第55話 魔獣殺しのハッタリ Ⅰ

 風呂上がりの俺達を、テューイはご丁寧にもまっていた。


 赤い瞳と同じ、赤い髪。イダメアに比べると短いが、湿り気を帯びた髪は妙な色気を放っていた。……肌が上気しているのもあって、どこか背徳的な匂いさえする。


 もっとも、後ろにいるイダメアとて同じこと。長い金髪を珍しく結んでいる少女は、これまでと違った雰囲気で目を楽しませてくれた。


「遅い」


「す、すまん」


「ごめんなさい……」


 それぞれ謝罪を向けるが、テューイは納得した様子を見せない。僅かに頬を膨らませて、子供のように駄々をこねる。


「敵の正体も分かったんだから、急いで探さないと。これ以上、町の人達を犠牲には出来ない」


「……その前にいいか? ガルムの被害を抑える方法なんだが」


「? 呪縛結界を解除する方法じゃなくて?」


「結界の解除は、あくまでも手段の一つにするべきだ。……まだ分からんけど、やつを封じ込める方法があるかもしれない。そっちでもいいだろ?」


「――」


 俺の言葉を聞いて、イダメアは困惑している。


 しかし、ガルムを討伐する方向へ舵を切ることは出来ない。するとしても最後の手段。……それに俺が提案する方法でも、呪縛結界を解除できる望みはある。


 テューイが考えを纏めるまで、俺もイダメアも動かなかった。


「……分かった。一番大切なのはガルムを倒すことだし。で、その方法は?」


「グニヘリルさんって、今日も会ったお爺さんがいるだろ? ガルムはその人の故郷で最初に目撃されたらしい。――ってなわけで、そこを調べる」


「ガルムの寝床……かもしれない?」


「可能性としては有り得るな」


 北欧神話において、ガルムは冥界の入り口で番をしているとされる。


 そこはグニヘリルと似たような名前の洞窟だ。ガルムが繋がれていた場所でもあり、彼はラグナロクと呼ばれる神々の最終戦争まで解放されることがない。


 しかし現在、帝国や王国でそんな戦争の兆しがあるわけでもなし。


「上手くいけば、呪縛結界を逆に利用して封じられるかもしれない。……ガルムは基本、自分の住処から出てこない筈なんだ。だから呪縛結界が、本来あるべき状況に誘導する可能性はある」


「……呪縛結界って、魔獣の身を守るだけじゃないの?」


「厳密には違うな。そりゃあ結果だけ見れば間違いないけど……呪縛の名前がつくように、魔獣は結界が定めた行動、在り方を維持するしかない。ようは本能みたいなもんさ」


 そこには生き方と死に様も含まれる。故に、グニヘリルの故郷に洞窟でもあれば――封じられる可能性が出るわけだ。


「……じゃあさっそく行こ。私と貴方、それにあのお爺さんの三人でいい?」


「問題ない。――イダメアはヘリオスに残ってろよ? 遺跡なんて無いだろうし、ガルムと戦う可能性だってあるんだからな」


「え、ミコトさんが守ってくれるんじゃないんですか?」


「う」


 いつぞやの約束。……確かにちょっとした自信はあるし、別に無理だとは言わないけれど。


「そ、それはまたの機会にしてくれ! 何度も何度もされたんじゃ俺の心臓がもたない!」


「ええ、ご迷惑をおかけするつもりはありません。今のはちょっとした冗談ですよ」


「――あ、冗談か。そうかそうか」


『はっ、このヘタレ』


 横から精霊ヘカテが口を突っ込んできたが、無視する。


 さて、あとは多少作戦を練っておきたい。ガルムが枷から放たれているのは事実なのだ。それをどうやって戻すか、ある程度の見当をつけておかないと。


「……ひとまず、グニヘリルさんへ会いに行くか。あの人がいないと何事も始まらないし」


「じゃあ急ぐ。……イダメア、また後で」


「はい、テューイさん」


 まだ服もまともに着ていない俺の手を、テューイはもぎ取るように掴んでくれた。

 後は引きずり回されるだけ。……食堂から屋敷へ戻る時と、立場は完全に逆転してしまっている。


「お、おい! せめて上着ぐらい着せてくれ! 風邪引く!」


「発想を変えて。貴方が風邪を引くことで、大勢の人が救われる」


「病気で救える命があるのか!?」


 強引過ぎる発想に驚きを隠せない。


 そのままテューイは、俺を引っ張って屋敷の外へ。誰も止める者はおらず、目撃していている屋敷の関係者ですら生温かい目を向けるだけだ。


 とはいえ。

 ヘリオスの町が騒がしくなれば、誰もが表情を変えていた。


「な、何かあったのか?」


「……見て、ギガ―スがいる」


「ギガ―ス?」


 テューイが指差した先、並ぶ家屋とほぼ同じ高さに頭がある。

 ただ表情まではよく見えない。腰を下しているようで、姿勢が前かがみになっているのが分かるぐらいだ。


「まさか――」


「?」


 いつの間にか手を離していたテューイは、驚愕を持って遠くの巨体を見つめる。


「っ!」


「あ、おい!」


 今度も、俺の意思とは無関係に彼女は走る。

 ただ事じゃないのは、小さくなっていく背中を見れば一目瞭然。……見送って終わらせるだけの度胸もなく、俺は直ぐに彼女を追った。


 賑わいが聞こえてくるのは、ヘリオスの町を割っている中央通りから。建物の隙間から、騒動の原因だろうギガ―スの顔も見えてくる。


「おいおい……」


 その正体も同時期に判明した。


 ロキだ。彼が縄で全身を拘束され、この町にやってきているらしい。テューイが急ぐのも仕方ないことだろう。


「ふ、ふんっ! こ、この不届き者め! 僕は最初から、お、お前が怪しいと思ってたんだ!」


「――」


 少しどころか、かなり頭に来る声が一人。

 危機意識が冷めてしまうのは、きっと自然なことなのだろう。彼は相当な臆病者だし、ただの勘違いでは――と、楽観視する自分がいる。


 もちろん、理由はもう一つ。

 力尽くで止めざるを得ない場合、簡単に止められる気がするからだ。


「ロキ!」


 少女の一声が、人々の喧噪を押さえつける。


 残った音を強いてあげるのなら、この原因――カールヴィの悲鳴ぐらいだろ。自分の方が有利な状況だろうに、とこどん根性がないらしい。


 俺は苦笑しながら、ロキの正面へと回り込んだ。


「な、何の用だ小娘! ぼ、僕を殺そうっていうのか!?」


「……ロキを開放して。そうすれば貴方に手は出さない」


「ふ、ふざけるな! 僕はこの町を守っている者だぞ! ど、ドワーフだからって馬鹿にしてるのか!?」


「……」


 聞いての通り、囚われたロキの前ではテューイとカールヴィの口論となっていた。


 そんなカールヴィの周囲には、取り巻きの他に人間の護衛が数名いる。――前者はともかく、後者はやる気はなさそうだ。まあ彼の人物像じゃ、無理もないとは思うけど。

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