそうなぐらい凝視されつつ、カンテラの照らす道を行く。

 進む度、肌で感じる寒さは強くなっていった。外の気温が温暖だった分、違いは余計に感じられる。


「い……」


 ついに、吐く息は白く。

 俺もテューイも、身の危険を無視することが出来なくなっていた。


「も、戻るか?」


「……それは一番ダメ。貴方の精霊でどうにかならない?」


「無理だと思うが……ま、試しに何か聞いてみるか。腐っても元女神らしいし」


 罵倒されることを覚悟して、俺はヘカテに呼びかけてみる。

 ――だが反応は帰ってこない。無視されているのではなく、彼女の存在自体を感じることが出来なくなっている……?


「どうしたの?」


「いや、何かおかしいというか……これまでこんなこと、無かったんだけどな……?」


「?」


 冥界に近付いていて、精霊の力が発揮し難くなっているのか? あるいはヘカテの堪忍袋の緒が切れたか。


 いずれにせよ好ましい状況ではない。先に提案した通り、ここは戻るべきではないだろうか?

 直後。


『あははは!』


 洞窟中に反響する笑い声が、俺の鼓膜を揺さぶった。


 音の高さからして、性別は女性だろう。北欧神話の冥界・ニブルヘイムの主は女性だし、彼女の声ということはあるかもしれない。


 しかし僅かな間の後に、違うな、と自分の予想を否定する。

 この笑い声、どこかで聞いたことがあり過ぎるからだ。


『よくぞ私の冥界に来たわね! 私は冥界の女王――』


「ああ、ヘル様だな。こんにちは」


『こ、こんには……って何でアンタそんなに冷静なのよ!? 恐ろしい冥界の女王よ!? 普通は怖がるもんでしょうが!』


「いや、その……姿が見えないし」


『あ、ああ、そうだったわね。でも私、諸事情によって実体化できたいの。半身が腐ってるし、声だけで我慢してちょうだい。――つまり声だけで恐れおののきなさい!』


「……」


『な、なによ! 同情するような目をしてるわよ!?』


 だって仕方ない。

 この声、完全にヘレネの声と一緒だ。


 しかし妙である。名前こそ似ているし、彼女は冥界の元女神だが――ヘル、などという名を語ったことは一度もない。


 神の名は誇りを示しているから別の呼び名はパス、と以前に彼女は言っていたのだが……。


「なあヘカテ……」


『? 私はそんな長い名前じゃないわ。ヘルよ、ヘル。ニブルヘイムの主にして、番犬・ガルムの主人よ』


「……」


 演技をしているような雰囲気はない。彼女は本気で、北欧神話の女神を名乗っている。


 声が似ているだけの姉妹、という線だったりするんだろうか? 本人からソレらしい話は一度も聞いていないけど。


 ……ともあれ今はガルムのことだ。奴の主人であることは確定しているし、後は情報を引き出すだけ。


「女神・ヘル、貴方の番犬が近くの町を襲ってます。……俺達はそれを止めたい。知恵を貸して頂けませんでしょうか?」


『はあ? 何で私が人間なんかに。冥界の住人になって出直してきなさい』


「そ、そんな……」


 ヘカテが出しそうな回答だなあ、と内心で一人ごちる。

 しかし感心している場合じゃない。どうにかしてガルムへの対策に目途をつけないと、ここに来た意味が無くなってしまう。


 俺は声に一歩踏み込もうとして、止まった。


 代わりにテューイが前に出ている。


「め、迷惑をかけたくない人が、いるの。ち、力を貸してください」


『あら可愛い子ね。……いいわ、この子に免じて話だけは聞いてあげる』


「え」


 趣向までヘカテと同じとは。本当に別人なのか?

 まあギリシャ神話の女神・ヘカテは、三相の要素を持つ女神であるともされる。冥界、地上、天空でそれぞれ別の神として扱われる、というものだ。


 この異世界では、それが冥界の女神同士で適用されているのだろうか……?


