第48話 巨狼出没

 予定通り、ヘリオスに到着したのは夜だった。


 もともとの到着予定が今日だったため、宿は問題なく取れている。……いつまでも起きていた関係者には迷惑でしかなかったろうに、彼らは快く受け入れてくれた。


 もっとも、


「私はいい。ここまでお世話になるわけにはいかない」


 テューイはこの通り、同じ屋根の下で寝ることを拒んでいた。

 一応、彼女の個室は用意してある。俺達がいるのは町の有力者が持つ屋敷で、空き部屋は人数分を貸し出したところで余るぐらいだ。


 俺と一緒に寝るわけでも、イダメアと一緒に寝るわけでもない。


「自分の寝床は自分で探す。お金は持ってるから」


「い、いくら何でもこの時間ですよ? 別に貸し借りを作りたいわけではありませんから、どうか――」


「じゃ、お休み」


 テューイは断言して、屋敷の窓から外に出てしまった。


 ……そんなところを通ることまず驚いて、他の宿を探すのは無理だと驚く。夜といっても、既に日を跨いだ後だぞ。


 イダメアは嘆息して、廊下に続く扉を開ける。


「空いている宿がないか聞いてきます。さすがに放ってはおけませんので」


「俺も一緒に行くか?」


「いえ、私一人で大丈夫です。……どうしてもと言うのなら、止めはしませんけど」


「んじゃあ部屋で待ってるよ。有り得ないだろうけど、テューイが戻ってくるかもしれんし」


「では、お願いします」


 イダメアはお時儀をして廊下に出ると、駆け足で屋敷の主がいる部屋へ向かっていく。


 俺はその音を感心しながら聞き届けていた。彼女の性格的に、放っておくことを選ぶと思ったからだ。


 まあ根本的に世話好きなんだろう。他人の意思を尊重する姿勢だって、相手を最大限に持ち上げる行為なんだし。


「……しかし暇だな」


 俺一人だけになった部屋。

 広さはアントニウスの屋敷にある客室と変わらない。内装もどこか似通っていて、初めて利用するのに妙な落ち着きがあった。


 お陰で余計なことを考える余裕も、心の中にはちゃんとある。


「――お待たせしました!」


「はええよ!?」


「そうですか? あ、宿の方ですけど、空いている部屋がいくつかありました。いま人を出して、わざとらしく営業していただく予定です。そうすればテューイさんも、私達が動いたと察することはないでしょう」


