第35話 巨狼の影 Ⅰ

「ははは! 良いではないか! 旅が盛り上がるに決まってるぞ!」


 などと。

 アントニウスの一方的な提案で、俺とイダメアは予期せぬ同行者を迎えることになった。


「……」


 面白くなる、というのが承諾の趣旨だったが、竜人族ナーガの引く竜車の中はギクシャクした空気しか感じ取ることが出来ない。


 原因は無論、謎の少女にある。まあコミュニケーションを取ろうとしないこっちも悪いんだろうが……露骨に拒絶するような眼差しを向けられては、その気が失せてもしかたない。


「な、なあ、どうするよイダメア」


「……追い出すわけにも行きませんし、このままで。彼女にだって聞かれたくない事情の一つや二つはあるでしょう」


「って言ってもなあ……」


 正直、俺が耐えられない。

 もっとも、そんな温い考えを抱いているのは俺だけらしい。イダメアも謎の少女も、堅く口を閉ざしたまま動かなかった。視線を合わせることすらない。


 ……本当にこれでいいんだろうか? 何か特別な事情を抱えていることは、俺だって承知している。だから助け合い――なんて、率直に言えるほどの根性はない。


 しかし何かしら話さないと、変わるものも変わらないわけで。明日までこの雰囲気を堪能できる自信がない以上、自分でどうにかするしかない。


「な、なあ、君」


「――」


 睨まれた。

 馴れ合い御免の無言アピール。乗せてやってるのになんて態度だ――と言いたくなるが、竜車の代金はアントニウス持ちなので言い出せない。


 なので、


「失礼ではありませんか?」


 代わりに出てきたのは、イダメアだった。


 さっきまでの無表情から一転、彼女は明らかな非難を込めて少女を睨む。とはいえ相手の方も負けておらず、真っ向から敵意をぶつけていた。


 ……火花を散らすとはこのことか。お陰で目的から正反対の結果になりそうなんだけど、彼女達はいずれも頓着する気配がない。


「――」


 自分が捲いた種なのに、俺は完全に部外者だった。……仲裁に入りたい気持ちは山々なんだけど、二人とも恐ろしい形相を向けあっている。


 特にイダメアの迫力は凄かった。もともと端正な顔付きの美人なだけに、感情を省くだけで他を圧する顔付きになっている。


 もっとも、向こうの少女だって負けてはいない。

 全体的に童顔ではあるのだが、赤い瞳に籠った激情は徹底的な人間不信を訴えている。視界に映るすべてを、憎悪だけで焼き尽くしそうな冷徹さだ。


「……貴方達には関係ない」


 謝罪のしゃの字もなく、少女は相変わらず突き放しにくる。


 更なる衝突を予感して、俺は眉間に皺を寄せるだけだった。というか少女の方、どうしてイダメアを焚きつけるようなことを言うんだろう? 素直に謝れば済む話だろうに。


 プライドが邪魔をしているんだろうか――なんて思っていると、イダメアは前置きを作って反撃する。


「それが失礼だと言っているのです。……父の許しがあるとは言え、ソレを続けるようならこちらにも考えがありますよ?」


「ふうん、何?」


「今すぐ竜車から蹴り出します」


 鉄面皮のまま、彼女は断言した。


 さすがに謎の少女も血相を変える。表情にも、子供らしい困惑の色が出始めていた。

 

 ……このまま何事もなくヘリオスに行けると思っていたんなら、彼女の脳内はよほどお花畑なんだろう。あるいは、人付き合いに偏見でも持っているのか。


「さあ、何か言うことはありませんか?」


 一気に優勢となったイダメアは、顔色一つ変えずに畳みかける。

 謎の少女は余計に狼狽していた。敵から目を逸らし、どうしよう、とばかりに視線を泳がせている。


 一方の勝者は少女に気付かれないところで破顔していた。……まさかとは思うが、全部演技だったりするんだろうか?


「これでお話できますね、ミコトさん。一肌脱いだ甲斐がありました」


「……」


 子声でささやくイダメア。なんだか本当に、怒っているのは演技だったらしい。

 少女は哀れなことに気付かないままだった。……たまに相手の様子を確認しようと顔を上げるが、そのたびにイダメアはいつもの無表情で出迎える。


 あとは時間の経過を待つだけだ。……どっちの少女にも申し訳ない気分なので、後で謝っておくとしよう。


「ご、ごめんなさい……」


 俯いたまま、少女は消え入るような声で謝罪する。


 いや、謝罪というよりは独り言に近い。こちらと目を合わせることもせず、聞こえたかどうかだって分からない音量だ。これでは仕掛け人も納得しないだろう。


「ふふ、いいんですよ、分かってくれれば。……ところで、お名前は?」


「……テューイ」


 求めに応じて、あっさり彼女は告白してくれた。まだ俯いたままではあるけれど。


「テューイさん、ですか。ヘリオスへはどのような用件で?」


「……魔獣に会いたい。魔獣・フェンリルに」


「フェンリル!?」


 驚いたのは俺一人。イダメアも少し目を見開いていたが、同じ理由ではないだろう。

 テューイが口にしたのは巨狼の名。今回、恐らく倒さなければならない魔獣だ。


 出典は地球の北欧神話にある。――とある悪神が生み出した、三体いる魔獣の一角。神々でも御しきれない滅びの使いであり、人間世界を飲み込むモノ。


 単刀直入に言って怪物である。以前戦ったスパルトイや、スフィンクスとは比較にならない。これまで俺が倒してきた魔獣の中でも、五本の指に入るビッグネームだ。


「き、危険な魔獣なのですか?」


「そりゃあな。まあ魔獣で安全な奴なんてほとんど見ないけど……古文書で名前も読んでる」


「では、対策も判明していると?」


「あー、うん、まあ……」


 といっても、現実的な手段ではない。


 一方で他の方法を取り切れないのも事実だ。……古文書は俺の故郷、地球の神話に登場する魔獣・幻獣の詳細が模写されている。彼らが伝承に従った弱点を持つ以上、それを利用するしか方法がない。


 その弱点――呪縛結界を突破しなければ、魔獣に致命的な打撃を与えることは不可能なのだから。


「どのような方法なのですか?」


「……フェンリルへの対策は、縄で拘束することだ。つっても、この縄を作る材料が問題なんだよ」


「そうなのですか? 帝国国内で採れるものでしたら、時間次第で集まると思いますが……」


「難しいと思うぞ? 何だったかな……猫の足音、女性の髭、山の根、熊の腱、魚の息、鳥の唾が材料らしい。クレイプニルって縄だ」


「ね、猫の足音?」


 いかにも、魔法の道具といった感じの材料である。

 ……僅かばかり希望は持っていたのだが。イダメアの反応を見るに諦めた方がよさそうだ。


 しかし呪縛結界を突破せずして、魔獣を無力化するのは困難に近い。可能な種類もいるだろうが、北欧神話トップクラスの魔獣であるフェンリルにそんな死角があるかどうか……。

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