『ほら、誰を助けたいの? お姉さんに教えなさい』


「――ロキってギガ―ス。放っておいたら彼が犯人扱いされる……!」


『ギガ―スって……は? お父様の名前を遣ってるあのいけ好かないギガ―ス?』


「し、知ってる、の?」


 テューイの問いに、ヘルは大きな声で肯定する。


『知ってるも何も、兄妹みたいなもんよ。……違うやつを助けるんだったら協力しても良かったけど、アイツだったら別だわ。大人しく帰って――』


「う、嘘つき! 頭でっかち!」


『ああ!? 小娘が何か言ったかしら!?』


「言った!」


 目に力を込めて、少女は洞窟に反響する声へ言い返す。

 ……しかし止めて欲しい。女神というやつは基本、神話世界におけるトラブルメイカーだ。素直に頭を下げた方が、穏便に済むというもの。


 俺は止めようとしてテューイに近付くが、呆気なく押し飛ばされてしまった。結構痛い。


「お、おい止めろ! 問題が悪化するぞ!」


「悪いのはコイツ! 声しか出せない臆病者の癖に、ロキを見捨てるなんて……!」


 彼女はどうも、完全にネジが外れている様子だった。ヘルに向けて、無謀にも罵詈雑言を叩きつけている。……意外と喋るときは喋るんだな。


「女神だなんて嘘。どうせガルムが制御できてないから、助けないなんて言う! 神様なんて結局、傲慢なだけで何の役にも立たない! バーカバーカ!」


『い、言ったわね小娘……! 私だってやる時はやるのよ!?』


「――」


 ああ、こりゃ駄目だ。

 肩まで使って嘆息しつつ、俺は口論の傍観者に徹していた。本音を言うと、今すぐにでもこの場を離れたいぐらい。


 しかしテューイは暗闇を怖がっていたようし……外の戻るまでは、きちんと一緒にいてやろう。


『だったから今すぐにでも、ガルムに町を襲わせてやろうじゃない! 盟約違反で暴走してるからって、アタシの言うことは最低限聞くのよ!』


「ふん、望むところ。暗闇の中でしか狩りを行えない魔獣に、負ける通りなんて少しもない!」


『はっ、調子に乗ってくれちゃって。でも残念ね、ガルムは日中でも動けるわ。……まあギガ―スの姿になっちゃうし動きも鈍いけど、アンタら人間が勝てるわけないのよ!』


「やってみないと分からない!」


『ふん、勝負は初めから見えてんのよ!』


 売り言葉に書い言葉。勢いだけで、女達は互いに油を掛け合っていく。


 直後に、洞窟すら振るわせる振動が響いた。

 それ短く一度きり。――しかし間を置いてから二度目がくる。まるで、目的地に向けてゆっくりと進行するかのように。


 彼女らの罵倒にのんびり付き合っている暇は、無くなった。


「急ぐぞテューイ! 町にガルムが到着したら一大事だ!」


「分かった。……目にもの見せてあげる、オバサン」


『あ、あんですって!?』


 いい加減にしなさい。

 そんな本音は、しかしテューイが走り出したことで不要となった。ヘルを名乗る女神の声も相変わらずだが、外へ近付くにつれて小さくなっていく。


「――よろしく」


「な、何がだ? っていうか、少しは自分で責任を取ってくれよ?」


「もちろん、協力はする。でも主力は貴方になるから。……頑張って」


「……他人事だと思ってるだろ、絶対」


「――」


 彼女は気まずそうに顔を逸らす。――なら、それでいい。


 ちょっとした自覚があれば十分だ。テューイの指摘だって間違っているわけでもない。ギガ―スの状態である彼を狩るのは、俺が中心となって進む筈だ。


 作戦も既に考えている。ロキのちょっとした協力が大前提だが――まあ、さすがに失敗する羽目にはなるまい。名前を聞くだけだし。


「グニヘリルさん!」


 陽光の下へ出た頃には、焦燥感で一杯の彼らを目にした。

 数名の帝国兵がいなくなっている。……やつの足音は相変わらず聞こえるし、恐らく監視にでも向かったのだろう。


「おおミコト殿! 大変です、先ほど十メートルを超える大型のギガ―スが……!」


「分かりました。急いで町に戻りましょう」


「御意!」


 俺達は急ぎ、村を駆ける。

 そこは既にパニックを起こしている住人で一杯だった。帝国兵が収拾に当たっているが、簡単に収まるものではない。


 ……もしこれがヘリオスで起こったら、更に事態は複雑化するだろう。カールヴィが何か仕出かしそうな予感もある。


「出た杭は、早めに打っておかないとな……!」


 竜車に飛び乗る。

 村から町へ向かう最中、動きが鈍重な巨人の姿を見た。


 パレーネ遺跡を攻撃したあのギガ―スだ。相変わらず胸から血を流しており、その双眸は港町を捉えて動かない。


 到着するまで、あと何時間あるのか。

 焦りを飲み下して、俺は揺れる竜車にしがみ付く。


『――あれ? 私今まで何してたの? なんか凄いイライラしてるんですけど?』


「はは、後で教えてやるよ。どれぐらい大人げなかったのかを!」


『ど、どういうことよ!?』


 などと。

 我が家の精霊様は、いつも通り賑やかだった。

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