「お節介すぎだろ……」


「でも私達の名前を出したら、彼女は再び拒むのでは?」


「……」


 今さらだが、面倒な少女である。そんなに人の世話になりたくないのなら、最初から姿を見せなければいいだろうに。


「複雑なお年頃なんですよ、あの子は」


「俺達より一つ二つ下なだけだろ……リナと同じぐらい、か?」


「かもしれませんね。――でも多分、テューイさんは自分で分かっているんでしょう。背負っている事情が、自分一人の手に負えないことぐらい」


「だから今朝、屋敷を訪れたのか?」


「恐らく。でも一方で、託された側としての誇りもあるんでしょうね。用は矛盾を抱えて――」


 るんです、と言葉を結ぼうとした直前。

 テューイの出ていった窓から、当人が戻ってきていた。


「た、大変。――誰かが、フェンリルに襲われたみたい」


「なに!?」


 突然の報告。テューイは真剣な眼差しで頷いて、その方角を指差している。

 それぞれ、次の行動には迷いが無かった。イダメアは屋敷の主人の元へ、俺はテューイと一緒に外へ出る。


 港町は完全に闇へ没していた。帝都と同じマナ・プレートの明かりも、0時を回っているため消灯されている。


「どこにいたんだ?」


「町の入り口付近。フェンリルの姿はなかったけど、とにかく大量の血が残ってた。――アイツが人を襲うと、いつもそれが残ってる」


「夜に止めてくれよ……」


 愚痴を零しつつ、俺とテューイは走るのを止めない。

 襲撃の現場らしき場所では、消えている筈の街灯が点いていた。帝国の兵士であることを示す、赤い制服の者が何人もいる。


 彼らの足元にも、生々しい紅。

 バケツに入っていた血を引っ繰り返したんじゃないかってぐらい、大量の液体が地面に溜まっていた。制服の彼らは、またか、と苛立ちを露わにしている。


「……おや?」


 うちの一人。杖を突いた老人が、こちらの存在に気がついた。


 彼も赤い制服を着ている辺り、帝国兵ではあるんだろう。眼光は年齢と反比例して生き生きとしており、血気盛んな青年を連想させた。


「もしや、魔獣殺しのミコト殿では?」


「ああ、はい。そういうあだ名がついてる者ですけど……」


「おお、やはりですか! 拙者はグニヘリルと申す者。ヘリオスにいる帝国軍の指揮官を任されております」


「ど、どうも……」


 やや小柄な老人は、近付いてくると皺だらけの手を差し出した。


 そのまま応じると、老いているとは思えない確かさが返ってくる。……眩しい禿頭の持ち主だが、肉体年齢自体はもっと若いんだろう。帝国軍の指揮官をやっていると言っていたし。


 グニヘリルは隣にいるテューイへも握手を求めた。

 僅かに躊躇する彼女だったが、向こうがごく自然に動いたのもあったんだろう。流れに押されて、普通にコミュニケーションを取っていた。


「いやはや、助かりますな。この町にはそれほど多くの帝国兵がいない。魔獣の被害を止めるには、貴方のような突出した戦力が必要不可欠。よろしく頼みますぞ?」


「出来る範囲で頑張らせてもらいます。――ところで、魔獣が襲撃した後はいつもこうなんですか?」


「ああ、この大量の血ですかな? ……残念ながら、毎度これです。一体どんな方法で人を殺しているのか……悲鳴すら聞こえず、不気味としか言いようがありませぬ」


「悲鳴が聞こえない……?」


 先に殺してから解体した、のか?


 どちらにしたって妙ではある。……そもそもどんな風に人間を引き裂けば、これだけの血を流せるんだ? 魔獣とはいえ、体格そのものは普通の狼だぞ。


「あの、他に襲撃してきた魔獣について分かってることってありますか? 細かな情報でもいいんですけど」


「そうですなあ……とにかく、奴は夜を好む。日中に出現した例はまずない。お陰で目撃者の証言も曖昧でしてなあ」


「と言うと?」


「ある者は家と同じ背丈だったと言い、ある者は普通の狼と変わらなかったと言うのです。……拙者の知る限り、奴めは巨大な躯の持ち主なのですが」


「……」


 しかし俺達の見たフェンリル――テューイがフェンリルだと言った魔獣は、普通の狼に近かった。

 様々な憶測が脳裏を過ぎる。無論、俺達がやるべき仕事に一つも変更はないのだが。


「ミコト殿、ここは私どもにお任せください。長旅でお疲れでしょう。今は少しでもお休みください」


「ですけど、少しぐらいは――」


「ご心配には及びませぬ。魔獣の手掛かりを探り出し、ミコト殿に繋げるのが私どもの責務。皆も張り切っております」


「――」


 誇らしげなグニヘリルに応じる形で、魔獣の痕跡を探っている者達が手を上げた。

 ここまで言われたら、さすがに喰い下がる気にはなれない。明日に向けて英気を養い、彼らの労力に対する成果を持ち帰るだけだ。


「……分かりました。よろしく――」


「待って」


 テューイは一言告げると、血の池にしか見えない現場へと近付いていく。

 止める声が多い中、彼女は赤く染まった地面から何かを拾い上げた。


「これ、隠しておいた方がいいと思う」


「……なんか、刺繍が入ってるな。何だこれ?」


「王国に住んでたドワーフがよく持ってる。……こういうのが残ると、フェンリルの所為で亜人族との対立が深まりかねない」


「おお、助かりますぞ」


 血が付着したままの刺繍を、テューイはグニッパに手渡した。


 その後も暗闇の中で目を凝らす彼女だが、何も見つからなかったんだろう。謝罪するように頭を下げてから、先にその場から去っていった。


「……いやはや、お恥ずかしい。町の問題をご存じだったとは」


「じゃあ、彼女が言った通り?」


「ええ。致命的な亀裂が生じているわけでは御座いませんが……種族間の対立は、日々深まっておりまする。すべての種族から被害者が出ているというのに……」


「――出来るだけ早めに解決してみせます」


「おお、頼もしい。……現場の詳細については、明日の朝にでも知らせましょう。改めて、よろしくお願い申し上げます」


「こちらこそ」


 自分だけが果たせる責任だ。不謹慎かもしれないが、一つの喜びが心の中には芽生えている。


 気掛かりなのはテューイのこと。

 彼女の見せた罪悪感に、予感は少し大きくなる。

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