第54話 彼女と入る浴室の中で

「広いもんだな……」


「長年に渡って、この地を治めている方ですからね……まあ元は奴隷階級の出身だったそうですけど」


「そ、そうなのか? とても想像できないんだが……」


「商才のある奴隷でしたら、高い地位まで上り詰める可能性はありますよ。さすがに貴族は難しいですけど……我が家にもそういった、商才に恵まれた方々とは交流が深いんです。覚えておいてくださいね?」


「あ、ああ」


 どういう理由でかは、まあ想像の通りであって欲しい。仮とはいえ婚約者なんだし。


「……」


「――」


 身体を洗い終えて、俺とイダメアは湯船に浸かっていた。

 口にした通り、浴場は案外と広い。その気になれば、十数人は一緒に入れるんじゃなかろうか? 立派な共同浴場である。


 欠点を述べるとすれば、二人で使うと落ち着かない、ということだ。


 いやまあ、近くにタオル一枚の美少女がいれば、平静を保てないのは当たり前。広さ云々の話は関係ない。


「……」


 チラリと後ろに視線を向けると、水で染まったイダメアの肌が目に入る。

 水も滴る美女、なんて言葉があるが、今の彼女はまさにそれだった。もともと潤いのあった肌が、これ以上ない艶を放っている。


 もう少し身体を傾ければ、深い谷間を見ることも出来るんじゃないだろうか……?


 しかし、そこまでやるといくら何でも気付かれてしまう。さすがに今は止めておこう。


「――」


 揃って緊張しているのか、イダメアは俺と背中を合わせたまま動かなかった。


 ――白状すると、喜んでばかりじゃいられない。頭が沸騰するようなこの感覚、そう長く耐えられるもんじゃなかった。


 せめて話をするなりして、気分転換をしないと……


「あ、あの、どうですか? 帝国での暮らしは」


 イダメアの口を突いたのは、まったく関係のない話題だった。

 ――まあ緊張を解くのには丁度いいだろう。俺は頷きを作って、高い天井を見上げていく。


「た、楽しんでるぞ? 良い人ばっかりだし、アントニウスさんを始め、貴族の人達も意外と気さくだし……」


「人気取りは貴族の必須事項ですからね。偏見だけで相手に接するような方は、ほとんど見られません。ミコトさんに期待している方も多いですし」


「期待、期待ねえ……」


「も、申し訳ありません、さしでがましいことを……ミコトさんは、自由に行動してくださって結構ですよ? 貴方が魔獣殺しと称されるのに相応しいお方なのは、間違いありませんから」


「そうか? まあ、最初からやる気だけどさ」


 魔獣を倒すだけで恩返しになるのかが、目下の気掛かりではあった。


 帝国での日常と王国での日常は、百八十度異なるっている。


 向こうでは仕事で忙殺されていたというのに、こっちでは平穏な一日が存在したりするぐらいだ。……聞くところによると、魔獣の被害はどちらも大差ない筈なのに。


「アントニウスさんに聞いたよ。帝国の人達、出来るだけ自分で魔獣に対抗しようとしてるんだって?」


「はい。ミコトさんがいらっしゃっていることは帝国全土に広がっている筈ですが……それでも、自分達で解決しようとする方は多いですね」


「……」


 イダメアは気にするなと言ってくるだろうが――俺の力で簡単に解決できる出来事があるなら、率先して協力したい。もし彼らが不要な犠牲を払っていたりすれば、尚更のことだ。


