第九章 港町ヘリオス
第49話 港町の朝 Ⅰ
翌朝。
朝食を済ませた俺達の元に、一人の青年がやってきた。グニヘリルが寄こした使いらしく、彼はあの後に得た情報を語ってくれる。
「昨夜の事件後、連絡の取れていないドワーフ族が一名確認されています。恐らくフェンリルの被害者でしょう。仲間達と遅くまで酒を飲んで、その帰りに襲われたと考えられます」
「目撃者は?」
「今のところは確認されていません。第一発見者は巡回中の帝国兵と――そちらの少女になりますね」
同席しているテューイへ、青年は一瞥を送っていた。
……あの後、彼女は宣言通り他の宿を取っている。こうして俺達の元を訪れているのは、単に情報欲しさだそうだ。他意はない、と必死の形相で語っていた。
「とまあ、新たに判明したのはこのぐらいです。……力になれず、申し訳ありません」
「そんな、気にしないでくださいよ。深夜だったんですから、仕方ないですって」
「いえ、我々の力不足なのは間違いありません。……ですから今後、新しく判明したことがありましたら直ぐにお知らせします。皆さんには、全力で協力しろと隊長の指示ですので」
「ど、どうも……」
いえ、と同じように青年は返して、一礼の後に部屋を出ていった。
珍しくイダメアが席を外している中、俺は思案に耽りながら腕を組む。
今日の予定はあまり決まっていない。クレイプニル制作のために魔術工房を訪れることぐらいだ。フェンリルを調査する方針については、ほぼ白紙の状態だった。
「何か希望とかあるか? テューイ」
「……別に何も。魔術工房に行ってからでいいと思う」
「やっぱそうなるよな。じゃあ――」
「ミコトさん」
椅子から腰を上げたところで、突然イダメアがやってくる。
何の用かと思って顔を向ければ、彼女の隣には一人のドワーフが立っている。濃い髭を生やした、ベテランの職人と連想させるドワーフだ。
「よう兄ちゃん、久しぶりだな! 珍しい品を持ってるってんで、お邪魔させてもらったぜ」
「きゅ、キュロスさん!?」
以前、帝都で知り合ったドワーフ族。この旅でも偶に名前が出る、リナの父親だ。
顔の殆どを髭で覆っている彼は、呵々大笑しながら俺の手を握る。最初の一度目以降会っていなかったのだが、元気そうで何よりだ。
「兄ちゃん、ちゃんとオイラだって分かんだな! 人間はよく、オイラ達の見分けがつかねえ、って言うんだがよ……」
「まあ魔術工房にいる皆さんは、キュロスさんと同じで髭の印象が強いですからね……そこが似通ってる所為で、あまり区別が出来ないというか」
「そいつぁ衝撃だな! オイラ達の髭は、きちんと個性があんだぞ? まあ人間にゃあ分かり難いかも知れんがな!」
また、清々しいぐらいの笑い声。
俺やイダメアはともかく、テューイは嫌そうに身を引いている。……他人との交流へ消極的な彼女にとって、能動的な人物は嫌悪の対象なんだろう。
昨夜はグニヘリルと普通に接していたし、流れに引き込めば大丈夫だとは思うが。
「おお? こりゃあ兄ちゃん、また可愛い子を捕まえたもんだな! ウチの娘やイダメア様じゃ飽き足らず、もう三人目かよ? この色男!」
「そ、そういう話はいいですから……あのクレイプニルの話を聞いて来たんですか?」
「あたぼうよ! つっても、元は他の理由でヘリオスに来てたんだがな? 兄ちゃんが助けを求めてると聞いて、飛んできたってわけさ!」
と、キュロスは部屋の中を見回している。その両目には好奇心が一杯で、集められた素材を探しているのが一目で分かった。
「キュロスさん。ミコトさん達の集めた材料は別の場所に保管してあります。これからご案内しましょう」
「おお、すまねえなイダメア様。――じゃあ兄ちゃん、オイラはさっそく縄の制作に取り掛かるぜ。成功するかどうかも分からんから、まあ神様に祈っててくれ」
「そんなんでいいんですか!?」
キュロスの返事は笑い声だけだった。
とはいえ、不安そうな顔をしているのは俺とテューイだけ。案内役を買ったイダメアは、妙な自信と一緒に彼を連れていく。
……まあ信じるしかあるまい。神話に登場する道具とはいえ、この世界では魔導具に該当する筈。そして魔導具の制作において、ドワーフの右に出る者はいないと聞く。
「ふう」
テューイと二人きりになった部屋で、俺は理由のない溜め息を零す。
彼女は怪訝そうな顔を向けてきたが、行動の意味を問い質すことはしなかった。……聞かれたところで、俺には曖昧な返答しか出来なかったろうけど。
「さ、さて、今日の予定はどうする? 深夜の襲撃に備えて、ひたすら休んでおくか?」
俺の口調は、少しばかり歯切れが悪い。テューイに対して、苦手意識を持っている証拠だろう。
もちろん、彼女が悪い人間じゃないことは承知している。だからこうして、ちょっと背伸びをしようとしてるわけで。
「そんなの駄目。ヘリオスには種族間の問題もありそうだし、町を見て回る」
「お、おお」
いつになくやる気の彼女は、迷いもなく言い切った。
「じゃあ誰か、案内してくれる人を探してみるか。俺達だけじゃ見回りなんて無理だろうし」
「問題ない。私がやる」
「? ヘリオスに来るの、初めてじゃないのか?」
「これで三度目。……子供の頃に来たから分からない部分もあるだろうけど、基本的な町並みは変わってない筈。いこ」
「っ」
これは夢か――そう錯覚するぐらい大胆に、彼女は俺の手を引っ張っていく。
その雰囲気も然ることながら、テューイの感触は今にも消えてしまいそうなぐらい柔らかかった。
……イダメアとは淡泊な口調が共通しているものの、やはり心の在り方は違うんだろう。ある意味では正反対かもしれない。
イダメアは主観を持った上であの態度を取る。他人のことを考えているように見えても、彼女はあくまでも自分が中心。貴族らしい精神の持ち主だ。
テューイは反対に、客観的な視点から淡泊になっている。
――ちょっとした触れ合いを得ただけで生意気かもしれないが、俺の感想はその二つだった。
「? なに?」
「何でもない。それよりほら、案内してくれるんだろ? よろしく頼む」
「言われるまでもない。……亜人族同士の衝突があったら介入してもらうから、準備は整えておいて」
「合点承知だ。あ、でもその前にイダメアのところ行っていいか? ちゃんと連絡しておかないとまずいだろ」
「……じゃあ屋敷のお手伝いさんを使えばいい」
「え、でもな――」
反論を許されず、テューイは歩幅を広げて屋敷から出ていく。
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