第36話 巨狼の影 Ⅱ

「でも、そんなおかしな材料で古代文明――全能時代の方々は物を作っていたんでしょうか?」


「古文書に記されてるんだし、作ってるんじゃないのか? まあ他に対策があったのかもしれんけど……」


「気になりますね。ひょっとしたら、魔獣誕生の原因にも関わりがあるかもしれません」


「……」


 確かに、この世界へ召喚された時からそれは気になっていた。

 魔獣とは何なのか。どうして地球の神話に登場する怪物がモデル、あるいは瓜二つなのか。……偶然、で片づけるには余りにも出来過ぎている。


「イダメアは何か聞いてないのか? 魔獣の誕生について」


「いえ、私は何も。帝国政府も色々と調べてはいますが、収穫はゼロですね。王国でも同じだと聞いています」


「……なんか、余計に不気味だな。あ、テューイは何か知らないか? フェンリルのことについてでもいいんだけど」


「――」


 話を回すと、無口な少女はかぶりを振るだけ。

 せめてフェンリルの情報ぐらい引き出したかったが、それすらも彼女は口にしようとしなかった。


 本当に知らないのか、あえて黙っているのか――イダメアが睥睨したところ、テューイは即座に白旗を上げる。情報を持っていないのが事実らしい。


「ふふ、ありがとうございます」


「……」


 目が笑っていない笑顔だった。

 と、いきなり竜車が停止する。……正面からも竜車が来たことによる一時停止ではなく、完全な立ち往生。


 先頭にいるナーガ達も、困ったような声を出している。


「何かあったんでしょうか……?」


「ちょっと見てくる。イダメアとテューイはここにいてくれ」


「はい」


 現在地は整備されている街道だが、左右は森。魔獣の可能性は無きにしもあらず。

 警戒しつつ俺は竜車の前へと歩く。――直後には、彼女達を連れてこなかった判断が正しいのだと自覚した。


 死体が転がっている。


 人間が一人と、ナーガが一頭。……どうやら、竜車を使って移動中の商人らしい。後ろの方では荷物が荒らされている。


 不幸にも盗賊から襲われてしまった――のだろうか? 魔獣であれば荷物を荒らしたりはしないだろうし。


「違う」


「へっ?」


 いつの間にか来ていたテューイは、冷静に屍を見下ろしながら言った。


「これはフェンリルの仕業。アイツはクレイプニルを探してる」


「そ、存在してるのか? クレイプニルって」


「……」


 テューイは、例によって口を閉ざす。

 まあ実在するかどうか、今は議論するべき時ではない。巨狼・フェンリルが人を襲った――その事実に注意を向けなければならないのだから。


 潜んでいるとすれば森の中。……中継地点の町までもう少しだし、ここは抜けてしまうことが肝要だろう。


「テューイ、竜車に戻ってくれ。フェンリルのことは俺が――」


「近くにいる」


「!?」


 泰然とした顔付きで、少女は大変困った現実を口にした。

 となると急ぐしかない。イダメアもテューイも、フェンリルから自分で身を守ることは不可能な筈だ。守ると誓ったんだし、のんびりしている場合じゃない。


 俺は竜車に戻って、背筋をピンと伸ばしたままのイダメアを呼ぶ。


「直ぐに竜車を出してくれ! 近くにフェンリルがいるらしい!」


「わ、分かりました、急いで――」


 出発の指示が出されるより先に、咆哮が轟いた。

 大気そのものを揺さぶる攻撃的な意思。もはや魔獣であることは疑いようがなく、巨狼の存在をより確かにする。


「っ……!」


「お、おい! テューイ!」


 少女は脇目も振らず、森の中へと入っていった。

 直ぐに追いかけたいところだが、こっちにはイダメアがいる。彼女の安全を確保するまで、容易にここを離れるわけにはいかない。


 得意の精霊術を用意しつつ、フェンリルの気配を探り続ける。

 ――銀色の影が森からゆっくりと出てきたのは、数秒後のことだった。


「み、ミコトさん、あれは……」


「噂の魔獣、だろうな」


 銀色の毛を靡かせる彼は、こちらを凝視して動かなかい。

 なのでこっちも動けなかった。迂闊に仕掛けてイダメアが襲われたら、それこそ笑い話にもならない。


「……」


「――」


 視線をぶつけるだけの時間が続く。


 ……遠目ではあるが、フェンリルは巨狼と呼ぶほどの体格をしていなかった。頭の位置は、俺の腰よりも少し低いぐらい。凶暴な顔付きというわけでもなく、精悍で凛々しい狼に見える。


 本当にフェンリルなのか? と脳裏に疑問がよぎった。

 しかし答えを確かめる術はない。あるとすれば、彼を撃破して後の魔獣被害と照らし合わせることだ。


「……」


 それでもお互い、動こうとはしない。


 先に痺れを切らしたのはフェンリルの方だった。彼はあっさりと背中を向けると、そのまま森へ去っていったのだ。


「いたっ!」


 テューイがそのタイミングで戻ってくる。

 フェンリルと思わしき狼も、彼女の方を一瞥した。――が、それだけ。強い興味を示さず、銀色の狼は威風堂々と住処の森へ帰っていく。


 もちろん、少女が逃がす筈もない。


「っ――!」


 しかしフェンリルは知らぬ存ぜぬ。相手が走り出したことにも興味を示さず、悠々と緑の中へ消えていった。


 テューイも直後に入っていくが、追いつけそうな気配ではない。


「逃がした……」


 五分もしないうちに、彼女は戻ってきた。

 よっぽどショックだったのか、テューイはがっくりと肩を落としている。……無論、その理由は俺達には分からない。


「とにかく町に急ごう。――殺された人とナーガ、このままにしておくわけにもいかないしな」


「え、亡くなった方がいるんですか……?」


「あ」


 しまった。イダメアには見せてないんだった。

 簡単すぎるミスに頭を抱えたくなる。――が、イダメアは取り乱すこともなく、静かに手を合わせていた。


 彼女の誠実に感謝しつつ、俺はもう一度森の方を見る。


 何故フェンリルは襲ってこなかったのだろう? 満腹だったから? 確かに向かいの竜車は荷物が荒らされていて、それを奴が喰った可能性はある。


 ……でもやはり妙だ。俺の知る限りだと、魔獣は人間を餌として見ているのだが――


「まあ、俺の知恵でしかないもんな」


 別の真実が隠れていたとしても、不思議はない。


 テューイが竜車に乗りこんだのを確認して、イダメアはナーガ達に出発を指示。俺は竜車の外で、実体化した精霊に乗って移動する方針だ。その方が万が一の時に動きやすい。


 少し進むと、地平線の先には町が。

 ヘリオスとの中継地点になる町が、ようやく見えてきた証拠だった。

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