 一方で、彼らには彼らなりの誇りもあるんだろう。……俺は帝国に来てから日が浅い。部外者の癖に、と思われない方がおかしい筈だ。


 テューイはどうなんだろう? さっき、ようやく協力を求めてくれたけど。


「両親の正しさを証明したい、か……」


「? 誰のことですか?」


「いや、テューイがさ、ちょっと事情を話してくれたんだよ。どうにかして希望を叶えてやりたいんだけど、その方法がな……」


「何か問題が?」


「んー、今回の魔獣に関することなんだけどさ。呪縛結界を解除するために、テューイが犠牲になる必要があるかもしれないんだよ」


「ぎ、犠牲? どういうことですか?」


「単に、結界を解除するために必要なんだ。ああ、まだ可能性だぞ? アイツの持ってる神器が、物凄い強力で、他のやり方で倒せるかもしれないし」


「ですが、古文書には犠牲が必要だと書いてあるのですね?」


「……」


 渋々だが、俺は頷くしかなかった。

 一方のイダメアは、あまり暗い雰囲気をしていない。一人でしきりに頷いて、湯船に波を立たせていく。


「ミコトさん、少し肩の力を抜いてっはどうですか?」


「へ?」


「魔獣を倒すと仰いましたよね? しかし問題は、魔獣が生きていることではなく、魔獣が及ぼしている被害です。捕えることで解決する道もあるのでは?」


「捕える、か……」


「はい。――今回の魔獣、グニヘリルさんの生まれた村で最初に目撃されたそうで、村では魔獣を封じていた時期があったそうです。参考に調べてみてはいかがでしょうか?」


「……そっか、グニヘリルさんの」


 どこかで聞いた名前だと思った。その村、ひょっとすると解決の糸口となるかもしれない。


 まあそれでも問題は残ってしまうが、無策の状態が続くよりマシだ。あとはどうにか、テューイの希望を叶えて――


「……でもあの子、何がしたいんだろうな」


「テューイさんのことですか?」


「ああ。……俺からは全部話せないけど、両親の正しさを証明したいってさ。でもそれって結局、何がしたいことになるんだろうな?」


「難しい質問ですね……私の個人的な意見で良ければ、お答えしますけど?」


「じゃあ、頼む」


 はい、と一言挟んで、イダメアは更に身を寄せてくる。

 ただ重なっていた背中は、溶け込もうとするように積極的な感触を与えてきた。


「彼女、不安なんじゃないでしょうか?」


「不安?」


「自分が役に立っているのか分からない、存在していいのか分からない……それを解消するために、テューイさんは自分一人で魔獣退治を成し遂げたい。私は、そう考えます」


「なるほど……」


 両親の遺産が優れたものだと証明したい気持ちと、そこまで相反してはいないと思う。


 ――噂、と前提を作ってはいたが、彼女の親は亡くなっているそう。となると、その現場や詳細を、テューイは掴んでいるわけじゃない筈だ。


 知らず知らずのうちに自分を責め、大切な人達の誇りを取り戻そうと必死になる。


 有り得ない感情ではない。……少なくとも風呂場の外で聞いた告白からは、そういう人物に俺は感じた。


「――改めて話してみるかな。隠し事は感心しないって、本人も言ってたし」


「あら、以前にも言われたことが?」


「ああ、昨日ハルピュイアを捕まえに行っただろ? その時にさ、やつらの特徴を話さなかったんだ。で、隠し事は感心しない、って」


「ど、どのような特徴なんですか?」


「……風呂に入りながら言うことじゃない。とにかく汚い、ってことぐらいかな」


 ああ、どうして二日連続でこんな話をしなければならないのか。

 しかし案外と、イダメアは感心して頷いている。魔獣の方にも興味があったりするんだろうか?


「……ミコトさん、もし良ければ他の魔獣についても教えて頂けませんか? 何か役に立つ時が来るかもしれませんし」


「ああ、いいけど……どういうのが知りたいんだ? 魔獣って言ってもたくさん種類があるぞ」


「でしたら……ミコトさんの武勇伝を聞かせてください。――無理のない範囲で構いませんから」


「……」


 言葉の最後、気を遣われていると直ぐに分かった。

 そりゃあ彼女の推測通り、話しても楽しい事柄ではない。……もし赤の他人から同じような解答を求められたら、俺は機嫌を損ねていただろう。


 しかし、リナやグニヘリルのこともある。

 ちょっとくらい前向きに、自分の糧になっている出来事として受け止めてもいいんじゃないだろうか? 

 王国の連中が恩着せがましく言ってきたら、一刀両断するのは変わらないとしても。


「――よし、じゃあ話すかな。背中洗ってもらったお礼に」


「そ、そんな、気になさらずとも結構ですよ。お礼と言うなら寧ろ、私の方がしないと……そうだ、歴史の授業なんてどうですか? ミコトさんにも決して――」


「え、えっとな!? 俺が王国で倒した一番の獲物はだな!」


「は、はい!?」


 主導権は握らせないようにしようと誓って、俺は過去を語っていく。


 いつか。

 それが栄光の礎となることを、祈りながら。

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