第十章 休息と騒動
第53話 彼女が入る浴室の前で
「つ、疲れた……」
屋敷へ戻るまで、なんだかんだと一時間はかかった気がする。順調に歩いた場合の倍以上は掛ったんじゃなかろうか?
途中からは俺もムキになっていたような。……傍から見ると、駄々を捏ねる子供とそれを叱る保護者、みたいな構図だったかもしれない。
恥ずかしいったらありゃしないのだが、まあ全部手遅れなわけで。
「ど、どうだー? 温まってるか?」
屋敷に設けられている浴室の外。テューイに聞こえるよう、少し大きな声で呼びかける。
「――どうしてそこにいるの」
「……それは俺も疑問に思ってる。簡単に言うとイダメアってやつの所為なんだ。見張れって」
「女性に責任を押し付けるなんて最低。死ねばいい」
「なんでそうなる!?」
いやでも、責任を押し付けてることになるんだろうか? 頼まれて反論できなかったのは俺の責任なんだし。
「だいたい貴方も彼女も、私なんかに対して油断し過ぎてる。他の貴族なんかが送り込んだ刺客だったらどうするの?」
「そんなやつ帝国貴族にいるのか? 文句あったら正面から喧嘩売ってきそうだが」
「……確かにそうかもしれない。でも世の中にはいつも例外がある。私達が知っていることなんて、ほんの一握り」
「だから信用するなって? 帝国人が聞いたら鼻で笑うぞ、それ」
「……でも貴方は帝国人とは違うし、王国人でもない。今からでも遅くないから、彼女を説得してきて」
「聞き入れてくれるとは思えんが……ああそうだ、一つ質問していいか? 答えてくれたらやれるだけやってみる」
「答えるかどうかは種類によるけど……何?」
「えっとな――」
前置きを作りながら、思い出すのは食堂での出来事。
聞き間違いじゃなかったろうし、聞いてみるのも悪くない。……少しだけ下心があるのは、口が裂けても言わないでおこう。
「テューイさ、ジュニアと話してるときに俺のこと名前で呼んだだろ? どうしてだ?」
「――は?」
それが質問? と言わんばかりに、彼女の声には僅かな驚きが籠っている。
しかし、隙を突かれたかのようなうろたえ方はしていなかった。……ひょっとすると、これまで名前で呼ばなかったこと自体、無意識なのかもしれない。
「なにその質問……私が貴方に
「い、いやいやいや、思ってないぞ? ただ、珍しいなー、と思っただけで」
「怪しすぎ。……でも、気にしないで。私、見ての通り人と接するのが苦手だから。名前で呼ばないなんて日常的」
「そ、そうか」
「……」
期待が裏切られたところで、話の縁も途切れてしまった。
――浴室からは微かに水の音が聞こえている。テューイが湯船で動いている音、顔を洗っていそうな音。
なんだか焦らされてるみたいで、精神衛生上よろしくない。目の毒、ならぬ耳の毒だ。
彼女が列記とした美少女なのもあって、妄想は驚くほど加速していく。……イダメアとの生活で女性に耐性をつけているつもりだが、薄っぺらい装甲だったようだ。
「聞かないの?」
「な、何を?」
「私がどんな生活をしてきたか。……人と喋るのが苦手だなんて、普通じゃないし。知りたいと思うのが人情じゃない?」
「……まあ確かに興味はある。でも聞かないぞ?」
「どうして?」
「や、話したくなさそうだし」
「――」
馬鹿らしくなるぐらい単純なのに、テューイは何故か黙ってしまった。
弁明する必要があるわけでもなし、俺は彼女の反応を待ち続ける。……途中、廊下を歩いていくメイドさんからは蔑むような目を向けられた。
何故だ。まさか覗きと勘違いされているのか?
しばらく無実の罪に晒されて、なおもテューイは返事をしようとしなかった。妙な静けさが漂うばかりで、何かあったのではないかと想像を巡らせる。
しかし。
「変」
聞こえた言葉には、少しばかりの笑声が混ざっていた。
「そうか?」
「だって人間らしくない。……一切の未知を暴いて、すべての恐怖を消すのが人間でしょ? 分からないものを分からないで良しとするなんて、貴方達ぐらい。……正直、うらやましい」
「う、うらやましい? それがいいならテューイもそう振る舞えばいいだろ」
「無理、馴れてないから」
「む……」
そう言われてしまうと、こっちは黙るしかない。
まあ頃合いだ。これ以上見張ったところで意味はないだろうし、イダメアの元へ行くとしよう。話したいことが沢山ある。
「――昔なんだけど」
ところが。
珍しく、テューイの方から話を切り出してきた。
「私は王国に住んでた。両親は人造神器の研究者で、私も実験に協力してた。……仕事が大好きな人達だったから、仕事が家族の時間だったの」
「……そうなのか」
「うん。でも、両親は王国魔術師に捕まった。反逆罪だって、身に覚えのない罪で。……風の噂だけど、処刑されたって聞いてる」
「――」
独白するテューイの口調は淡々としていて、心の中にある感情を読ませない。リナやイダメア、グニヘリルのように前向きなのか、違うのかさえ不明だった。
「私の右腕は、両親が残してくれた宝物。身を守るのには役立つし、魔術師の真似ごとだってさせてくれる。けど――」
「けど?」
「一番の目的は巨狼殺しにある。フェンリルかガルムかは分からないけど、その特攻兵器として作られたって。……だから私は、この腕を役立てたい」
「――両親の研究が、無駄じゃなかったことを証明するために?」
一泊置いてから、肯定が帰ってくる。
だが内心、穏やかではいられない告白だった。
確かに彼女の動機は讃えるべきものだし、気持ちが分からないわけでもない。両親と仲が良ければ、比例して想いは強くなるだろう。
しかしだ。ガルムが敵だと発覚した今、テューイと遭遇させるのには抵抗感がある。
「……今回の敵はフェンリルじゃなくて、ガルムって魔獣だ。倒し方は知ってるのか?」
「知らない。だから貴方の協力がいる。……ねえどうすればガルムを倒せるの? どうすれば呪縛結界を突破できるの?」
「――」
言うべきか否か。……人の命が関わっていると、簡単に決めるのは難しい。
ガルムは北欧神話の軍神と、最終的に相討ちする。フェンリルに片腕を喰われた、テュ―ルという名の軍神と。
「その、答えたくないなら答えなくていいんだけどさ……テューイの右腕って、どうしてそうなったんだ?」
「これは昔、事故で失ったの。それをパパとマ――両親が治してくれて、こうなった」
「そっか……その時、ご両親は何か?」
「特には。――ガルムを退治するのに、重要なの?」
「いや、一応聞いておきたいと思っただけだ。……腕の性能については、何か言ってなかったのか?」
「少し話してくれた。……古文書に記されてる、ある軍神の存在と合一させてるって。その軍神が関わってる相手なら、呪縛結界を効率的に解除できる」
「ふむ……」
効果はどこまであるんだろう? テューイが犠牲になるような事態を、回避できる程なのだろうか?
ともあれガルムについては、できるだけ話すのを控えた方がいいかもしれない。少なくとも、他の解決策を見出すまでは。
「で、呪縛結界を解除する方法は?」
「……悪いけど、俺もよく分かってないんだ。ヘリオスに古文書が残ってる可能性もあるだろうし、そこから探してみる」
「そう……じゃあ私も手伝う。もう少しでお風呂から上がるから」
「あ、ああ」
何もなかったなあ、なんて考えるのは
今も続くメイド達の視線にはもう耐えられないので、俺はパッパと浴室を去ることにする。……テューイがガルムの呪縛結界をどう突破するか、知らないと判明したし。
「問題は別の解決策だよなあ……」
「? 何かお困りですか?」
目と鼻の先に、角を曲ったばかりのイダメアがいた。
彼女は両手にバスタオルを抱えている。これからテューイに届けようという算段だろう。
「ああいや、ちょっと魔獣のことでな。どう呪縛結界を突破したもんかと……」
「クレイプニルでは駄目なのですか?」
「ちょっと難しい。……時間に余裕があるわけでもないし、早く解決したいんだが――」
「では、お風呂の中で考えるのはいかがです? 昨日からずっと身体を洗っていませんし、丁度いいと思いますけど」
「あー、そうだな……」
テューイを連れてきた後、屋敷の主人にも勧められた。確かに昨日は汗を掻いたりしているし、悪い考えではないかもしれない。
……急ぐのは当然だが、力んでしまうのも問題だ。沸かしたお湯を一人しか使わないのも勿体ないし。
「じゃあテューイが風呂から上がったら呼んでくれ。それまで古文書がないかどうか、聞いてくるから」
「はい。あ、私もご一緒しますので」
「――な、何!?」
「あ、一人の方がよろしかったですか? お背中を流そうかと思ったのですが……」
大歓迎です。
思春期の本音に逆らわない意見を嚥下しつつ、俺は控えめに頷いた。イダメアの方は笑みを見せた後、駆け足で浴室へと向かっていく。
「……何があるか、最後まで分からんもんだな」
握り拳を作りたい半面、年相応の緊張感もあった。彼女と同じ屋根の下で暮らして一週間以上だが、一緒に入浴するなんて無かったし。
一体、どんな時間を過ごすことになるのか。
頭の中から、古文書の三文字はすっかり消えてしまっていた。
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